ここ数年は本を買うペースも読むペースも、それ以前の比ではなくなっている。もともと論文の資料集めのつもりが、伸びる枝のように興味対象は広がるばかり。各分野のいろいろな本を読んでいて思うのは、ひとつひとつの研究や言説や思想は、それ単体で発生しているものではないという当たり前のことだ。研究や言説や思想は、その前後の研究や言説や思想とのつながりにおいて書かれており、それは歴史としての連続性ー肯定であれ批判であれー、そのつながりを意識しなければ、読み手の血肉とはならない。もちろん芸術=テクストとしての作品も同じく。
過去に点で読んだ本も、今なら線としての把握において捉え直すことが出来る。この連続性の意識は、共同体意識と同じものだ。我々は個体ではなく、大きく広がる文化的社会空間において、複雑な関係性において存在している。教科書的な歴史ではこの連続性は単なる時間の堆積としてしか意識できなかったが、今ならそれを有機的な、微細な項目の集合体/共同体として意識できる。時間/時代と場所が異なり離れていても、ここから遠いものとは思えない。正しいとか間違っているとか、新しいとか古いとか、そのような尺度は無効となる。微細な項目の集合体として、時間/時代と場所を捉えるのであれば。
追記:
ただし、この共同体意識とは、微温的な依存による安心感をもたらすものではなく、冷たく厳しい調子で開示された自律を各個に要求するものである。ここでいう共同体とは中央集権的な(皆で一つとなるような)共同体ではなく、各個が差異を持っているからこそ成立する、アナキズム的な共同体なのである。