記録: 本日の散財
以下、OmegaPointにてオーダー。
Laurie Scott Baker - Gracility / CDx2
Cornelius Cardew - Consciously / CD
Cornelius Cardew - We Only Want The Earth / CD
Jean-Claude Eloy - Gaku no Michi / CDRx2
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以下、OmegaPointにてオーダー。
Laurie Scott Baker - Gracility / CDx2
Cornelius Cardew - Consciously / CD
Cornelius Cardew - We Only Want The Earth / CD
Jean-Claude Eloy - Gaku no Michi / CDRx2
GW中は職務の手を止めて、絶対に自分のことだけをするようにしたいと思う。そんな訳で、今日は本を二冊読んだ。そのうち一冊は「芸術の名において」。この本は「アンフォルメル以後」と同じく、読んでいて、自分の中に冷たい高揚感を覚えるような本である。
自宅にこもってばかりで、あまりに自堕落であった連休中の生活に区切りを付けるべく、原付で少しだけ遠出。宗谷岬を目指す。今日は風が弱く、天気もよくて暖かかったので、走っていて気持ちがいい。
宗谷岬に着いて海を眺めていると、ああ自分は北海道に住んでいるのだなと、ついつい忘れてしまいがちな事実を思い出した。旧海軍望楼にも登ってみた。樺太/サハリンはよく見えなかった。帰りに宗谷丘陵もちょっとだけ走ってみたが、あまりに丘陵地の眺めがよかったので、次回に来るときは、こちら側から宗谷岬へ向かってみようと思った。

以下、Meditationsにてオーダー。
Silmaril - The Voyage Of Icarus / CD
Stone Harbour - Emerges / CD
Clearing - Clearing / CD
以下、近くのゲオで購入。これくらいしか読むものが…。
鈴木謙介 - カーニヴァル化する社会
以下、ネット経由にてオーダー。読みそびれていました。
朝日ジャーナル(週刊朝日緊急増刊) - 創刊50年 怒りの復活

(Elegy/CD)
1969年に発表された、柔らかく夢見心地な英国アシッドフォーク。多くの英国フォークバンドが所属していたセプテンバー・プロダクション絡みだそうだ。アシッドフォークといっても、3人のメンバーが、ギターの他にもオーボエやサックス、ヴァイブラフォン、ボンゴ、ヴァイオリンといった多くの楽器を器用に奏でていて、室内楽的な上品さがある。それに加えて、プログレっぽい技巧や大胆な展開も時々織り交ぜてくる。だからといってあまりやり過ぎてもおらず、ちょうど良い案配である。基本的に少しトラッドっぽい、甘いメロディが根幹にあるので、のんびりと聴くことができる。
現実が過酷であればあるほど、こういった嘘くさいほどに平穏な音世界は際立ってくる。アシッドフォークを現実からの逃避のために聴く廃人にとって、本作は、昼下がりのうたた寝のよい伴となるはずだ。
近年、「ヤバい」という言葉に回収されるような単なる趣味嗜好のレベルにおいてではなく、より直接的な現在との関係性のレベルにおいて、60年代文化の再評価が進められているような気がするのだが、とうとう60年代文化の本丸であったフィルムアート社から、68年〜74年にかけて刊行されていた『季刊フィルム』『芸術倶楽部』の記事を再編集した書籍が刊行されるらしい。素晴らしい。
しかし我々は60年代文化の再評価を、歴史の確認という意味ですませてはならないのだと思う。60年代文化を、今の文化の歴史的なルーツとしてではなく、参照点として読み替えることこそ、現在において求められてくる。大きな歴史の終わりと、記号化と拡散の時代のはじまり。その両者の狭間に存在した60年代とは大きな転形期であった。そこで付された問いとは、あらゆる既存の価値観を問い直すものであった。この強烈な問いは、現在においてこそ有効であろう。
またこのような動きは、美術手帖「創刊60年記念特大号」において完全に欠落していた(あるいは編者により隠蔽されていた)視点を明らかにする良い契機にもなると思う。
あとは第二次『映画批評』についても、どこかの出版社に総集編を刊行して欲しいと思う。第二次『映画批評』も60年代文化を考える上で、『季刊フィルム』と同じくらい重要な雑誌である。どちらも欠けてはいけない。時代の全体像を見るためには。
以下、Incusにてオーダー。買い逃していたものと待っていたもの。
Derek Bailey - Lot74 / CD
Derek Bailey - New Sights, Old Sounds / CDx2
Joseph Holbrooke '65 - Rehearsal Extract 10'26 / CD
Joseph Holbrooke '98 - / CD
以下、フランスのAmazonにてオーダー。
Joris ivens - vol. 1 / DVD
Joris ivens - vol. 2 / DVD

(Creel Pone/CDRx2)
シュトックハウゼン、ブーレーズ、プスールらに学んだというJean-Claude Eloyのミュージック・コンクレート作品。本作は1977年、1978年に日本に滞在し、NHK電子音楽スタジオにおいて制作されている。オリジナルは4時間にわたる長尺の作品であるためにLP二枚に抜粋収録されて、1979年に発表された。
一枚目は、冒頭の楽曲「東京」から、高密度に束ねられた無数のドローンノイズが、大きなダイナミズムをもって軋み蠢く。このノイズはフィールド録音の加工によるものだが、その迫力は凄まじい。大音量で聴くと、Organumをも凌ぐその豊穣なドローンノイズの束に唖然とするはずだ。二枚目は比較的静謐な楽曲が並ぶが、最後の楽曲「回想」の終盤が特筆もの。消え入りそうな弱々しさで、どこか国歌を思わせるようなシンプルなメロディの、音楽未満の音楽のかけらが靄の向こう側でこだまする(初期のジム・オルークのドローン作品に、Pita「Get Out」の例の曲を掛け合わせたような感じか)。長大な物語のような、ミュージック・コンクレートの傑作である。
以下、Amazonにてオーダーと予約。
芹沢一也:編, 絓秀実, 橋本努, 鈴木謙介, 荻上チキ - 革命待望! 1968年がくれる未来
季刊フィルムコレクション・編集部 - 「芸術」の予言!! 60年代ラディカル・カルチュアの軌跡
映画芸術2009年5月号 - 「特集:恋愛映画」
ペドロ・コスタ - コロッサル・ユース / DVD
庵野秀明 - ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 (EVANGELION:1.11) / Blu-ray
以下、Amazonにオーダー。Faustについては、前回のDVDがあまりに下らなかったので、追い続けるのを少々ためらったのだが、やっぱり購入しないわけにはいかない。Fire on Fireについては、余りこの手のシーンは知らないのだが、試聴してみた限り好みのタイプだったので。
Faust - Schiphorst 2008 / CD
Faust - C'est Com...Com...Compliqu / LP
Fire on Fire - The Orchard / CD
以下、Molehillにてオーダー。
Minamata - Cyclator / CD, DVD
v.a. - We Stood Our Ground: Slaughterhouse, Berlin 05.05.2007 / DVDR
v.a. - White Nights / MCx4
no artist - Dokument 2: Doomsday Cults / MC
no artist - Dokument 3: Antonin Artaud / MC
no artist - Dokument 4: The Death Tape / MC
以下、日本の古本屋にオーダー。
アンリ・ルフェーヴル - パリ・コミューン 上下揃

(Locust music/CD)
キリスト教徒の若者らの集まりの中で結成されたフォークグループ、と聞くと単なるホーリーな雰囲気のフォークを思い浮かべるかもしれないが、このSilmarilの(というよりリーダーであったMatthew Peregrineの)精神の遍歴はもっと複雑なものであったかもしれない。Peregrineはキリスト教徒であり、同性愛者であった。Silmarilの音楽において、彼はどこか神秘主義的な暗い世界観へと足を踏み入れたように思える。彼は73年にグループを解散させた後、ゲイコミュニティへと移って生活し、HIV感染によって90年代に死亡している。この生き方自体、どこかバタイユ的なるものを感じさせる。宗教を介し、神秘主義的(ペンテコステ派であったらしい)なるものを経由して、その反転として蕩尽へと至るというルートが。またトールキンからとられたバンド名からも分かるように、ミドルアースの物語にも影響を受けているようだ。
その音楽はアコースティックギターを中心とした禁欲的なものであり、男女のヴォーカルが寂寥感を漂わせながら歌い上げられる。メンバーらはIncredible String Bandのカヴァーも演奏していたらしく、確かに英国トラッド&フォークに近い印象があり、とても美しく、そして暗い楽曲が並ぶ。ロック的なドロドロしたサイケ感覚は皆無である。特にシタール(?)入りの楽曲である「Vespers」が印象的だ。また、「October Road / Sleeping Magnifical」のようにミニマル風味のインストを演奏する楽曲もある。さらに終盤の展開が白眉であり「Revelation 13:11:18」はヨハネの黙示録を朗読する背後にて奇怪な電子音が響くというトラック、それに続いて「Songs of the Apocalypse」という暗示的なタイトルの楽曲で締めくくる。この一連のイメージは、やはり私のなかではバタイユに重なる。
このところ、ある論文をまとめようと苦戦していたのだが、今回は諦めた。理由は、ひとえに自分の中の歴史的パースペクティヴをまとめるには、まだまだ調査不足であると判断したためである(要するに自分の怠惰のせいである)。基本的なアイデアとしては、ポスト近代資本主義によって社会空間が包摂されたというネグリの論理を引きつつ、そこからマルチカルチュラリズムやマイクロポップの芸術を批判するつもりでいた。これらは結局のところ多様性をまずい方向に拡大しながら、膨大な項目のうえで横滑り(=消費)を繰り返しているに過ぎないのではないかと。
このような前置きで、美術の現状を批判した後に「マルチチュードの芸術」を展開する…そのような安直なプランが実行できればどんなに楽だったろうか。実のところ私は「マルチチュードの芸術」については、可能性を感じつつも引っかかるものを感じている。一方で私は毛利嘉孝や福住廉のスタンスにも違和感を持っているのだが、これらの違和感はどこか似ている(彼らの文章をそれほどしっかり読んだ訳でもないので、誤解しているのかもしれないが)。芸術の歴史が、何か軽く扱われているように思えるのだ。まあ後者のグループは、ある意味では社会学者らしいとも思うが。
歴史とは、それ自体が多層性を持つものであり、それ故に過去のあらゆる地点において社会化した芸術とは、すでに存在していたのではないだろうか。「芸術と政治の出会い(そこない)」と毛利はネグリ来日騒動の際に書いたが、「芸術と政治は常に出会っていた」のではないだろうか。これは反動的なモダニズムや一元的な歴史主義とは無縁の思考である。ここから別の歴史的パースペクティヴを把握する必要があったのだが、どうも納得のいく形にまとめきれなかった。時間はあったはずなのだが、計画性がなさ過ぎて。とりあえずこのアイデアは別の機会に流用するので、調査は続行するつもりだ。
「Schiphorst 2008」を聴いてみたが、もうFaustのライブ盤は追わなくてもいいかもしれないな、と思った。スタジオで作り込んだ作品の方がいい。なので、新作の「C'est Com...Com...Compliqu」は結構楽しめた。イルムラー主導のFaustよりも、ペロン主導のFaustの方が好みである(再来日は結局観に行かなかったのだが)。
いまのところFaustという名義は、イルムラーのFaustと、ペロンのFaustの二つに分裂したような状態だが、もうこの二人は一緒にやることはないのだろう。
アメリカ映画・メディア学会(SCMS)の東京での大会が中止になったらしい。私は会員ではないが、恩師や知人が発表をする予定だったので、何日か見に行くつもりでいた。中止理由は新型インフルエンザの流行のためだそうだ。コーディネーターの方の無念をお察しします。
せっかく飛行機のチケットを取ったので、搭乗日を変更して、パスするつもりでいた名古屋での映像学会の大会に行こうと思う。会場はなんと野依記念学術交流館。前に住んでいたマンションからならすぐの場所だが、今回は違う。移動で丸一日潰れる。今回はANAではなくスカイマークで行くので、旭川まで鈍行で出て、そこから羽田へ飛び、そして新幹線という強行軍になる。何でわざわざ行く気になったかというと、今回の講演ゲストがメアリー・アン・ドーンだったからだ。近年、海外のフィルムスタディーズの文脈にある映画研究者に、視覚芸術そのものを論じるような傾向が見られるのだが、実際に講演を聴いてその辺を確認してみたいと思った。しかも関連企画として、以下のような中京大学の公開講座まである。
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中部地域で行われる日本映像学会第35回大会に連動して中京大学ではメアリー・アン・ドーンさんの公開講座を大会の前日29日に開催します。
「Has Time Become Space? 時間は空間になったか?―映画、デジタルアート、予告編」
日時:5月29日(金)3:00~4:30
会場:名古屋市科学館サイエンスホール
講演概要:杉本博司の劇場写真シリーズ、jim campbellのデジタル写真、蔡明亮の「楽日」、それにハリウッド映画の予告編などを分析しながら、ベルクソンとジェイムソンがそれぞれの見地から批判的に提起した「時間の空間化」という問題系を、現代のメディア環境に生じている特徴的な現象として読み解き、再考します。
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私はフィルムスタディーズの文脈とは一切関わりなく、実験映画や現代美術(ビデオアート、メディアアート)の文脈で今まで細々とやってきたので、商業的な劇映画や銀幕のスターを文化論的に読み解いたりするタイプの映画研究にはそれほど興味がない。だが、この講演内容は興味の範疇、ストライクゾーンど真ん中である。(もう申し込みは終わっているようです。)
あとは、この前後で「ヴィデオを待ちながら」と池田亮司展を観ようと思う。この機会に行かないと会期が終わってしまう。
スウェーデンのこの辺りのユニットが、どのような形態でライブを行うのかを知りたいと思って購入してみたのだが、余りの熱い内容に興奮する。2007年、ドイツでのライブである。Ochu、Regim、Moljebka Pvlse、Treriksroset+Sewer Election、IRMという順で、ライブは進行する。
メタルジャンクを片手に上半身裸で吠える、Regimの精悍なパワーエレクトロニクス。Treriksroset+Sewer Electionによる轟々たるハーシュ。そして二人のメンバーが、ベースとアジテーションをそれぞれ担当するIRMが特に素晴らしい(もう一人のメンバー見当たらないのだが…)。IRMは、私が所持しているCMIの盤よりもライブの方が断然面白い。重低音ドローンにパワーエレクトロニクスが掛け合わされ、ドローンに麻痺した耳に、高音域ノイズとアジが突き刺さってくる。
追記:IRMには現在、元Katatoniaのメンバーが加わっているらしい。これはなかなか面白い人脈だ。
「けいおん」が面白い。どこか「カレカノ」っぽい演出もいいのだが、平穏な日常において、親密な人間関係のなかで交わされるであろうやり取りが、デフォルメされつつ丁寧に描かれていて。幼児は架空の世界のなかに冒険や悲劇を夢想するが、私は架空の世界のなかに欠けた日常を投影する。今日の社会状況下、家庭を持つことなど金銭的に夢のまた夢で、将来設計もままならない人間が、架空の世界のなかに欠けた日常を投影して何がおかしい。そりゃ現実の世界が充足しているに越したことはないが、それは誰もが手に入れられるものではない。
ここであまり書くつもりはないが、私は未だに、それなりに商業アニメを観ている。思い返せば、私がよく観ている商業アニメは、日常性の演出に何らかの工夫を凝らした作品ばかりだ。少し古い例を挙げれば「serial experiments lain」「Niea_7」だ。さらに言えば私は商業アニメにおいては、本当のところ構築された物語すら必要としていない。演出された日常空間に30分間浸れればそれで充分である。しかもこの日常性の演出とは、作品によって、スタッフによって全く方法論が異なる。日常性とは、簡単に一言で片付くようなものではない。なので浸れば浸るほど、技術的な面でも面白い差異が見えてくる。まあ何だかんだ言っても、結局のところこれは、例えるならサプリメントで欠けた栄養素を補給しているという、シンプルでパーソナルな話に過ぎない。なので大っぴらにするような話でもないのだが。
以下、Amazonにてオーダー。予習。
フレドリック・ジェイムソン - 政治的無意識 社会的象徴行為としての物語
フレドリック・ジェイムソン - 時間の種子 ポストモダンと冷戦以後のユートピア
以下、日本の古本屋などにてオーダー。
岩本憲児 - ロシア・アヴァンギャルドの映画と演劇
リュダ&J. シュニッツェル+M. マルタン=編 - 回想のロシア・アヴァンギャルド
ユリイカ1985年12月号 - 未来派 モダニズムの総決算
平野共余子 - 天皇と接吻 アメリカ占領下の日本映画検閲
これらに加えて「アメリカ映画と占領政策」をネットにて探し求めるが発見出来ず。
以下、日本の古本屋経由でオーダー。
「GS」のバックナンバーを1冊
以下、OmegaPointにてオーダー。
小林米作,一柳慧 - 作曲・一柳慧 短編科学映像集 / DVDRx2
図書館にて「アメリカ映画と占領政策」を相互貸借で手配して頂く。
私は前任校に5年間いたが、とにかく後半数年の人間関係の不和と圧力には悩まされた。挙げ句2008年の12月に「本年度で任期は終わり、延長はない」との通達がなされた。それ以上の理由は一切示されていない。その段階では、次の転職先は決まっていなかった。その後の顛末は以前のエントリーで記した通りだ。そして本日、退職金の目細が届いた。
このご時世、退職金が貰えるだけ有り難い。それについては深く感謝するが、と同時に昨年12月に味わった、社会的存在としての“大学”への幻滅や失望感といったものがよみがえってきた。もう蒸し返さない方がいいのだろうか。もう済んだことにして、さっさと忘れるのが正解なのだろうか。
今夜は本当に笹の葉なのだろうか。やってもやらなくても久々の祭りになりそうだ(笑)。
追記:祭りでした。しかし、この宣伝方針はどうなのかね?(笑)。
追記2:三年間、隣の部屋で寝ている二人の姿を眺めながら、これから始まる日々を待っていたんだな…と想像すると、ついニヤケてしまう。
取りあえず来週は東京で山口勝弘さんに会って、以前湯浅さんと松本さんに質問した「実験工房」のことや、瀧口修造のことについて、山口さんの視点から聞かせて頂くことにした。あとは草月の資料室にも行くつもりだ。
というわけで、来週は本州を転々とする訳だが、その前にこちらで片付けるべき仕事として、本日の大学行事がある。模擬授業の題目は「今日の映像表現 その多様性」。