2009年07月18日

Vital Signals:日米初期ビデオアート上映会-芸術とテクノロジーの可能性-

Vital Signals:日米初期ビデオアート上映会-芸術とテクノロジーの可能性-
http://www.hcmca.cf.city.hiroshima.jp/web/main/vital_signals.html

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ポール・マッカーシー《黒と白のテープ》1970-75年/Paul McCarthy.“Black and White Tapes,”1970-75. Courtesy of the artist and Electronic Arts Intermix(EAI),New York

ヴァイタル・シグナル
60年代から70年代における日本とアメリカのビデオアート
日本とアメリカの初期ビデオアートをめぐるプログラム「ヴァイタル・シグナル」では、1960年代から70年代にかけて、両国において映像メディアが並行して展開した注目すべき動向に焦点をあてます。この時期、ビデオアートの先駆者たちは世界中の主要な都市に彼らの試みを支えるためのコミュニティを形成しましたが、同時に国際的な文化交流に対する強い関心を抱いてもいました。ビデオというメディアの発祥地である日本は、とりわけ重要な位置を担います。60〜70年代にかけて日本とアメリカのアーティスト間では多くの交流がなされ、影響を与えあい、彼らがビデオを通じて生み出した表現には確かな同時性を見ることができます。とりわけテレビへの関与や、独立した社会批判としてのビデオの使用といった点において、思考の親近性を見てとることができるでしょう。
本プログラムは、これまで上映される機会のほとんどなかった、日本及びアメリカのビデオアート黎明期の代表作を、3つのセクションに分けて紹介し、その独創性に富んだ試み、現代の美術作品につながる先駆的な表現を、新たな技術に触発され生まれた芸術形態をめぐる諸問題と共に考察します。

*「ヴァイタル・シグナル」は、エレクトロニック・アート・インターミックス(EAI)が、横浜美術館、および日本のキュレーターや研究者たちと連携し、EAIの所蔵作品とともに、日本の初期ビデオ作品を紹介するものです。EAIは1971年にニューヨークに設立された非営利芸術機関で、ビデオアートをサポートし、配給する目的で設立されたアメリカで最初の組織の一つです。
 

会期:2009年7月18日(土)~7月20日(月・祝)
会場:地下1階ミュージアムスタジオ
料金:入場無料
主催:広島市現代美術館
特別協力:アメリカ大使館
協力:Electronic Arts Intermix(EAI)、横浜美術館


上映プログラム:
7月18日(土)15:00~
Section1
テクノロジー:新しい視覚言語  
フィルムに比べ、手軽に操作できるというビデオの特性が可能にした表現に注目します。アーティストは、撮影すること、出演すること、そして、その行為によって生まれる映像、という要素の関係について考察を繰り返し、そして、それらを巧みに関連づける操作によって、関係性自体に注意を促す作品を生み出しました。
9タイトル 総上映時間 77分36秒

ナムジュン・パイク/山本圭吾/ジェイムズ・バーン/飯村隆彦/ジョーン・ジョナス


7月19日(日)14:00~
Section2
オルタナティヴ・メディア:コミュニケーションの変容  
アーティストや活動家たちは、ビデオというコミュニケーション・ツールを当時の社会的・政治的出来事の記録や、それに対する発言においても活用し、新しいメディアとして活用します。さらには、より個人的、また抵抗的な形で、文化的独占状態にあるテレビの地位をゆるがすべく、それを破壊的なツールとして用います。
8タイトル 総上映時間 82分12秒

ナムジュン・パイク&ジャド・ヤルカット/中谷芙二子/松本俊夫/デイヴィッド・コート/ビデオアース東京/ダラ・バーンバウム/クリス・バーデン/TVTV


7月20日(月・祝)14:00~
Section3
パフォーマンス:行為の記録、身体の記録  
身体表現と深く関わった作品を紹介します。単なるパフォーマンスの記録を超えて、アーティストは身体的、情動的身ぶりを肉体という限界をこえて拡張するため、しばしばビデオを利用します。ビデオのもつ映像装置としての技術的可能性は、一方でドキュメンタリーを構成し、もう一方で映像としての造形面を構成するための操作を可能にします。
8タイトル 総上映時間 62分47秒

ヴィト・アコンチ/ポール・マッカーシー/村岡三郎+河口龍夫+植松奎二/ジョーン・ジョナス/出光真子/ブルース・ナウマン/アンテ・ボザニッチ/和田守弘


アーティスト〈プログラム登場順〉:
ナムジュン・パイク Nam June Paik
山本圭吾 Keigo Yamamoto
ジェームズ・バーン James Byrne
飯村隆彦 Takahiko Iimura
ジョーン・ジョナス Joan Jonas
ジャド・ヤルカット Jud Yalkut
中谷芙二子 Fujiko Nakaya
松本俊夫 Toshio Matsumoto
デイヴィッド・コート David Cort
ビデオアース東京 Video Earth Tokyo
ダラ・バーンバウム Dara Birnbaum
クリス・バーデン Chris Burden
TVTV
ヴィト・アコンチ Vito Acconci
ポール・マッカーシー Paul McCarthy
村岡三郎 Saburo Muraoka
河口龍夫 Tatsuo Kawaguchi
植松奎二 Keiji Uematsu
出光真子 Mako Idemitsu
ブルース・ナウマン Bruce Nauman
アンテ・ボザニッチ Ante Bozanich
和田守弘 Morihiro Wada


講演会:
7月18日(土)13:30~15:00
「反復のなかへ:ビデオアートと社会空間」
講師:阪本裕文(稚内北星学園大学講師、本上映会キュレイトリアル・アドバイザー)
会場:地下1階ミュージアムスタジオ
聴講無料

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アメリカのEAIが、横浜美術館、および日本のキュレーターや研究者たちと連携し企画した「Vital Signals:日米初期ビデオアート上映会-芸術とテクノロジーの可能性-」が、広島市現代美術館より国内巡回を開始します(海外でも巡回の予定です)。日本とアメリカのビデオアートの歴史を体系化するような、極めて重要な企画となるはずです。
私は日本側作品の選出に関わらせて頂きました。三年前に名古屋で開催した「初期ビデオアート再考」のアップデートバージョンとなる内容です(広島では都合により、プログラムが一部縮小されるのですが、講演のなかでフォローを行なう予定です)。今後、国内主要都市の大学、美術館を巡回してゆく予定ですので、お近くを巡回した際には、是非ご覧下さい。
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しばらくの間、このエントリーがトップに表示されます。

2009年07月04日

記録: 本日の散財

結構この街も気に入ってきたのだが、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」が観られないのは痛い。早いうちに観る機会を作りたいが、それまではネット巡回中にネタばれに遭遇しないように気を付ける。そして「エンドレスエイト」がまさかの四週目突入。勘弁してくれ。

近くの書店にて、今月の「Mac Fan」と「大人の科学マガジン vol.24 ふろく:4ビットマイコン」を購入。今日は夏祭りらしく、駅周辺が賑わっていた。

2009年06月29日

太陽と原付

週末、よい天気だったので少し遠出をして走ってみた。映画の一シーンのように真っすぐな道路。
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このところ仕事が忙しくて更新が滞っていますが、もう少しで時間が取れるはず。ちなみに明日は四コマ連続(笑)で授業。レジュメ作りが終らない。

牧野さん、頑張って下さい。微温的な居心地の良さを凍り付かせるような、鋭利な上映会を期待します。
http://makinokino.exblog.jp/10439237/

2009年06月26日

記録: 本日の散財

以下、ある古書店にネット経由でオーダー。調べもの。
- 日本のルポルタージュ・アート

「エンドレスエイト」二週目で終らず、三週目に突入。一方、「けいおん」がとうとう終了。

高柳昌行のボックスを聴く

高柳昌行のボックスが素晴らしくて、そればかり聴いていた。散漫さのない、とても高密度な演奏の連続である。嬉しいことに予約特典のDVDも付いていた。下記はそのDVDの抜粋だが、ジャズから遠く離れた、まるでどこぞのノイズ作家のような演奏風景だ。

2009年06月24日

記録: 本日の散財

以下、日本の古本屋経由やAbebooksにてオーダー。
飯島正 - 前衛映画理論と前衛芸術
飯島正 - ヌーヴェル・ヴァーグの映画体系 揃
- 第2回ふくい国際ビデオ・ビエンナーレ 発掘・時代の資源
- 第3回ふくい国際ビデオ・ビエンナーレ 拡張と変容
- 第5回ふくい国際ビデオ・ビエンナーレ メディアの東風
- Passages De l'Image

2009年06月22日

ミックステープ

アメリカのノイズ作家PBKのサイトに、以前、彼と親交のあったジム・オルーク(当時19歳)が作ったというミックステープが落ちていた。メシアンからゴッドフレッシュまで、意外な選曲が興味深い。まだ音楽大学の一年生で、IOSに参加していた頃だろう。
http://soundgenetic.blogspot.com/2008/12/jim-orourke-mixtapes-198889.html

2009年06月20日

物語の終わり

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先ほど知ったのだが、ヴァーグ(BURZUM)が服役を終えて、先月刑務所を出所した。ノルウェー語は分からないが、以下を参照。彼が家族とともに平穏に暮らせる事を望む。
http://www.dagbladet.no/2009/05/22/nyheter/black_metal/varg_vikernes/6354526/

2009年06月19日

記録: 本日の散財

以下、OmegaPointにてオーダー。
- 「ネオダダJAPAN 1958-1970 磯崎新とホワイトハウスの面々」展 カタログ
高柳昌行 - Masayuki Takayanagi Archive 1 / CDx5

どうでもいい事だが、「けいおん」最終話のライブシーンの、歌ってる横顔の口の描き方と動きが実に良かった。グッときた。

2009年06月17日

映像の起源・山中信夫

このようなイベントが明日行われるそうです。とても気になる内容だ。

60年代末〜70年代初頭、多くの美術家が映像(写真、フィルム、ビデオ)に取り組んだ。これは、もの派と概念派にまで突き詰められた、当時の日本の現代美術の状況において、制作を実践として捉え直す過程にて現れた動向であった。美共闘のメンバーであった山中信夫の写真の仕事は、そのなかでも特に重要なものであった。

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多摩美術大学・映像学環・公開特別講義
映像の起源・山中信夫

美術としての映像作品は、どのようにして始まったのか。カメラオブスクーラやピンホール写真など、映像の起源にこだわりつづけ、夭逝したアーティスト・山中信夫。38年前の伝説のデビュー作「川を写したフィルムを川に映す」を、当時と同じ場所で再現する。

6月18日(木)講義—午後6時〜7時半
        映写—午後8時〜8時半    
講義—多摩美術大学・上野毛キャンパス映像スタジオ(3号館1階)
東急大井町線上野毛駅から徒歩5分

映写—多摩川河原(講義の後に一緒に移動します)

講師 山本和弘(栃木県立美術館学芸員)
   三田晴夫(美術ジャーナリスト)

担当 堀浩哉 小泉俊己 栗原一成(絵画学科)
   港千尋 佐々木成明(情報デザイン学科)
   石井茂(映像演劇学科)
   神山亮子(府中市美術館)

この講義は学内他学科と学外の方々にも公開しますので、興味のある方はご自由にご参加ください。

2009年06月16日

6/10-6/15

6/10
稚内空港から羽田へ。一時間半で羽田に到着。そのまま真っすぐ草月会館へ向い、資料室にて草月アートセンターや勅使河原宏関係の資料をごっそり閲覧させて頂く。レアな写真やイベントの運営資料など、実際の規模や状況の理解が深まった。フィルムアートフェスティバル造反事件についての声明文やアジビラなどが興味深かった。なるほど。司書さんにお礼を述べて、喫茶店でひと休みしながら戦利品を整理する。
その後、森美術館の「万華鏡の視覚」展を観に行く。ペーター・チェルカスキーがどのように展示されているのかに興味があったのだが、それよりも思わぬ収穫だったのがリテュ・サリンとテンジン・ソナムによるチベット修行僧の短編ドキュメンタリーである「人間の存在に関する問答」だった。チェルカスキーの作品は持っているDVDに入っているものだった。
以下、本日の散財。
森美術館=編 - 「万華鏡の視覚」展 カタログ

6/11
東京都現代美術館へ「池田亮司 +/−」展を観に行く。ここでの作品において表示されている、俯瞰的視点にて全体を記述しようとするかのような膨大なデータ群は、何についてのものでもない、超越論的な無限の表象である。これらは何ものかとの指標関係を持っている訳ではなく、象徴であるに過ぎない。とするならば、それは宮島達男のデジタル・カウンターのような安直な演劇性と何が違うのか。単に洗練の度合いの問題なのか。
一方で「数学は何についての表象なのか」という問いを立ててみれば、池田は数学が表象しているものを視覚・聴覚を用いて芸術のコンテクストにて表象していると言えないこともない。が、やはりそこには拭い難い違和感が残る。私は池田の仕事であれば、作品が何らかの現象を伴いながら、概念と知覚の狭間で揺れ動く、そのような経験を与えてくれる作品を評価する。なので私は、今回の展示であれば「matrix [5ch version]」のような、概念と知覚の緊張関係を孕んだ作品をもっと観たかった。残念だった。
その後、常設展も観る。田中功起のビデオインスタレーションの宙吊り感覚はやはり面白い。
以下、館内のNADiffにて本日の散財。Chim↑Pomについては、針生一郎まで引っ張り出すとは思わなかった。今日の社会的芸術というのは、高度化した資本主義による平滑化に対して、剥奪された生の可視化、再占有を行うことだと思っていたのだが、後付けでPC化するくらいなら社会的芸術としての存在意義はない。
佐谷画廊=編 - 「アンドレ・ブルトンと瀧口修造」展 カタログ
佐谷画廊=編 - 「西脇順三郎と瀧口修造」展 カタログ
佐谷画廊=編 - 「駒井哲郎」展 カタログ
佐谷画廊=編 - 「福島秀子」展 カタログ
池田亮司 - 「池田亮司 +/− 」展 カタログ
Chim↑Pom,阿部謙一=編 - なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか

夜はスーパーデラックスにて、ドナルド・リチーの解説付きで是枝裕和「ディスタンス」の上映を観る。リチーさんと話す。

6/12
午前中に新宿のユニオンを巡回する。中古レコに対する物欲を失ったのか、何も買わず。その後、写真美術館へ行く。以下、写真美術館のショップにて本日の散財。待望の刊行。
岡村恵子,辻憲行=編 - 「第1回恵比寿映像祭」カタログ

午後からは日仏学院にて、フランスで開催されている映像祭「Hors Pistes」の日本版プログラムの初日を観る。その後、太田さん、河合さん、瀧さん、服部さん、日仏学院のスタッフの方々、「Hors Pistes」のジェラルディンさん達と飲みに行く。何故、数年前から作ることを中断させたのかを少しだけ話す。

6/13
昼に恵比寿のNADiff a/p/a/r/tに行って、Chim↑Pomの「広島!!」を観る。いろいろと思うところがあった。Chim↑Pomがどうした/作品がどうしたよりも、この一連の行動は図らずして芸術についての極めて重要な問題を浮かび上がらせた。そこは高く評価する。
以下、NADiff a/p/a/r/tにて本日の散財。
芸術批評誌REAR No.21 - 「特集:トリエンナーレ!」
総合美術研究所=編,瀬木慎一=監修 - 日本アンデパンダン展全記録

その後、日仏学院へ行って翌日の打ち合わせ。

6/14
今回の仕事である「Hors Pistes Japon」のシンポジウム司会の日。午前中は個人的な買い物。そして飯田橋駅近くの定食屋で、シンポジウムの流れをシミュレーションしながら一人で昼食。開場直前に日仏学院に到着。いろいろな知人と会う。しょっちゅう連絡は取っているのだが、飯村さんと中島興さんに直接会うのも久方ぶり。佐藤実さんも来られていたらしいのだが、以前資料を複写させて頂いた件についてのお礼を言いそびれたのが心残り。なかなか面白い一日だったので、内容については別エントリーで書きます。首尾よく仕事を終え、河合さんとカミーユさんとジェラルディンさんにお礼を述べ、上機嫌で帰路につくが、午前中に買った物を会場に忘れてきたことに電車の中で気がつく。

6/15
今回の東京での用件は全て完了。羽田から稚内へ飛ぶ。昼過ぎに稚内空港へ到着。やはり寒い。まだまだ上着が必要だなと思いながら帰宅し、すぐに寝てしまう。

太田さんと瀧さんからDVDを頂いたので、観るのが楽しみだ。

2009年06月09日

記録: 本日の散財

以下、Molehillにてオーダー。
Werkraum - Unsere Feuer Brennen / CD
IRM - Indications Of Nigredo / 12EP
Consumer Electronics - Crowd Pleaser / LP

明日からまた東京に行くので、こちらの職務をまとめて片付ける。今回は稚内空港から直で羽田なので気が楽。

2009年06月07日

夏期放送予定の新作

もうすぐ「けいおん」も終る訳だが、この作品は実に良かった。女同士の友人関係における柔らかく暖かな集団意識のようなものが、ここまで押し出された作品も珍しいのではなかろうか。制作者の性別(監督とシリーズ構成が女性)で作風を云々言うのは野暮だが、これはやっぱり男には描き出せない空気感ではないかと思う。男がこの空気感を描き出せたら、それは正直微妙な気分だ(笑)。

夏期放映予定の作品で一応チェックするつもりなのが「化物語」「狼と香辛料II」「青い花」。もちろん「ハルヒ」も継続して観る。劇場作品では「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」「サマーウォーズ」。意外なところで本命は「サマーウォーズ」だろうか。

2009年06月06日

Hors Piste Japon

東京日仏学院で開催される「Hors Piste Japon」のシンポジウムに参加します。北の果てにいる人間に声をかけて頂けるとは、有り難い限りです。お役に立てるといいのですが。6/12、6/15にはフランス「Hors Piste」のプログラムもあるそうです。それにしても飯村隆彦と宇野邦一という取り合わせが凄い。

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Hors Piste Japon
2009.06.14 14:00 - 21:00
東京日仏学院 エスパス・イマージュ

〒162-8415
東京都新宿区市谷船河原町15
Email :tokyo@institut.jp
Tel :03-5206-2500

料金:上映プログラム1回/一般1000円、会員500円 シンポジウム・カンファレンス/無料

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14:00-17:30
<ジェネラル・プログラム上映&シンポジウム>

新しい映像は、私たちに開かれている。それは私たちとともに、この時代を歩む。それは私たちに一番近い映像なのだ。ここに集められたアーティストの作品を見るとき、彼らがめいめいのやり方で、この世界と真摯に取り組んでいるさまと出会うに違いない。新しい映像の探求は、新しい生き方のリアルな創造なのだ。私たちはそうした作品をとおして、今の世界をいっそう深く、多彩に発見することができる。
現代の日常に映像はあふれている。だがそのほとんどは、「場をもたせる」ためだったり、「流される」ためのものばかりだ。そうした映像は、見れば見るほど、私たちを世界から、リアリティから遠ざけてしまう。しかし「いま・ここ」という地点に立ちとどまって、映像というメディアと懸命に奮闘しているアーティストたちがいる。彼らの作品としばし向き合い、彼らとともに世界をもう一度見なおすこと。そして、映像をとおして感じ、考えることで、世界に一歩近づくこと。そのような経験を、この機会に持ってもらえると幸いである。(河合 政之)

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14:00-15:00
<上映プログラム 1 >
「マテリアル/技法の幻影 」

上映作品:
奥山 順市  「まぜるな」
太田 曜   「PILGR IMAGE of TIME」
石田 尚志  「海の映画」
瀧 健太郎  「Living in the Box -square-」
服部 かつゆき「モニター」(ヴィデオ・ライヴ・パフォーマンス)

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15:15-16:15
<上映プログラム 2 >
「イメージ/視線の変奏」

上映作品:
永岡大輔  「A Poem of Blind Alley」
辻直之   「エンゼル」
小瀬村真美 「朽 -Decaying-」
狩野志歩  「Feinfügig… unüberholbar…」
Tokyo Mob「Democracity」
西山修平  「SHOT -sabotage syndrome-」
飯村隆彦  「I am (not) seen」
相内啓司  「Imago - 鏡の中」

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16:30-17:30
<シンポジウム>

テーマ:「まなざしのメディア/メディアへのまなざし」
パネリスト:阪本 裕文、太田 曜、瀧 健太郎、ジェラルディン・ゴメス(Hors Piste ディレクター)

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18:15-21:00
<Visual Philosophy 上映&カンファレンス>

映像は、思想である。ただしそれは、見ること、聞くこと、そして時間という身体感覚に根ざした思想である。映像を見ることは、思想を身体で感じることなのだ。
上映プログラムでは、思想を身体的な感覚においてあらわすということを追求した、実験映像の試みを紹介したい。60年代以来実験映像の運動をリードしてきた飯村隆彦氏の、視覚として経験される時間や、声とイメージの関係をテーマにした作品、そして電子映像の「乏しいイメージ」の氾濫がもたらすリアリティの不在をテーマとした拙作を上映する。さらにその後のカンファレンスでは、映像を見る身体を思考する「映像身体論」を展開している宇野邦一氏に参加していただき、身体的な思想としての映像について語り合いたい。(河合 政之)

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18:15-19:15
<上映プログラム>
「時間、声、視線」

上映作品:
飯村 隆彦 「1秒24コマ」
飯村 隆彦 「Talking in New York」
河合 政之 「スペクタクルの社会における神学的状況について」
河合 政之 「不在の風景」
河合 政之 「表れの中へ」

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19:30-21:00
<カンファレンス>

テーマ:「映像の冒険—身体を持つ思想へ」
ゲスト:飯村 隆彦、宇野 邦一
ホスト:河合 政之

2009年06月05日

「The World」ライブ上映

本日は爆音映画祭における、牧野貴+ジム・オルークの「The World」ライブ上映があります。
http://www.bakuon-bb.net/program/still.php

観に行ける人は、是非。

牧野貴にとって60分という初の長編であること、ジム・オルークが「ターミナル・ファーマシー」を超えるエレクトロアコースティックをライブにて演奏すること、どちらもとても興味深い。実験映画の内部にとっても、外部にとっても、参照する価値のある出来事になると思います。

2009年06月04日

図書室だより

大学の「図書室だより」の、お勧めの一冊コーナーにコメントを書いてくれと頼まれる。司書さんにはお世話になっているので快諾したものの、よく考えたら人に(特に学生に)勧められる本って何があったっけと大いに悩む。持ってる本は大半が資料としてのものであり、あまり何かに特化した本を挙げても仕方がない。思想関係の本も大きな流れとして読んでいるので、一冊だけ取り上げることはしにくい。取っ付きやすくて、そこから関心を拡げてゆけるような本…。

いろいろ考えて、アンドレ・ブルトン「ナジャ」にした。我ながら良いセレクトではないかと。

2009年06月03日

記録: 本日の散財

以下、Meditationsへオーダー。
Jack Rose - Dr. ragtime and his pals / CDx2
Search Party - Montgomery Chapel / CD
Elias Romero - 3 Films / DVD

以下、Amazon経由でオーダー。
VA - ANIMATED SOVIET PROPAGANDA / DVDx4

市民税

退職金を何に使おうかと想像を楽しんでいたところ、去年の市民税32万円を引き落としますとのお知らせが届いた。ずっと給料引き落としだったので意識することもなかったが、毎年こんなに支払っていたのか。具体的に言うと退職金が三分の一減った(笑)。

この税金は、まさしく前任校の予算にも使われている訳で、複雑な気分だ。勿体無い金の使い方はしないで欲しい。

2009年06月02日

5/26-6/1

5/26
11時の電車に乗り、5時間かけて日本最北端の駅より列車で南下。今回は稚内からじゃなくて、旭川から羽田へ飛ぶ。そのために旭川まで列車を使う。宗谷はなだらかな丘陵地と平野がどこまでも続き、牛の姿もたまに見えたりする。遅い春の到来で野にはタンポポの花が咲いており、原子心母のジャケそのままの涅槃のような風景が広がる。順応性が高いのか、稚内にさっそく愛着を抱いている自分に気が付く。夜7時に羽田着。

5/27
午前はせっかく東京に出たので家具を下見。名市大の退職金でソファを購入しようかと。午後からは山口勝弘さんを訪ね、戦後アヴァンギャルド芸術の始まりについて聞き取り調査をさせて頂く。花田清輝と瀧口修造の対比、それによって戦後アヴァンギャルド芸術の核心を把握出来るような気がする。その後、横浜美術館にて松永さんと打ち合わせ。加えて開催されていた「金氏徹平」展を駆け足で観る。夜は知り合いと飲み。

5/28
午前中は国立近美にて、山口勝弘関係の資料を閲覧させてもらう。瀧口修造が山口勝弘に宛てた葉書の複写など、目眩がするような資料ばかり。そして昼からは「ヴィデオを待ちながら」展を観る。近美の大谷さんらとお話しした際に聞いたところ、出品作を全て見倒すと13時間かかるらしい。なるべく全部観るようにしていたら、半分もいかない辺りで時間切れ(笑)。数日後もう一度観に行くつもりだ。その後、牧野さんと渋谷で待ち合わせてワルシャワに行き、CDを一枚購入。そのまま近くのベトナム料理屋にてNo Fun Fest上映の土産話を聞く。牧野さんがPrurientと親しくなったというのは、かなり意外な話だった。パワエレのような後ろ向きでネガティブな音楽を聞いている牧野さんの姿は、ちょっと想像がつかないが(笑)。Prurientの「Cocaine Death」等を聴かせてもらう。しばらくして石田尚志さんと松山由維子さんも合流される。お二人には初めてお会いするのだが、以前より牧野さんからいろいろと話は聞いていたので、あまり初めましてという感じもしなかった。お二人の作品集まで頂いてしまって恐縮する。そのまま閉店まで飲む。
以下、ワルシャワにて本日の散財。Grey Wolvesのカセット作品のCD再発。PrurientのレーベルであるHospital Productionsより。
Grey Wolves - Judgement / CD

5/29
名古屋へ新幹線で移動。前の職場に顔を出して、食堂のおばさんや一部の方々に挨拶。顔を見ると不快になる教員が何名かいるので、名古屋市科学館へすぐに移動。メアリー・アン・ドーンの講演「時間は空間になったか?―映画、デジタルアート、予告編」を聴く。時間が空間化する~すなわち時間という連続性のなかで不可分なものとして存在していたものが、近代において物や数値に置き換えらてきた流れを、ベルクソンやジェイムソンを参照しながら確認する。そして、それを最近のハリウッド映画の予告編、蔡明亮『落日』の映画館のシーン、杉本博司の写真、ジム・キャンベルの『照射される平均値 #1』から読み解くという内容であった。確かに時間性が映像において、どのように切り刻まれ圧縮されているのかを考察するのは興味深い。しかし、個々の例に立ち入ると杉本博司やジム・キャンベルといったサンプルは、この問題設定においては意図的なバイアスがかかり過ぎている気がしないでもない。

会場では久しぶりに堀さんと再会。堀さんの同僚だという門林さん達と連れ立って飲み。私はカテゴリーとしての「実験映画」内部の閉じた状況を批判しているが、その一方で「実験映画」外部の、具体的にはある種のフィルムスタディーズの研究者が実験映画を論じることにも違和感を覚えている。そんな悩みを聞いてもらう。話しているなかで堀さんに指摘されて痛かったのだが、やっぱり私の考え方は矛盾している。単に私の心が狭いだけではないのか、という気にもなる。それに引き替え、堀さんや門林さんのフーコー的な射程の広さはどうだ。何だか私が極めて細かい所で小さな事柄にこだわっている小さな人間のように思えてくる。途中で堀さんらと別れて、約束していた知り合いらと飲みへ。

5/30
名古屋にて一泊。午前中は昨日会えなかった知り合いと会う。その後、名古屋大学の映像学会大会へ。メアリー・アン・ドーンの講演「クロースアップ―映画における不動性とスケール」とディスカッションを聴く。本日はクロースアップの問題を取り上げていたのだが、問題設定のベースにあるものは、昨日の講演と同じく、近代が様々な方法によって(クロースアップの問題においてはスケールの可変によって)対象を空間化したということだろう。このなかで劇映画のサンプル(西部劇など)に混じって、ウィラード・マースとマリー・メンケンの『身体の地理学』が取り上げられており、やや唐突だなと思えてしまった。フィルムスタディーズのコンテクストにある研究者が幅広い関心を持ち、実験映画について言及することは評価すべきことなのだが、これは適当な言及だったのだろうか。あるいは「実験映画」という狭義のカテゴリーを脱構築するような有意義な言及だったのだろうか。

このように思ってしまったことは講演の問題ではなく、むしろ私の過去の経験に理由がある。私は昔、あるフィルムスタディーズの研究者に、私が実験映画やビデオアートを研究していることについて、「これは(私のやっていることを指して)ジャーナリズムだね」と言われたことがある。この言葉は今も私のなかで重く響いている。誤解のないように言っておくと、そのフィルムスタディーズの研究者に悪意があったとは全く思っていない。むしろ、その言葉は私個人の書いたものの粗末さに向けられたのではなく、何か別のものに向けられていたように感じられる。そして、その言葉は私のなかで「フィルムスタディーズにおいて実験映画やビデオアートが軽視され、劇映画ばかりが言及されるのは何故なのか」という疑問が浮上する契機となった。その出来事の後しばらくしてリピットさんや堀さんと出会って、彼らの実験映画やビデオアートへのスタンスに共感を持ったこともあり、その疑問も随分解消されていたのだが、この日は久しぶりにその疑問について考えさせられた。

講演終了後、懇親会をパスして名古屋大学を後にし、今池で知り合い何名かと会う。この知り合いとの話し合いのなかから、また一つ面白い試みがスタートしそうな気配。そして最終ののぞみで東京へ戻る。今回は越後谷さんと会う余裕がなかったのが残念だ。

5/31
先日、半分しか観られなかった「ヴィデオを待ちながら」展の続きを観ようと、再び国立近美へ。閉館ギリギリまで作品を見続けて、何とか全作品を見倒した。さすがに長い作品は最後まで見られなかったが、30分以下の作品はなるべく最後まで観るようにした。つい先日メアリー・アン・ドーンの講演を聴いた訳だが、この展覧会を「ビデオやフィルムといった映像メディアが、芸術のコンテクストにおいて身体/行為/場所をどのように空間化したのか?」という問いについての、豊富な回答集としてみると面白いなと思えた。特にロバート・スミッソンの『スパイラル・ジェッティ』が強く印象に残る。ただ、展覧会自体はかなり楽しかったのだが、ビデオアートの歴史や美術家のフィルム作品と隣接する他ジャンル(実験映画)の関連が問題にされてこなかった国内の状況下では、本展がビデオアート周辺の歴史を踏まえる展覧会であると理解されかねない構成であることが少し気になった。
その後、新宿に出てユニオンを巡回する。欲しいレコはあったのだが、金が足りなかったので何も購入せず。

6/1
午前中は家具を購入しに行く。念願のソファだ。これでもう床に薄い布団を敷かなくて済む。その後、丸一日かけて北へ移動。往きと同じくスカイマークに乗って旭川経由である。旭川から稚内への列車では、さすがに窓の外が真っ暗で、まるでトンネルの中のようであった。予定も立てずに行き当たりばったりの一週間だった。ようやく北海道へ戻ってほっとする。

追記:帰ってきてすぐ、疲れていたのか不注意でスピーカーのツィーターに物を当ててしまい、凹ませてしまう。気分も凹む。

2009年05月24日

模擬授業

取りあえず来週は東京で山口勝弘さんに会って、以前湯浅さんと松本さんに質問した「実験工房」のことや、瀧口修造のことについて、山口さんの視点から聞かせて頂くことにした。あとは草月の資料室にも行くつもりだ。原付に乗るようになって、少しは遠出もできるようになり、稚内も気に入ってきたのだが、やはり調べものをするにはいろいろと不便だ。

というわけで、来週は本州を転々とする訳だが、その前にこちらで片付けるべき仕事として、本日の大学行事がある。模擬授業の題目は「今日の映像表現 その多様性」。

2009年05月21日

さて、

今夜は本当に笹の葉なのだろうか。やってもやらなくても久々の祭りになりそうだ(笑)。

追記:祭りでした。しかし、この宣伝方針はどうなのかね?(笑)。

追記2:三年間、隣の部屋で寝ている二人の姿を眺めながら、これから始まる日々を待っていたんだな…と想像すると、ついニヤケてしまう。

退職金

私は前任校に5年間いたが、とにかく後半数年の人間関係の不和と圧力には悩まされた。挙げ句2008年の12月に「本年度で任期は終わり、延長はない」との通達がなされた。それ以上の理由は一切示されていない。その段階では、次の転職先は決まっていなかった。その後の顛末は以前のエントリーで記した通りだ。そして本日、退職金の目細が届いた。
このご時世、退職金が貰えるだけ有り難い。それについては深く感謝するが、と同時に昨年12月に味わった、社会的存在としての“大学”への幻滅や失望感といったものがよみがえってきた。もう蒸し返さない方がいいのだろうか。もう済んだことにして、さっさと忘れるのが正解なのだろうか。

2009年05月20日

記録: 本日の散財

以下、日本の古本屋経由でオーダー。
「GS」のバックナンバーを1冊

以下、OmegaPointにてオーダー。
小林米作,一柳慧 - 作曲・一柳慧 短編科学映像集 / DVDRx2

図書館にて「アメリカ映画と占領政策」を相互貸借で手配して頂く。

2009年05月19日

記録: 本日の散財

以下、日本の古本屋などにてオーダー。
岩本憲児 - ロシア・アヴァンギャルドの映画と演劇
リュダ&J. シュニッツェル+M. マルタン=編 - 回想のロシア・アヴァンギャルド
ユリイカ1985年12月号 - 未来派 モダニズムの総決算
平野共余子 - 天皇と接吻 アメリカ占領下の日本映画検閲

これらに加えて「アメリカ映画と占領政策」をネットにて探し求めるが発見出来ず。

記録: 本日の散財

以下、Amazonにてオーダー。予習。
フレドリック・ジェイムソン - 政治的無意識 社会的象徴行為としての物語
フレドリック・ジェイムソン - 時間の種子 ポストモダンと冷戦以後のユートピア

2009年05月18日

サプリメント

「けいおん」が面白い。どこか「カレカノ」っぽい演出もいいのだが、平穏な日常において、親密な人間関係のなかで交わされるであろうやり取りが、デフォルメされつつ丁寧に描かれていて。幼児は架空の世界のなかに冒険や悲劇を夢想するが、私は架空の世界のなかに欠けた日常を投影する。今日の社会状況下、家庭を持つことなど金銭的に夢のまた夢で、将来設計もままならない人間が、架空の世界のなかに欠けた日常を投影して何がおかしい。そりゃ現実の世界が充足しているに越したことはないが、それは誰もが手に入れられるものではない。

ここであまり書くつもりはないが、私は未だに、それなりに商業アニメを観ている。思い返せば、私がよく観ている商業アニメは、日常性の演出に何らかの工夫を凝らした作品ばかりだ。少し古い例を挙げれば「serial experiments lain」「Niea_7」だ。さらに言えば私は商業アニメにおいては、本当のところ構築された物語すら必要としていない。演出された日常空間に30分間浸れればそれで充分である。しかもこの日常性の演出とは、作品によって、スタッフによって全く方法論が異なる。日常性とは、簡単に一言で片付くようなものではない。なので浸れば浸るほど、技術的な面でも面白い差異が見えてくる。まあ何だかんだ言っても、結局のところこれは、例えるならサプリメントで欠けた栄養素を補給しているという、シンプルでパーソナルな話に過ぎない。なので大っぴらにするような話でもないのだが。

2009年05月17日

「 We Stood Our Ground: Slaughterhouse, Berlin 05.05.2007」を観る

スウェーデンのこの辺りのユニットが、どのような形態でライブを行うのかを知りたいと思って購入してみたのだが、余りの熱い内容に興奮する。2007年、ドイツでのライブである。Ochu、Regim、Moljebka Pvlse、Treriksroset+Sewer Election、IRMという順で、ライブは進行する。
メタルジャンクを片手に上半身裸で吠える、Regimの精悍なパワーエレクトロニクス。Treriksroset+Sewer Electionによる轟々たるハーシュ。そして二人のメンバーが、ベースとアジテーションをそれぞれ担当するIRMが特に素晴らしい(もう一人のメンバー見当たらないのだが…)。IRMは、私が所持しているCMIの盤よりもライブの方が断然面白い。重低音ドローンにパワーエレクトロニクスが掛け合わされ、ドローンに麻痺した耳に、高音域ノイズとアジが突き刺さってくる。

追記:IRMには現在、元Katatoniaのメンバーが加わっているらしい。これはなかなか面白い人脈だ。

2009年05月16日

余波

アメリカ映画・メディア学会(SCMS)の東京での大会が中止になったらしい。私は会員ではないが、恩師や知人が発表をする予定だったので、何日か見に行くつもりでいた。中止理由は新型インフルエンザの流行のためだそうだ。コーディネーターの方の無念をお察しします。

せっかく飛行機のチケットを取ったので、搭乗日を変更して、パスするつもりでいた名古屋での映像学会の大会に行こうと思う。会場はなんと野依記念学術交流館。前に住んでいたマンションからならすぐの場所だが、今回は違う。移動で丸一日潰れる。今回はANAではなくスカイマークで行くので、旭川まで鈍行で出て、そこから羽田へ飛び、そして新幹線という強行軍になる。何でわざわざ行く気になったかというと、今回の講演ゲストがメアリー・アン・ドーンだったからだ。近年、海外のフィルムスタディーズの文脈にある映画研究者に、視覚芸術そのものを論じるような傾向が見られるのだが、実際に講演を聴いてその辺を確認してみたいと思った。しかも関連企画として、以下のような中京大学の公開講座まである。

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中部地域で行われる日本映像学会第35回大会に連動して中京大学ではメアリー・アン・ドーンさんの公開講座を大会の前日29日に開催します。

「Has Time Become Space? 時間は空間になったか?―映画、デジタルアート、予告編」
日時:5月29日(金)3:00~4:30
会場:名古屋市科学館サイエンスホール

講演概要:杉本博司の劇場写真シリーズ、jim campbellのデジタル写真、蔡明亮の「楽日」、それにハリウッド映画の予告編などを分析しながら、ベルクソンとジェイムソンがそれぞれの見地から批判的に提起した「時間の空間化」という問題系を、現代のメディア環境に生じている特徴的な現象として読み解き、再考します。

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私はフィルムスタディーズの文脈とは一切関わりなく、実験映画や現代美術(ビデオアート、メディアアート)の文脈で今まで細々とやってきたので、商業的な劇映画や銀幕のスターを文化論的に読み解いたりするタイプの映画研究にはそれほど興味がない。だが、この講演内容は興味の範疇、ストライクゾーンど真ん中である。(もう申し込みは終わっているようです。)

あとは、この前後で「ヴィデオを待ちながら」と池田亮司展を観ようと思う。この機会に行かないと会期が終わってしまう。

2009年05月15日

Faustの新譜を聴く

「Schiphorst 2008」を聴いてみたが、もうFaustのライブ盤は追わなくてもいいかもしれないな、と思った。スタジオで作り込んだ作品の方がいい。なので、新作の「C'est Com...Com...Compliqu」は結構楽しめた。イルムラー主導のFaustよりも、ペロン主導のFaustの方が好みである(再来日は結局観に行かなかったのだが)。
いまのところFaustという名義は、イルムラーのFaustと、ペロンのFaustの二つに分裂したような状態だが、もうこの二人は一緒にやることはないのだろう。

2009年05月14日

芸術と政治は常に出会っていた

このところ、ある論文をまとめようと苦戦していたのだが、今回は諦めた。理由は、ひとえに自分の中の歴史的パースペクティヴをまとめるには、まだまだ調査不足であると判断したためである(要するに自分の怠惰のせいである)。基本的なアイデアとしては、ポスト近代資本主義によって社会空間が包摂されたというネグリの論理を引きつつ、そこからマルチカルチュラリズムやマイクロポップの芸術を批判するつもりでいた。これらは結局のところ多様性をまずい方向に拡大しながら、膨大な項目のうえで横滑り(=消費)を繰り返しているに過ぎないのではないかと。

このような前置きで、美術の現状を批判した後に「マルチチュードの芸術」を展開する…そのような安直なプランが実行できればどんなに楽だったろうか。実のところ私は「マルチチュードの芸術」については、可能性を感じつつも引っかかるものを感じている。一方で私は毛利嘉孝や福住廉のスタンスにも違和感を持っているのだが、これらの違和感はどこか似ている(彼らの文章をそれほどしっかり読んだ訳でもないので、誤解しているのかもしれないが)。芸術の歴史が、何か軽く扱われているように思えるのだ。まあ後者のグループは、ある意味では社会学者らしいとも思うが。

歴史とは、それ自体が多層性を持つものであり、それ故に過去のあらゆる地点において社会化した芸術とは、すでに存在していたのではないだろうか。「芸術と政治の出会い(そこない)」と毛利はネグリ来日騒動の際に書いたが、「芸術と政治は常に出会っていた」のではないだろうか。これは反動的なモダニズムや一元的な歴史主義とは無縁の思考である。ここから別の歴史的パースペクティヴを把握する必要があったのだが、どうも納得のいく形にまとめきれなかった。時間はあったはずなのだが、計画性がなさ過ぎて。とりあえずこのアイデアは別の機会に流用するので、調査は続行するつもりだ。

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Hirofumi SAKAMOTO/
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