« 記録: 本日の散財 | メイン | 今週の非常勤 »

文化のゆくえ

「アナログレコード小売大手「倒産」 DJの「レコード離れ」が響く」
http://excite.co.jp/News/entertainment/20081104/JCast_29750.html

この界隈の音楽から遠ざかってしまっていたのだが、シスコ倒産の知らせは衝撃的だった。

そしてこの状況の変化について、単にアナログの音質がどうとか暖かみがどうとか、PCDJという機材環境の発展をポジティヴにとらえるべきだとか持ち運びが楽でいいとか大事なのは音楽そのものだとか、そういうことではない部分で何か引っ掛かる。その引っ掛かる点とは、たぶんビニールの溝に刻まれた過去の膨大な文化的蓄積が死蔵されるのではないかという懸念と、クラブ文化の持っていた良かった部分(聴取の構造)が失われるのではないかということ。

当然ながらBeatportがマイナーなレーベルやトラックメイカーまでフォローしている訳がなく、実際にいくつか思いつくままに、サイトにて検索してみたものの、その多くはヒットしなかった。勿論今後、ネット上でのデータ販売の拡大によりフォローされる範囲は広がってゆく可能性はあるが、完全な流通形態の移行は、かなり遠い将来となるのではないだろうか。さらに膨大な文化的蓄積としての、過去にリリースされた12インチ音源はどうなるのだろうか。そこまでのフォローをネットでのデータ販売に期待することはできないだろう。有名DJが膨大なレコードをキャプチャしてデータ化しているという話は聞くが、そこに割かれる労力はなんとも非生産的なものに思える。
要するに、従来のレコードというメディアによって流通している(していた)コンテンツを、ネット上でのデータ販売が完全に包摂するのはまだまだ先の話となるだろうし、それまではPCによるDJ達は、ネットからのデータの入手とレコード音源のキャプチャを併行して行わざるを得ないだろう。なんだか過渡期とはいえ違和感がある。しかしながらこれは将来において解消されるであろう問題だ。

それよりもクラブ文化の持っていた聴取の構造が失われるかもしれないことの方が気になる。(ダンスミュージックを中心とした)クラブ文化の良かった点とは何か。それは演奏者→観客という聴取の構造を解体し、聴取の場におけるヒエラルキーを無くしたことにあるだろう。そこではレコードさえかけられていれば、演奏者がいなくとも音楽のプレゼンテーションが成立していた。そうなるとDJの役割はレコードをかけるだけだったのか。いや、そうではなかった。DJはその病的な音楽への偏愛そのままに大量のレコードを蓄積し、その中から一定の価値観に基づき音源をミックスすることで、存在意義を発揮していたと思う(DJとは文化資本を持つ者の呼称だった)。しかしネットでの音源データの容易な入手はこの存在意義を危うくする。誰もが簡単に音源データにアクセスするようになることで、例えばあるDJのプレイリストさえ分かれば、一晩でそれを模倣することが可能となるかもしれない。このような模倣はレコードという流通形態でも起こりうる問題であったが、そのハードルはネットでの音源データの入手によって著しく下がるだろう。
こうなると、この事態はクラブで他人のiTunesのリストを聴かされることと、一体どこが異なるのか分からなくなってくる。まあ別にそれはそれで、文化の共有の観点からすれば良いことなのかもしれないが、DJになるためのハードルとDJの存在意義は著しい低下を免れないだろう。それによってクラブにおけるヒエラルキー無き聴取の構造が崩れかねないと思えるのだ。このDJになるためのハードルとDJの存在意義の低下は、クラブを下らないもの、飲んで騒いで楽しんでという単純な遊興の場へ下降させるのではないかと思う。アナログへのフェティッシュのような素朴な次元ではなく、根本的な次元で、一つの文化のあり方(あるいは聴取の構造)が終了してゆくように思えてならない。

以上は杞憂に終わる気もするし、そう簡単にダンスミュージックにおける12インチのリリースも無くならない。それでも文化のあり方は大きく変わってゆくだろう。

About

2008年11月04日 22:23に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「記録: 本日の散財」です。

次の投稿は「今週の非常勤」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.34