論文を書くための資料集めが、資料集めのための資料集めになりつつある気がする。もともと集めだすときりがなくなるタチだが、この状況はややまずい。特に金銭的に。
連日図書館で複写申し込みの日々だが、いっそのことよく参照しそうな雑誌の目次を、(1970年以前に限って)全て複写してしまおうと思い立つ。キネマ旬報、映画往来、映画評論、世界映画資料、パテーシネ、小型映画、芸術新潮、美術手帖、美術批評、文化評論、新日本文学、Vou...。
ここに既に所有している第一次映画批評、第二次映画批評、季刊フィルム、芸術倶楽部、現代芸術、映像芸術、記録映画、プロレタリア映画などを加えれば、一通りの流れがつかめそうな気がする。それでも未入手の資料がまだまだある。こうなってくるときりがない。資料集めも大概にしないと、いつまでたってもコピーの山に埋もれるばかりだ。
こうやって昔の資料にあたっていると、思うことがある。戦前戦後日本の芸術と文化の流れについて。
あらゆる文化は政治的傾向と芸術的傾向という二つの別々の価値観によって、その価値をはかられるべきだというのが私の見解である。第二次大戦以前の芸術は、多くがその見解に沿うものであったと思う。ロシアアヴァンギャルドも、ダダ・シュルレアリスムも、政治と芸術という両面性を持っていた。
日本における戦前の文化も何らかの形で両面性を持っていたと思う。しかし戦後の社会主義運動を経て、68年を頂点とした新左翼の運動が霧散すると、政治的傾向は縮小されてしまった。そしてポストモダニズムの到来となる。こうなると政治的傾向は文脈の相対化と消費文化の拡大のなかで変質する。政治的傾向はそれまでの大きな物語から個人の小さな物語へと向かい、個人の生の肯定という生温いものとなるか、あるいは多元文化主義へと至った。
芸術的傾向もポストモダニズムの洗礼を受けて表層的な記号に分解され、シミュレーショニズムへと向かう。ここで表現におけるモダニズムの歴史、すなわち表現における大きな物語は打ち捨てられた。
シミュレーショニズムを経てサブカルチャーと見分けのつかなくなった芸術的側面と、個人の生としての小さな物語という政治的側面。この二つの側面は、遂には単なる個人の生の露出という最低レベルの表現まで呼び込むことになった。
この状況にはうんざりさせられてきたが、近年はネグリが注目されるなど、政治的傾向を急進的に重視する左翼人が元気になってきている気がする。芸術的傾向の方も、テクノロジーの発展によって複雑化するメディアとの関わりにおいては全く失望していない。
全てのイデオロギーが相対的なものとして存在し、社会と動的に関連し合うのであれば、私は私なりに、政治的傾向と芸術的傾向を強く打ち出してゆくこと、考えてゆくことを試してみたい。
資本主義はますます暴力性を露にし、メディアは際限なく複雑化している。政治的側面でも芸術的側面でも状況は整っているのだ。
それにしても80年代〜90年代は退屈な時代であった。80年代〜90年代は文脈から解放され、無数の差異のなかで漂流しながら、現状を追認する形でしか時代を捉えてこなかった。しかし追認と実践は違う。
本当であれば無数の差異のなかで、自らを賭した実践によってその時代を検証せねばならなかったはずだと思える。