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Review: Experimental Film Archive

2007年03月14日

告知: 45th Annual Ann Arbor Film Festival

由緒ある実験映画フェスティバルであるAnn Arbor Film Festivalにて、松本俊夫先生の作品が特集上映されるとのこと。

45th Annual Ann Arbor Film Festival
March 20th - 25th, 2007

Ken Jacobs, Bruce McClureも特集され、他にも盛りだくさんのプログラムとなっている模様。観に行きたいものだ。まあ、例によって国内の現代美術〜映像メディアはシカトを決め込むのであろうが。上映作品は下記。

Metastasis 8 min
Mona Lisa 3 min
Shiki Soku Ze Ku 11 min
Atman 12 min
Ki=Breathing 29 min
Relation 8 min
Shift 11 min
Engram 10 min
For My Crushed Right Eye 13 min

個人的に好きな作品がもれていたりもするが、妥当なセレクトだと思う。「つぶれかかった右眼のために」は編集版ではなく、映写機3台使用による完全版上映らしい。

2007年03月30日

INDEX DVDカタログ

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既に027までレーベル番号が到達した(まだ一枚リリースが遅れているが)INDEXのDVD。どれを買えばいいのか分からない方のために簡単にレヴューする。購入の手がかりになれば幸いだ。

・Michael Pilz - Facts for Fiction / Parco delle Rimembranze/中堅作家による、固定カメラでの一種のドキュメンタリー作品。
・Pürrer / Scheirl - Super-8-Girl Games/女性作家による作品集。ポップ。
・Linda Christanell - The Nature of Expression/中堅女性作家によるフィルム作品集。どれもこれも不穏な感触が面白い。
・Peter Weibel - Depiction is a crime - Video Works 1969 - 1975/ベテランメディアアーティスト、ウェイベルの初期作品集。お勧め。
・As she likes it - Female Performance Art from Austria/若手女性作家のパフォーマンス的作品コンピレーション。
・Józef Robakowski - The Energy Manifesto!/リプチンスキーらとも行動を共にしたベテラン作家のコンセプチュアルな映像集。面白い。
・Kurt Kren - Which Way to CA?/クレンの作品集。クレンらしい乱雑な高速カットアップ。お勧め。
・Jan Peters - ...but i still haven´t figured out the meaning of life/若手作家による、毎年セルフモノローグを撮影するというプロジェクト。
・Martin Arnold - The Cineseizure/ベテラン作家、マーティン・アーノルドのファウンドフッテージによる痙攣映像。クオリティは恐ろしく高い。お勧め。
・Leo Schatzl - Farrago/中堅作家による映像作品とインスタレーション。
・Dietmar Brehm - Black Garden/中堅作家によるファウンドフッテージによる造形的フィルム作品集。面白い。
・Oliver Ressler - This is what democracy looks like! / Disobbedienti/若手作家による政治的ドキュメンタリービデオ作品。
・Sonic Fiction - Synaesthetic Videos from Austria/グラフィカルでありながら厳格なコンセプトも持った若手作家によるビデオ作品コンピレーション。サウンドはウィーンの電子音響系作家による。面白い。
・Gertrude Moser-Wagner - Concept & Coincidence/中堅作家による、コンセプチュアルビデオ作品集。面白い。
・Gustav Deutsch - Film ist. (1-12) DVD-Version/中堅作家、ドイチェによるファウンドフッテージのみで制作された架空の映画。イメフォで上映されたこともある。面白い。
・Manfred Neuwirth - [ma] Trilogy/中堅作家によるチベット〜日本の風景を撮影した詩的ビデオ作品。
・Lisl Ponger - Travelling Light/若手作家による8mm紀行フィルム。
・Constanze Ruhm - Video Works from 1999-2004/若手作家による、3DCGを使用したコンセプチュアルビデオ作品。なかなか面白い。
・Peter Tscherkassky - Films from a Dark Room/中堅作家、チェカルスキーの再撮痙攣フィルム。クオリティは恐ろしく高い。お勧め。
・Volks stöhnende Knochenschau - A Historic Video News Reel Project/ゲリラテレビジョン的なビデオによるニューズリールのプロジェクト。
・Mara Mattuschka - Iris Scan/中堅女性作家による実写コマ撮りアニメーション作品集。面白い。
・Grzinic/Smid - A Selection of Video Works from 1990-2003/若手作家による政治的〜ポストモダン的パロディ映像。
・VALIE EXPORT - 3 Experimental Short Films/ベテラン女性作家によるフェミニズムをテーマとした系統の作品集。
・Granular Synthesis - Remixes for Single Screen/若手作家グループによるインタラクティブなインスタレーションのDVD版。面白い。
・Kurt Kren - Structural Films/ベテラン作家、クレンのコンセプチュアルフィルム。彼らしい高速コラージュ映像の展開が楽しめる。お勧め。
・Kurt Kren - Action Films/ベテラン作家、クレンによる、ウィーンアクショニズムの記録映像。かなりグロい。お勧め。

ちなみにmyspaceも開始した模様。
myspace indexdvd

相変わらずINDEXの活動は日本国内ではほとんど話題にもならないシカト状態だが、こんな極東の島国の現代美術/映像/メディアアート関連のジャーナリズムやライターのことなんか放置して、より活動に邁進して欲しい。

2007年04月06日

告知: イメージフォーラムフェスティバル2007

イメージフォーラムフェスティバル2007
フェスティバル会期
東京:パークタワーホール 2007年4月28日〜5月6日
京都:京都ドイツ文化センター 2007年5月15日〜5月20日
福岡:福岡市総合図書館(予定)
名古屋:愛知芸術文化センター(予定)
新潟:国際映像メディア専門学校(予定)
横浜:横浜美術館(予定)
主催:イメージフォーラム

本年のイメージフォーラムフェスティバルの特集は「GoodBye "stylish"」らしいが、私が興味を惹かれるのはMプロ「風景を曲げる」、Pプロ「クリティカル・ディスタンス」である。日本プログラムであればJim O'Rourkeが音楽を担当したという牧野貴「No is E」は少し気になる。Jim O'Rourkeの名前をイメフォで見るというのも妙な感じだが、サブカル雑誌でその名を見るよりかはマシな気分だ。音楽と言えば今井和雄がライブ演奏するというJプロ「キリアン・デラーズ・アニメーション・アクト」もあるが、意外な組み合わせだったので「どういう経緯でこんなことに?」と思った。

イメフォについては何だかんだ言われるが、アンダーグラウンドセンターの頃から今まで継続して実験映画をサポートして来た功績はあまりに大きいので今年も例年通り楽しみにしている。日本プログラムについては少し方向を変えて欲しい気もするが。

2007年06月13日

VA - Shoot Shoot Shoot

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(Lux, Re-Voir/DVD)
数年前に世界を巡回した(日本ではイメージフォーラムが配給)、60-70年代イギリス実験映画のプログラム"SSS"のDVDがLuxよりリリースされた。アメリカン・アンダーグラウンド映画における構造映画よりも、もっとフィルムのマテリアル性を前面に押し出した、ジダルの言うところの"構造的=物質主義的映画"が満喫できる。それはフィルムにおけるハードコアであり、ぬるい実験映画やビデオアートが永遠にたどり着くことの出来ない極点に存在している。ガイ・シャーウィンのフィルムリーダーを加工変調したフリッカー効果もともなう「At the Academy」、マルコム・レグライスのフィルム再撮による「ロジャーの犬」、長い反復の中でローキーからハイキーへの像の移行が進められるマイク・リジェットの「Shepherd's Bush」、厳格に視覚と認知の検証を行い、それを二度繰り返す(全く同じ内容にて!これが良い!)ピーター・ジダルの「ホール」、被写体である女よりもフィルムの質感こそがエロティックであるステファン・ドゥースキンの「Dirty」(音楽は意外なことにブライヤーズ)など。コンセプチュアルかつ再撮/加工といったフィルムの物質性に傾倒した作品が多い。ここに収録されなかった傑作も多く、あくまで入門編的なセレクトであるが、あまり知られることのないイギリス実験映画を上手くまとめていると言えよう。…それにしても個人的にはやはりジダルである。是非ともジダル、そしてレグライスに関しては単独でのリリースを行ってもらいたい。あとFaust周辺とも因縁のあるデビッド・ラーチャーもソフト化して欲しい。広義の映像を思考する人間で、このDVDに関心を持てない者は偽物であると断言したいほどに必携、傑作。

2007年07月20日

告知: "Afterimages"大学/図書館向けDVDリリース開始

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Afterimages 1: Malcolm Le Grice Volume 1
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Afterimages 2: Peter Gidal Volume 1
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Afterimages 3: Lis Rhodes volume 1
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Afterimages 4: Vivienne Dick

LUXよりイギリス実験映画のハードコアが続々DVD化される(追記: 大学/図書館向け)。凄い、この日をどれだけ待ち望んだか…。しかもvolume 1であるということは、続編があることは確定。絶対に、一刻も早く入手せねばならない。私の中で黄金期のアメリカ実験映画よりも遥かに鋭利であったイギリス実験映画は、とても大きな意味を持っている。ここで検証され、揺るがされるものは視覚の制度とフィルムのマテリアル性そのものである。国内の芸術関係メディアや批評家がこれを黙殺しようがどうしようが、そんなクズ連中の事は全て捨て置いて、我々はこの映像を経験しなければならない。

2007年08月13日

牧野貴 - No is E

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(Film→Video, 23min, 2006)
私は近頃、芸術の本質とは五感の快/不快や、メッセージ性によって左右されるようなものではなく、その事柄に出会った際に体験される経験そのものであるとの思いを強めております。私は最前列で「No is E」を拝見しましたが、粒子のきらめきが視覚を通して経験されるのを感じ取り、そこに充実感と高揚感を覚えました。一見するとブラッケージ的な、現実のイメージをもとにした抽象映画に近いものと解釈されかねない作品ですが、むしろ私はジェイムス・ベニングの映画に近いものを感じます。大仰な展開を極力排除したうえで、フィルムに撮られた一つの光景が、それ自体が一つの経験をもたらすものとして現実から断ち切られ、眼前に提示される。そこでは「見ることそれ自体の豊かさ、そこで得られるはずの経験の可能性」としての映像が、体験されるべき事柄として観客の前に晒される。消極的な観客にとっては退屈な時間であっても、積極的な観客にとってこれは新たな経験の契機となります。

上記は私が作家へ送った私信に加筆したものである。フィックスで撮影される水面の光の乱反射は、ストイックな手法により多重化される。これは断じて安直に抽象を指向した作品ではない。牧野貴の作品は、イメージそれ自体を媒介として、観た者の内において経験とともに生成されるものである。この作品は作家の内面の表現でもなく、自律した外界の提示でもない。ここで作品は作品となる境界線上で、生成されるか霧散するかの状態で揺らめく光そのものとなる。それは極めてシンプルで、その反面極めて混沌としたものである。本作品の音楽はジム・オルークが担当している。

2007年12月03日

告知: 第12回アートフィルム・フェスティバル

第12回アートフィルム・フェスティバルが今年も行われる。越後谷氏の慧眼により、数年ぶりに国内でワイズマン特集。私は数年前の特集にて「臨死」を、ブートレグにて「チチカット・フォーリーズ」と「高校」を観た。ダブりがないので、急用さえ入らなければ、ほとんどを観る事になりそうだ。講演も二本企画されているのでこれも気になる。以下、芸文センターの解説より転載。

第12回アートフィルム・フェスティバル
http://www.aac.pref.aichi.jp/bunjyo/jishyu/2007/aff/index.html

会期:2007年12月5日(水)〜16日(日)*12月10日(月)休館
会場:愛知芸術文化センター12階アートスペースA
料金:無料

「アートフィルム・フェスティバル」は、映像表現の新たな局面を切り開くような、ユニークで斬新な作品に焦点を当て、映像表現における実験性を追及してきました。 第12回となる今年は、カール・ドライヤー、フレデリック・ワイズマンの、世界映画史上において、極めて独自でユニークな映像世界を作り上げた二人の重要作家を取り上げるとともに、愛知芸術文化センターが開館以来、継続的に取り組んできた実験的な映像作品の自主制作プログラム「オリジナル映像作品」を、開館15周年を期に全作品一挙上映し、その歩みを振り返ります。

●オープニング上映:聖なる映画作家、カール・ドライヤー 《12/5(水)》
 サイレント映画時代は、映画独自の表現の追求が、劇映画、ドキュメンタリー、実験映画の別なく行われていました。後年、ジャン=リュック・ゴダールやジョナス・メカスら、多くの映画作家から敬意を表されたカール・ドライヤーも、ジャンルを越えた偉大な作家の一人といえるでしょう。本映画祭では、ドライヤー作品の中でも1920年代のアヴァンギャルドとの関わりが深い『裁かるるジャンヌ』(1927年)と『吸血鬼』(1930−31年)の2本を特別にセレクトし、オープニングとして上映します。今日の細分化が進んだ状況では稀有となった、ジャンルを超越した地点でしか得られない透徹した映像美は必見です。

●特集1:フレデリック・ワイズマン、ドキュメンタリーの極北《12/6(木)〜12/9(日)》
 フレデリック・ワイズマンは、1960年代にアメリカで興隆した「ダイレクト・シネマ」を代表する作家として知られ、現代のドキュメンタリーにおいて最も先鋭的な作品を作り続けている存在です。ワイズマンは社会が抱える厳しい現実を生々しく取り上げ、ナレーション等説明的な要素を一切廃し、虚飾なく提示することから、硬派の社会派ドキュメンタリー映画作家として一般的に評価されていますが、彼の作品はそうした地点に留まらず、組織や国家など人間が作り出した抽象的な概念へと肉薄してゆきます。それは、いわば事物を映し出すことを前提とした映像メディアが表象する限界への追求であり、それゆえにゴダールやストローブ=ユイレらに比肩するともいえるでしょう。ワイズマンの大掛かりな回顧上映は1998年以来二度目で、今回はそれ以降に制作された『メイン州ベルファスト』(1999年)や『DV』二部作(2001、03年)、愛知初上映となる『少年裁判所』(1973年)、『視覚障害』(1986年)など「Deaf and Blind」四部作の一挙上映に加え、代表作『チチカット・フォーリーズ』(1967年)や『バレエ』(1995年)なども取り上げた、彼の多彩な作品世界に触れる絶好の機会となっています。

●特集2:愛知芸術文化センター・オリジナル映像作品の15年+最新第16弾プレミエ上映 《12/11(火)〜12/16(日)》
 愛知芸術文化センターの15周年に合わせ、開館時より継続している「愛知芸術文化センター・オリジナル映像作品」の、シリーズ全作品一挙上映を行います。「オリジナル映像作品」は、“身体”を統一テーマに設定し、様々な作家がこのテーマに独自の解釈からアプローチし、作家性を重視して作品を制作するシリーズです。これまでの作品は、海外の国際映画祭への出品や受賞を果たすなど、高い評価を得ています。「アートフィルム・フェスティバル」では、旧作をセレクトしたアンコール上映を何度か行っていますが、これまでの作品の歩みをまとめて振り返る機会は開館10周年の2002年以来で、この特集はシリーズの変遷やテーマの展開を目にする好機となるでしょう。また本特集の掉尾を飾る作品として、シリーズ最新第16弾となる三宅流監督『究竟の地−岩崎鬼剣舞の一年』 (2007年)のプレミエ上映を行います。

2008年01月04日

牧野貴 - Elements of Nothing

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(Film→Video, 20min, 2007)
本作はスチルを撮影した35mmフィルムを素材とし、フレームの区切りが生じないように工夫して再撮影。次にそれらをテレシネし、DTV環境にて編集された。今日であれば画像処理にて、本作品と類似した処理結果を得ることは充分可能である。しかしなぜそこで作家は一次素材をフィルムにて準備する必要があったのか。それは実験映画、特に構造映画が映画/映像ではなく、むしろ現代美術や造形芸術に近いことを明確に示している。

例えば絵画はスキャンされ静止画像のデータとなってしまえば、過程において特定のメディウムにて制作されたことを示す証拠を喪失する(作家以外、誰一人としてスキャン後のデジタル処理がなかったと証明することができない)。そして結果のみを鑑賞の全経験として受け取るのであれば、制作プロセスなどは全く無意味なものとなる。実際、今日のコンピュータグラフィックスや画像処理で制作された映像への一般的な評価はこの価値基準に依っている。そこで重要なのは、「どんな視覚的な結果が得られたのか」のみだ。これは映像を現実の延長と見なさず、現実から切断された表象として見なす態度である。もともとコンピュータグラフィックスや画像処理は情報空間にて制作されるものであるから、映像を現実から切断された表象として見なす態度は極めて正しい。

しかし、現代美術や造形芸術の領域ではコンセプトや特定メディウムによる制作プロセスを含めた形で、作品は観客の眼前にプレゼンテーションされる。結果としての作品の視覚的印象のみが抽出された形で評価されることはありえない。このポジションに映像や写真を持ち込むのであれば、光学的、あるいは電子的な結果としての映像は常に被写体や制作プロセスへのインデックスとして機能する。

話はそれるが、一般論として多くの実験映画、特に構造映画の多くが、現代美術や造形芸術に近いポジションにて制作されながらも、典型的な映画の上映システム(暗闇における映写機=スクリーン=観客の関係)にて発表を行っていることに対して、個人的に若干疑問が残る。観客はそんなに利口ではなく、スクリーン上の映像のみから、コンセプトや特定メディウムによる制作プロセスへの理解に至ることなど期待できない。実験映画の制作者は、コンセプトや特定メディウムによる制作プロセスに自らがこだわったのであれば、それと同程度に、観客にコンセプトや特定メディウムによる制作プロセスについて理解させることを考慮せねばならない(上映会の口頭での説明や、リーフレットの配布でもいいだろう)。もちろんテクストとしての作品は、多様な読解に向けて外部に開かれているが、それは最低限提示すべき情報を観客に提供してからの話である。

牧野貴の作品では、常に明確な輪郭をとる以前のイメージが、霧散するか生成するかの境界線上の状態で観客に向けて提供される。そこから観客はイメージを自らの経験において掴み取ってゆく(あるいは掴み取らないという選択もあり得る)。視覚的な抽象映画とは方向が異なるのだ。本作品も冒頭で述べた手の込んだ制作プロセスによって、映画における全フレームが一つのフレームに解け合わされており、木々から漏れる細かな光が明確な輪郭を綻ばせながら、ホワイトノイズのような激しい混沌へと到達させられている。ここに織り込められたイメージは判別不能なまでに複雑に編み合わされており、観客が経験の中から掴み上げるであろうイメージは豊潤な状態に保たれている。

しかし、そこには一つだけ無視できない仕組みが用意されている。明確な輪郭を綻ばせた混沌としたイメージというものは、あっさりと原初的イメージとして神秘化/オカルト化、あるいは内面世界化するいという危険性をはらんでいる(サイケデリック方面に傾倒した抽象映画や、晩年のブラッケージのように)。または単純な視覚的刺激に還元し消費されるという危険性もはらんでいる。そのような陳腐な受容に転落しないためには、要としてのインデックスが必要なのである。どんなに加工変調による制作プロセスを経ようとも、映像が最後まで被写体や制作プロセスへのインデックスを持ち続けることが重要なのである。彼はその点について慎重であり、前作における水面における反射光の煌めき、本作における木漏れ陽といった現実のイメージは、輪郭を失ったイメージ以前の状態にまで延長されているが、その一方でその映像に現実の被写体が存在すること、現実のインデックスであることを忘れさせない。この両極性、すなわち現実へのインデックスと、輪郭を失ったイメージ以前の状態にあるイメージの齟齬こそが彼の作品に存在する仕掛けなのである。本作での齟齬の度合いは極めて高く、もう一歩踏み込めばそれは完全にインデックスを欠いた混沌になってしまうだろう。本作はこの仕掛けが機能するギリギリの許容値に達していると言える。

また本作も音楽はジム・オルークが担当しており、映像における現実から延長されたイメージの混沌に相応しい、マテリアルとしての音が音楽との狭間で揺らめく楽曲を提供している。

2008年01月20日

告知: 京都精華大学芸術学部主催講演会 松本俊夫「メディアアートの世界・実験映像 1960–2007」

京都精華大学芸術学部主催講演会
松本俊夫「メディアアートの世界・実験映像 1960–2007」

2008年2月2日(土)午後2時〜午後4時(当日午前11時より整理券配布)
京都国立近代美術館1階講堂 聴講無料、定員100名
http://www.momak.go.jp/Japanese/pressRoom/2007/seikaMatsumotoToshio.html

主催:京都精華大学芸術学部(担当:伊奈)
共催:京都国立近代美術館
お問合せ先:京都精華大学 教務課
TEL: 075-702-5244

松本俊夫(映像作家、京都精華大学芸術学部客員教授)
東京大学文学部美学美術史学科卒業。日本のビデオアートの先駆者・映像理論家として映画史に多大な影響を与え続けてきた。実験的ドキュメンタリー『石の詩』、劇映画『薔薇の葬列』、『ドグラマグラ』、実験映画『アートマン』、『偽装ディシュミレーション』など国内外での発表作・受賞作多数。長年大学などで後進の指導にも当たる。

もちろん行きます。崇拝という行為が、そのものとの関係性を括弧に入れて絶対化してしまうことであるとするならば、私のやっていることはまさしく崇拝であろう。

2008年03月06日

makinokino.exblog.jp

映像作家である牧野貴氏がブログを開設されました。ロッテルダム国際映画祭2008にて作品が上映されるなど、その旺盛な活動は注目に値します。狭義のカテゴリー内にて伝統化しかねない状況にある「実験映画」に対して正面から向き合う、信頼に足るフィルムメーカーであると思う。

http://makinokino.exblog.jp/

2008年03月20日

性と文化の革命展

明日は、シネマテークに下記を観に行くつもりだ。
「性と文化の革命展」
http://cineaste.jp/l/1700/1736.htm

岡部道男の「クレージー・ラブ」を観ようと思う。また「ラズベリー・ライヒ」にはジェネシス・P・オリッジが特別出演らしい。ある海外のノイズ作家と話した時、ジェネシス・P・オリッジの性転換について冗談を言っていたのが思い出される。まあ性転換というのは、極めて革命的な行為だとは思う。

2008年03月22日

性と文化の革命展

シネマテークにて「性と文化の革命展」と題された特集上映があり、未見であった岡部道男「クレイジーラブ」を観た。

・岡部道男 - クレイジーラブ
(Film, 90min, 1968)
当時のアンダーグラウンド文化オールスターといえるキャストが凄まじい、明確なストーリーのない長編作品。新宿のフーテンも多数出演。パートカラーにて、サウンドは当時のロックの楽曲を多数引用。こう書くとドキュメンタリータッチでアングラ文化を描いたフィルムかと思えるが、内容は割と作り込まれたもので、今で言うPVのようでもある(ただし編集は意図してメチャクチャな形式をとっている)。出演者らの寸劇(台詞等は殆どない)や、ゼロ次元による意味不明なハプニングや、写真の引用によるコラージュが延々と続く。意外と美人な宮井陸郎の女装や、リヤカーを引く佐藤重臣の、楽しげな、しかし意味不明なダンスが強烈に印象に残る。60年代後半のアングラ文化には、やや複雑な印象を持っている私だが、このフィルムに関しては好感が持てた。このフィルムが上映されること自体がひとつのハプニングであり、日常に対する祭りの性格を持っているように感じられたからである。

もちろん私は当時のアングラ文化が、社会に対するポジティヴな異議申し立て、対抗文化であった側面は評価している。しかし後から見ると、この対抗文化をファッションとして消費する、或は消費されていた側面もあったのではないかと、微かに感じてしまう。それは70年以降の金坂健二らの失速にもつながる(そしてアングラ文化のキッチュの遺伝子が直接的に復活するのは90年代後半以降、宇川直宏や中原昌也による参照以降となる)。

2008年04月07日

イメージフォーラムフェスティバル2008

今年もイメフォの季節。基本的に名古屋巡回で見るつもりだが、東京と京都にも何度か足を運ぶつもりだ。日本プログラムは大賞作がイメフォにしては珍しく、日記映画ではないようなので、期待している。牧野貴の「Diaries」も既に観させて貰っているが、本作については会期が始まったらレヴューしたいと思っている。その他の招待作品では田名網+相原コンビ、太田曜、帯谷有理、水野勝規くらいしか楽しみなものがない。
海外プログラムではマックス・ハットラーが面白そうだ。そして目玉はトニコンの近作。これだけは絶対に観なければならない。
当フェスについてはいろいろ言われているが、最低限観なければ批判もはじまらないだろう。

http://www.imageforum.co.jp/festival/index.html

2008年04月11日

フィルムとビデオ

自前で購入した中古のBolex H16がようやく届いた。レンズはAngenieuxでとても奇麗。これで私物のシネカメラは五台となった。シングル8はP300一台と518SVが二台。ダブル8はBolex H8が一台。そして16mmがBolex H16だ。あとはスチルでF3も一台持っている。やっぱりフィルムは金もかかるし、手間もかかるが面白い。

面白いとは言ったものの、それは「アナログはデジタルに比べて暖かみがある」とか「撮影者の思いが込められる」とかいったアナログ機材へのオカルト的信仰という意味においてではない。
ビデオとフィルムは決定的に異なる制作プロセスを持ったメディアであり、新旧や優劣によって価値を決めることなどは出来ない。いくらビデオに画像処理を加えたり、フィルムライクな画質を持たせても、フィルムの制作プロセスがもたらす限界は模倣できない。特に実験映画においては、機能に限界があること、不可能性があることが逆にそのメディアの個性となり、可能性となるのだ。例えば構造映画をデジタルで様式的に模倣したところで、そんなものには何の意味もないだろう。これは実験映画が(そして初期のビデオアートが)、“制作プロセスそのもの”を作品が成立するうえでの不可欠な構成要素として見なしているということだ。この考え方はモダニズム芸術のそれと同質のものである。そこに芸術の形態・形式と、テクノロジーやメディアの特性が交錯する緊張感ある関係の場が生まれる。(このあたりのことは「初期ビデオアート再考」カタログ内の、松本俊夫インタビューで言及しているので、一読を。)
一方、デジタル時代のビデオ映像においては、あらゆる映像が結果として記号的な表象となり、過程(制作プロセス)から切り離されている。コンピュータに飲み込まれたビデオ映像は全てがシミュラークルとなった。そこでは多くの場合、制作プロセスは作品コンセプトに含まれない。私がCGやモーショングラフィックスを観ても、いまいち感銘を受けないのは、それが記号的な表象の羅列にしか感じられないからである(技術的側面での関心は強くある)。なんだかんだ言って、自分は未だにモダニストだなと思う。(ただし、デジタル時代のビデオ映像であっても、作品を鑑賞するうえで何らかのインタラクションがそこ含まれていれば話は別だが。)

話しが逸れたが、さて何を撮ろうか。

2008年05月07日

牧野貴 - Diaries

(video, 18min, 2008)
京都の夭折したノイズ作家、佐野公祐の音源を使用した、牧野貴の新作。そのサウンドトラックは極めてハーシュであり、現在の欧米ノイズシーンにおけるテープサーキットから聴こえてくるような、荒々しく過剰なノイズである。牧野貴のフィルムも、このハーシュノイズの攻撃性と「夭折したノイズ作家の音源」という事実に影響されて、荒々しいフォルムの変容をみせており、今までと違うフェイズに入ったかのような、痛々しいほどに鋭利な印象を受けた。このフィルムは多分に感情的である。分かりやすいやり方でその感情を表に出すことはしていないが、誰もがまずそう感じるだろう。

私は基本的に感情的なものを極力警戒する。そして私は個の感情を一義的には排除して作品と向き合う。芸術は芸術的価値観に基づく評価軸(モダニズムでもポストモダニズムでも、何でも良い)との距離、もしくは政治的価値観に基づく評価軸(社会主義リアリズムでもマルチチュードの芸術でもテクノロジーの発展でも、何でも良い)との距離において計られるべきだと思うからだ。

牧野貴のフィルムは、例えばブラッケージの系譜にあるとの誤解を受けやすい。ブラッケージはどこまでも個人的な感情に拘泥したフィルムメーカーであり、センチメンタルな存在である。しかし、牧野貴は個人的な感情の吐露とは対極にあるフィルムを制作してきたと思う。もちろん作家の内面において個人的な感情は常に存在していたのかもしれないが、それは前面に押し出されてはいなかった。彼のフィルムは、現実にあるフォルムが不定形なフォルムとして変容させられ、観るもののなかで現実がまったく異なる何ものかとして立ち上がる、そこにこそ価値があった。さらに技術的試行を経て現実の変容が成されるので、構造映画のようなフィルム機構の前景化も同時に達成されていた。

だが本作は、作家の個人的感情を前面に押し出すこと、あるいは自我を前面に押し出すことで成立している。もちろん下らない日記映画や自分探し映画のように、幼稚にも個人的な感情をただひとつの象徴として作品の中心に据えるようなマネは行っていない。あくまで表現形式は、今までのスタイルを踏襲している。しかし、本作には危うさもついて回る。

私にも明確な回答を出すことなど出来ないが、個人の感情や自我を作品の象徴的中心に据え、客観的視点のないまま吐露するのは冒頭に記述した価値観において誤りだと強く思う。しかし作家のなかに客観的視点、外部の視点を求める意識がある場合は、その限りではない。芸術的価値観、もしくは政治的価値観のいずれかが個人的感情や自我、精神と非同一なままに併置される場合は、そこに新たな可能性を見て取れる。

芸術的価値観、もしくは政治的価値観のいずれかが、客観性を持った作家の自我や精神と併置される道。今後の展開に期待したい。

2008年05月15日

レフ・マノヴィッチ

今更ながら、アクチュアリティのある文化的研究と、技術的研究が組み合わされてこそ、今日的に意味のある制作活動というものが可能になると思えてきた。(ここではもとより内面表現、感情表現としての芸術は採用しない。)

ここでの文化的研究とは何を指すのか。それは「形式」の展開、社会との関連性(広義の政治性)等を複合的視野において、価値判断、取捨選択を行う作業を指す。批評や評論といわれる類いの作業である。
一方、技術的研究とは何を指すのか。それは技術やテクノロジーの芸術への採用、その追求を指す(ここでいう技術は「形式」とは微妙に意味が異なる)。
文化的研究の度合いの高い制作とは、観念的で、コンセプチュアルで、思想的には豊かなのだが、技術的には貧弱なものとなる。
技術的研究の度合いの高い制作とは、技術的な実験であり、好奇心を刺激する可能性を持つのだが、思想的には稚拙な、メーカーの技術開発と近しいものとなる。

さて、ここで今の自分がどこにいるのかを考えてみると、実はまずい状態であることに気が付く。私はそもそもの傾向として文化的研究の割合が極端に高かったのだが、ここ数年でその文化的研究が、さらに前提となる領域、すなわち歴史研究へと向かっている。今や私にとっては戦前/戦中/戦後の映像芸術を政治と絡めて調べることが、このうえない楽しみとなっている。これは言ってみれば考古学的な性格をもつものだ。

しかし考古学的な研究とは、アクチュアリティのある現代的な実践そのものとは切断されている。

もちろん歴史を解釈することとは、現代をその観測点において逆照射することだ。しかし、それがアクチュアルな制作や文化的研究と直接関係するのかといえば、全くそのようなことはない。例えば戦前の社会主義思想と記録映画の関連についての調査が、いまここにある何かと結びつくのかといえば、それはなかなか難しい。私はひたすら過去に耽溺している。

アクチュアルな文化的研究の前提としての考古学的な知識、歴史への自覚は、ある程度のもの(歴史の授業レベル)で充分なのである。それでもなお考古学的な研究そのものに身を投じるのならば、それは直接的なレベルにおいて制作活動や文化的研究とは決別するということなのである。

アクチュアリティのある文化的研究と考古学的な歴史研究を並列処理することが果たして可能なのか、それとも考古学的な歴史研究に耽溺するしかないのか。

例えばレフ・マノヴィッチはどうなのであろうか。アクチュアリティのある文化的研究と考古学的な歴史研究を両立させた例として挙げられるのだろうか。
http://www003.upp.so-net.ne.jp/jhori/newmedia/manovich_intro.html

マノヴィッチは、今年の日本映像学会大会で講演を行う。このような自問自答を繰り返しながら、京都まで講演を聞きに行くつもりだ。
http://www.kyoto-seika.ac.jp/eizou/jasias2008/index.html

2008年06月14日

映像学会大会にて

先週末は、映像学会大会のため、京都精華大へ。

懐かしい知人らの顔を見ていると、自分が接続されたいと望む共同体というか、価値観が共有される場はここなのだと思えた。入り口で知人と近況というか愚痴を述べ合っていると、こちらへ向かって細身のサングラスの男性が笑いながら手を振ってくる。誰かと思ったら、それはリピット・水田尭さんであった。まさか会えるとは思っていなかったので驚く。

リピットさんとは昨年秋の表象文化論学会研究発表集会以来お会いしていなかったので、沢山お聞きしたいこともあり、学会の間、随分と長くお話をさせてもらった。去年から今年にかけての間、私の中では映画学について、批評と研究の差異について、大きな考え方の変化があった。それは実験映画をフィルムスタディーズの言説の中に取り込む必要があるのではないかという考えだ。実験映画を現代美術/メディアアートの言説の中に取り込むことばかり考えていた私にとって、これは大きな可能性をもたらすものとして映る。その意味で、私はまだまだあまりに無知だ。またリピットさんの考え方の柔軟さと公平さは、話しているだけで多くのことを教えられている気持ちになる。

さて、学会の方は私の考え方の変化もあり、フィルムスタディーズに近い研究者の発表を主に聴いた。中でも松谷容作によるトム・ガニングの言説を踏まえての研究発表「ぼやけたイメージ、過剰なイメージ - 「アトラクション」「物語」に還元されない初期映画のイメージ経験」が白眉であった。やはりここから実験映画までの距離は極めて近い。精神論、観念論に流れがちな実験映画についての言説をここに組み込むことはできるはずだ。一方で少しは作品発表も観たいと思って、太田曜、末岡一郎の16mm作品の上映も観た。

マノヴィッチは結局来なかったうえに、シンポジウムは明らかにテーマ設定にミスがあり、パネリストの問題とする点が最後まで噛み合わないという状態(意見の相違というレベルではなく)であったが、実に楽しい二日間であった。松本先生にも久しぶりに会えたことだし、新しい出会いも多くあったので。

2008年06月15日

牧野貴 - The Seasons

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(Film-Video, 30min, 2008)

牧野貴の新作、「The Seasons」を観た。今回の音楽は盟友ジム・オルークが担当している。まずはギトギトした腐敗ハーシュノイズが蠢きながら、暗い画面の中、フィルムノイズが荒々しく運動する。そして初期のジム・オルークに顕著であった溺水的なドローンが浮かび上がってくる。そしてフィルムのイメージもいつものように、何らかの具体的被写体イメージの変容による、抽象化した、溶け出したイメージの混沌へと突入する。今回はフィルムの円環的な構造がテーマであり、「Elements of Nothing」のように、同一マテリアルの循環的使用が行われていると聞く。その変容の度合いは既にイメージの原型からかけ離れ、砂塵のような様相をとっている。中盤、ノイズとドローンが一旦おさまると同時に、イメージもオーロラのような流体的なものへと切り替わる。

そして、ここからがユニークなのだが、突然イメージの一方向への移動が開始され、円環的な構造が展開の中で明確な形をとって現れだす。林の中の木々が元々の被写体であるのだが、ここでのそのイメージは実に美しい。陽光と葉の緑、そして一定速度の運動。運動の方向もゆっくりと回転しながら変化してゆく。それと同時にこれはプリントの再撮影なのだという事を前景化させるように、フレームがズームアウトし、フィルムのふちまでを画面の中で見せはじめる。この手法は過去の構造映画では極めてスタンダードなものであるのだが、私はこれを抽象的イメージの神秘化(サイケデリックな抽象映画にありがちな思考停止)への抵抗の表れとして解釈する。

牧野貴の作品の個性である具体的な被写体のイメージの変容による抽象化は、鑑賞者にそのイメージの残骸から、新たなイメージを掬い上げさせるという側面を持っていた。この鑑賞者の思考は覚醒した自覚的な意識によって行われるものであり、サイケデリックなイメージへの没入(あるいは思考停止)とは異なるものだった。そこで今回の構造映画的な手法は、サイケデリックなイメージへの没入に対する目覚めの一撃としての意味を持っている(予感でしかないのだが、私の中で牧野貴とペーター・チェルカスキーの「映画」へのスタンスがだんだんと接近してきた感じもする)。彼の作品は様々なレベルにおいて、自覚的な意識のための映画なのである。

また実験音楽/ノイズ愛好者としては、かなり久しぶりにジム・オルークのハードなノイズとドローンを聴くことができたのも大きな喜びだった。

2008年06月25日

芸文センター通い

ここ10日ほどのあいだ、まるで日課のように芸文センターに通っていたが、ようやく本日で最後。
イメフォと下記の上映会のほぼ全てを観倒した。
http://www.aac.pref.aichi.jp/frame.html?bunjyo/jishyu/2008/jyoei/index.html

最後の最後でパット・オニールの「Water and Power」を35mmで観た訳だが、素晴らしかった。個人的なイライラや迷いが吹き飛ばされた。見終わって何だか無性に嬉しくなって、終了後に越後谷さんと話すなかでこの作品のことを大絶賛した。

以下、UBUWEBで観られる(オリジナルは16mmで、上映はブローアップだったのか?)。
http://www.ubu.com/film/oneill_water.html

あと、牧野さんから貰った牧野&オルーク対談のCDR(同志社大での上映の際のもの)も聞いた。面白いエピソードばかりで、まるで漫才のようであった。

2008年07月04日

THE SEASONS - 牧野貴新作上映会

明後日、牧野さんの上映会がある。ちょうど表象文化論学会で東京にいることもあって、第二部の終了後、牧野さんとトークをさせて頂くことになった。私なんかでいいんでしょうか。

『THE SEASONS-牧野貴新作上映会』
会場: アップリンクファクトリー
料金:¥1,000(1ドリンク付)※各部入れ替え制
日時:7/6(日)18:30/19:30

第一部/18:30
「No is E」
「THE SEASONS」
第二部/19:30
「Elements of Nothing」
「THE SEASONS」

http://www.uplink.co.jp/factory/log/002668.php#more

実験映画史的に、あるいはノイズ音楽的に牧野さんの作品をどう読み解けるのか、いろいろお聞きしたいと思う。

2008年08月03日

「The Seasons」ライブ映像

牧野貴とジム・オルークの同志社でのライブ映像が公開されていた。個人的な印象に過ぎないが、こういう音楽を演奏している時のジム・オルークはとても良い。

2008年10月24日

INDEX Newsletter #4 - October 08

INDEX029 HANS SCHEUGL
The Seconds Strike Reality

Films:
Wien 17, Schumanngasse, 1967, 16mm, b/w, silent, 3 min
Hernals, 1967, 16mm, color, 11 min
Safety Film, 1968, 16mm, b/w, silent, 6 min
Sugar Daddies, 1968, 16mm, b/w, silent, 13 min
Eroticon Sublim, 1968, 16mm, color, silent, 3 min
Der Ort der Zeit / The Place of Time, 1985, 16mm, color, 40 min
Prince of Peace, 1993, 16mm, color, 8 min
(Calcutta) Go, 1993, 16mm, color, 9 min

Extra:
Wiener Underground, 1969, 16mm/video, b/w, 9 min
20 pages booklet bilingual German-English with exclusive material

Format: DVD PAL, Zone free
Language: no dialogues
Category: Avant-garde
Catalogue number: INDEX029
Price: 28,80

more: http://www.index-dvd.at/en/program/029/index.html

....................................................................................................................................

INDEX032 DARIUSZ KOWALSKI
Optical Vacuum

Films:
Optical Vacuum, 2008, 55 min
Elements, 2005, 8 min
Luukkaankangas Updated, Revisited, 2004, 8 min

Extras:
1. Bonustracks:
Ortem, 2004, 20 min
Interstate, 2006, 10 min
2. 20 pages booklet, bilingual German-English with exclusive material

Format: DVD PAL, Zone free
Language: English
Category: Avant-garde, Art
Catalogue number: INDEX032
Price: 28,80

more: http://www.index-dvd.at/en/program/032/index.html

追記:
さっそく届いた。
ちなみに数日前のエントリーで書いた、トラブルにあった海外の出版社というのはINDEXではない。INDEXは何の問題もない、とても信頼できるレーベルである。
トラブルのあったのはアメリカの出版社。

2008年11月13日

Bill Morrison - Decasia: State of Decay

bmdvd.jpg
(Film, 67min, 2004)
各地のフィルムフェスにて賞を獲得した、ビル・モリソンによる長編実験映画「Decasia: State of Decay」。本作はフィルムの物質的性質を生かした、典型的なファウンドフッテージものである。この作品において作者は、引用されたフィルムに対してスクラッチや薬品等による加工変調を施している。シーンによってはかなり激しい加工変調が行われており、傷や泡のテクスチャは奇形的に歪みながら元々の具体性のあるイメージと溶け合う。それにより視線は具体性のあるイメージと、物質=フィルムの表面に発生した抽象的なテクスチャの間を行き来する。この意識の往復運動のなかで観客は映画を観ることを再認識し、映画のもつイメージの豊穣な奥行きに気がつくだろう。私はアナログ信者ではないが、こればかりはビデオのプロセスでは得ることの出来ない経験であると断言できる。フィルムを含め、物質的なアナログメディアの表面に刻まれたイメージを観ること。この経験は絵画の範疇に属するものだ。
また本作は67分というこの手の実験映画にしては長い時間の持続を有している。この持続の中で、フィルムに元々写されていた20世紀前半を表象するイメージが崩壊させられていくことは、観客にある種のカタルシスを与える。またマイケル・ゴードン作曲によるオーケストラの演奏も、ミニマルであり、時間の持続によって生じる緊張感を高めている。

2008年11月17日

第13回アートフィルムフェスティバル

明日より愛知芸術文化センターにて「第13回アートフィルムフェスティバル」が開催される。
http://www.aac.pref.aichi.jp/frame.html?bunjyo/jishyu/2008/aff/index.html

大体観に行くことになると思う。今年の特集は「風景の映像」。またジェームス・ベニングの合計270分におよぶ殺人的に退屈な風景映画三部作につき合えるかと思うと、嬉しいような疲れるような…。その他にもメカスの355分にもおよぶ「セバスチャンの教育、あるいはエジプトへの回帰」など、狙ったかのように長時間の作品ばかり(分割上映されるので負担は少なそうだが)。風景の中から映画が立ち上がるのには、時間がかかるということか。また本特集では飯村隆彦の作品も選ばれているのだが、これはなかなか面白いセレクトだと思う。
今年のオリジナル映像作品は大山慶「Hand Soap」である。このあたりには越後谷さんのアニメーションへの強い関心がよく表れている。

2008年12月25日

『薔薇の葬列』公開40周年 幻視の美学・松本俊夫映画回顧展

松本俊夫の映画回顧展が渋谷のイメフォで開催される。今回の上映の目玉は、何といっても「銀輪」が再上映されることだろう。過去にフィルムセンターで一度上映されたっきりで、川崎市民ミュージアムでの回顧展の際には上映が断念された本作が、再び映写機にかけられるのは誠に喜ばしい。「銀輪」の上映されるプログラムは1/28〜30の三日間のみなので、絶対に観て欲しい。(しかも同じプログラムでは「白い長い線の記録」までも再上映される。)
戦後のアヴァンギャルド芸術はここから始まったと言ってもいい、歴史的な作品である。言うなれば実験工房と松本俊夫の共闘の記録だ。実験工房のメンバーにはフィルムメーカーがいなかったが、その役割をグループの外から担っていたのが松本俊夫であったと私は考える。

また1/27にはジム・オルークと松本俊夫の対談もある。これもまた象徴的な組み合わせで興味深い。(ただ松本先生はジム・オルークのことをご存じなかったのだが…。)
ジム・オルークは海外版「薔薇の葬列」DVDの解説も書いているくらいに日本の劇映画に詳しいので、面白い話を期待できるだろう。

http://www.imageforum.co.jp/matsumotoretro/

2009年03月05日

INDEX New release

New release available 1st March 2009

INDEX033 MARIA LASSNIG
Animation Films

http://www.index-dvd.at/php/en/news.php

INDEXが、また活発なリリースを開始した模様。

2009年03月15日

上映+シンポジウム『exposé 09 アヴァンギャルド芸術のために』

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2009年3月15日(日)13:00 - 19:00
名古屋大学野依記念学術交流館
参加費:一般/上映+シンポジウム 2000円 学生/上映+シンポジウム 1000円
企画/構成:阪本裕文
主催:『exposé 09 アヴァンギャルド芸術のために』実行委員会
協力:東京国立近代美術館フィルムセンター

例えば「アヴァンギャルド芸術」を、劇映画や実験映画、ビデオアートやメディアアート、現代音楽や実験音楽といったような形式化された概念としてではなく、対立する複数の概念が非同一的に包括された、形式化することのない楕円の運動状態そのものとして把握することは可能か。さらにそれを社会的条件/政治的条件において把握することは可能か。

戦後日本のアヴァンギャルド芸術がどのような関係性のなかで生み出されてきたのか、そして今日のアヴァンギャルド芸術はどのように展開し得るのかについて、プログラムごとにテーマを設定し、議論する。

プログラム1 (13:00 - 14:10):作品上映「松本俊夫/湯浅譲二」
松本俊夫『安保条約』(16mm, 18min, 1959)
松本俊夫/湯浅譲二『白い長い線の記録』(35mm, 13min, 1960) ※ビデオ版上映
松本俊夫/湯浅譲二『オートノミー=自律性』(Video-16mm, 12min, 1972)
松本俊夫/湯浅譲二『アンディ・ウォーホル=複々製』(16mm, 23min, 1974)

プログラム2 (14:20 - 15:50):作品上映「牧野貴/ジム・オルーク」+作家による解説
牧野貴/ジム・オルーク『Elements of Nothing』(35mm/8mm-DV, 19min, 2007)

牧野貴/ジム・オルーク『The Seasons』(35mm/16mm/8mm-DV, 30min, 2008)
牧野貴/ジム・オルーク『Still in Cosmos』(35mm/16mm-HD, 18min, 2009)

プログラム3 (16:00 - 16:50):特別上映「銀輪」+シンポジウム第一部「『実験工房』とその時代」
松本俊夫/武満徹『銀輪』(35mm, 10min, 1955) ※ビデオ版上映 東京国立近代美術館フィルムセンター所蔵作品

パネリスト:松本俊夫、湯浅譲二 ゲストコメンテーター:川崎弘二 進行:阪本裕文

プログラム4 (17:00 - 17:50):シンポジウム第二部「音楽におけるアヴァンギャルドの今日的展開」
パネリスト:湯浅譲二、ジム・オルーク ゲストコメンテーター:川崎弘二 進行:阪本裕文

プログラム5 (18:00 - 19:00):シンポジウム第三部「映像におけるアヴァンギャルドの今日的展開」+シンポジウム総括
パネリスト:松本俊夫、牧野貴 進行:阪本裕文

[略歴]
松本俊夫
1932年生 東京大学文学部美学美術史学科を卒業後、新理研映画社にて前衛的PR映画『銀輪』(1955)を「実験工房」のメンバーの協力を得て制作。以来、前衛的記録映画の制作を行いながら映像理論の執筆活動も行う。60年代以降は実験映画やビデオアートの先駆的作品を次々と制作し、多くの作家に影響を与える。また『薔薇の葬列』(1969)や『ドグラ・マグラ』(1988)などの劇場用映画の監督も務める。著書に『映像の発見 - アヴァンギャルドとドキュメンタリー』(三一書房, 1963/清流出版, 2005)、『映画の変革 - 芸術的ラジカリズムとは何か』(三一書房, 1972)、『映像の探求 - 制度・越境・記号生成』(三一書房, 1991)などがある。

湯浅譲二
1929年生 慶応大学医学部に在学中より秋山邦晴、武満徹らと親交を結び、1952年には戦後日本において芸術とテクノロジーを関係付ける起点となる歴史的な活動を行った総合芸術グループ「実験工房」に参加し、作曲に専念する。以来、オーケストラ、室内楽、合唱、劇場・映像用音楽、インターメディア、電子音楽、コンピュータ音楽など、幅広い作曲活動を行う。また国内外の主要オーケストラ、フェスティバルなどから多数の委嘱を受けて作品を発表しているほか、世界各地の大学・講習会などにゲスト作曲家や講師として招かれるなど、国際的な活動を行い高い評価を受けている。

牧野貴
1978年生 日大芸術学部映画学科撮影コースに在学中より、多数の8ミリ映画を独学で制作する。2008年ロッテルダム国際映画祭にて『Elements of Nothing』(2007)がTiger Awardにノミネートされたほか、世界各国の映画祭、映画館、美術館にて広く作品が上映され続けている映画作家である。撮影からポストプロダクションまで、全て一人で行う一方、音楽家との共同作業にも創造的な発想をもって取り組んでいる。

ジム・オルーク(Jim O'Rourke)
1969年生 10代よりギターの即興演奏を始め、数多くのフリーインプロヴァイザーと共演する。また「ガスター・デル・ソル(Gastr Del Sol)」での活動をはじめ、数多くのバンドやプロジェクトに関わる。その一方で実験的要素の強いノイズ作品を発表し、マース・カニングハム舞踊団の音楽を担当するなど、実験的なポピュラー音楽と現代音楽/実験音楽のあいだを行き来する活動を行っている。「ソニック・ユース(Sonic Youth)」のメンバーとしても活動していた。近年では若松孝二『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(2007)の映画音楽担当や武満徹作品を演奏した『コロナ - 東京リアリゼーション』(2006)などの活動がある。

川崎弘二
1970年生 日本の電子音楽についての歴史研究で知られる。著書に『日本の電子音楽』(愛育社, 2006)がある。

阪本裕文
1974年生 芸術全般、特に実験映画/ビデオアートについての歴史研究および展覧会企画を行う。共著に『メディアアートの世界 実験映像1960 - 2007』(国書刊行会, 2008)。展覧会企画・監修に「Retrospective Exhibition of the Early Video Art/初期ビデオアート再考」(2006)、および同展カタログ制作などがある。

[名古屋大学へのアクセス]
地下鉄名城線名古屋大学駅下車すぐ。
・JR名古屋駅・名鉄新名古屋駅・近鉄名古屋駅からの場合…地下鉄東山線藤が丘行きに乗車し、本山駅で地下鉄名城線右回りに乗り換え、名古屋大学駅下車。所要時間約30分 (乗換含)。
・JR金山駅・名鉄金山駅からの場合…地下鉄名城線左回りに乗車し、名古屋大学駅下車。所要時間約25分。

[名古屋大学野依記念学術交流館へのアクセス]
〒464-8601 
名古屋市千種区不老町 名古屋大学野依記念学術交流館

Tel:052-788-6121

[問い合わせ先]
「exposé 09 アヴァンギャルド芸術のために」実行委員会
Tel:052-721-3453, 052-721-5358(阪本)

E-mail:sakamoto@central-region.com

今回は事前申し込み制はとっておりませんので、当日会場へお越し頂き、受付にて参加費をお支払い下さい。なお座席は充分にございますが、確実な参加をご希望される方はメールにてご予約ください。

追記:
プログラム3:特別上映「銀輪」+シンポジウム第一部「『実験工房』とその時代」、プログラム4:シンポジウム第二部「音楽におけるアヴァンギャルドの今日的展開」にて、ゲストコメンテーターとして、『日本の電子音楽』の著者である川崎弘二さんにご参加頂ける事になりました。

2009年04月17日

「AAC」vol.60

ちょっと前になりますが、愛知芸術文化センターの広報紙「AAC」vol.60に、「第13回アートフィルムフェスティバル 立ち上がる風景」というレビューを書きました。愛知芸術文化センターに行けば、タダで貰えるはずです。

追記:ネットで公開されてました。

2009年06月05日

「The World」ライブ上映

本日は爆音映画祭における、牧野貴+ジム・オルークの「The World」ライブ上映があります。
http://www.bakuon-bb.net/program/still.php

観に行ける人は、是非。

牧野貴にとって60分という初の長編であること、ジム・オルークが「ターミナル・ファーマシー」を超えるエレクトロアコースティックをライブにて演奏すること、どちらもとても興味深い。実験映画の内部にとっても、外部にとっても、参照する価値のある出来事になると思います。

2009年06月06日

Hors Piste Japon

東京日仏学院で開催される「Hors Piste Japon」のシンポジウムに参加します。北の果てにいる人間に声をかけて頂けるとは、有り難い限りです。お役に立てるといいのですが。6/12、6/15にはフランス「Hors Piste」のプログラムもあるそうです。それにしても飯村隆彦と宇野邦一という取り合わせが凄い。

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Hors Piste Japon
2009.06.14 14:00 - 21:00
東京日仏学院 エスパス・イマージュ

〒162-8415
東京都新宿区市谷船河原町15
Email :tokyo@institut.jp
Tel :03-5206-2500

料金:上映プログラム1回/一般1000円、会員500円 シンポジウム・カンファレンス/無料

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14:00-17:30
<ジェネラル・プログラム上映&シンポジウム>

新しい映像は、私たちに開かれている。それは私たちとともに、この時代を歩む。それは私たちに一番近い映像なのだ。ここに集められたアーティストの作品を見るとき、彼らがめいめいのやり方で、この世界と真摯に取り組んでいるさまと出会うに違いない。新しい映像の探求は、新しい生き方のリアルな創造なのだ。私たちはそうした作品をとおして、今の世界をいっそう深く、多彩に発見することができる。
現代の日常に映像はあふれている。だがそのほとんどは、「場をもたせる」ためだったり、「流される」ためのものばかりだ。そうした映像は、見れば見るほど、私たちを世界から、リアリティから遠ざけてしまう。しかし「いま・ここ」という地点に立ちとどまって、映像というメディアと懸命に奮闘しているアーティストたちがいる。彼らの作品としばし向き合い、彼らとともに世界をもう一度見なおすこと。そして、映像をとおして感じ、考えることで、世界に一歩近づくこと。そのような経験を、この機会に持ってもらえると幸いである。(河合 政之)

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14:00-15:00
<上映プログラム 1 >
「マテリアル/技法の幻影 」

上映作品:
奥山 順市  「まぜるな」
太田 曜   「PILGR IMAGE of TIME」
石田 尚志  「海の映画」
瀧 健太郎  「Living in the Box -square-」
服部 かつゆき「モニター」(ヴィデオ・ライヴ・パフォーマンス)

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15:15-16:15
<上映プログラム 2 >
「イメージ/視線の変奏」

上映作品:
永岡大輔  「A Poem of Blind Alley」
辻直之   「エンゼル」
小瀬村真美 「朽 -Decaying-」
狩野志歩  「Feinfügig… unüberholbar…」
Tokyo Mob「Democracity」
西山修平  「SHOT -sabotage syndrome-」
飯村隆彦  「I am (not) seen」
相内啓司  「Imago - 鏡の中」

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16:30-17:30
<シンポジウム>

テーマ:「まなざしのメディア/メディアへのまなざし」
パネリスト:阪本 裕文、太田 曜、瀧 健太郎、ジェラルディン・ゴメス(Hors Piste ディレクター)

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18:15-21:00
<Visual Philosophy 上映&カンファレンス>

映像は、思想である。ただしそれは、見ること、聞くこと、そして時間という身体感覚に根ざした思想である。映像を見ることは、思想を身体で感じることなのだ。
上映プログラムでは、思想を身体的な感覚においてあらわすということを追求した、実験映像の試みを紹介したい。60年代以来実験映像の運動をリードしてきた飯村隆彦氏の、視覚として経験される時間や、声とイメージの関係をテーマにした作品、そして電子映像の「乏しいイメージ」の氾濫がもたらすリアリティの不在をテーマとした拙作を上映する。さらにその後のカンファレンスでは、映像を見る身体を思考する「映像身体論」を展開している宇野邦一氏に参加していただき、身体的な思想としての映像について語り合いたい。(河合 政之)

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18:15-19:15
<上映プログラム>
「時間、声、視線」

上映作品:
飯村 隆彦 「1秒24コマ」
飯村 隆彦 「Talking in New York」
河合 政之 「スペクタクルの社会における神学的状況について」
河合 政之 「不在の風景」
河合 政之 「表れの中へ」

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19:30-21:00
<カンファレンス>

テーマ:「映像の冒険—身体を持つ思想へ」
ゲスト:飯村 隆彦、宇野 邦一
ホスト:河合 政之

2009年09月21日

レッドクロス上映会

先日、ある展覧会/上映会を観に行った。実験映画の上映でありがちな閉塞感の存在しない、極めて風通しの良い上映だった。おそらくそれは、自分や身内に対する意識よりも、芸術や文化全体に対する意識(態度)が優先されているからだと思う。

http://www.ayumi-g.com/ex09/0934.html
レッドクロス上映会

日時 9月11日(金)、12日(土)、13日(日) 19時〜、20時〜
会場 アユミギャラリー
料金 700円(売上金は、海外の作家の作品郵送費に回されます)
上映作品(上映順に)

Ben Russell 《TRYPPES♯6》
Johann Lurf 《12 Explosionen》
島田量平 《dorothy (ragged film#4)》
Ben Rivers 《Origin of the species》
Pierre Molinier《MES JAMBES》
田巻真寛 《climax》
牧野貴 《While we are here》

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忘れないうちに、各作品についてレヴューしたい。

Ben Russell 《TRYPPES♯6》
この作品は南米のマルーン(http://ja.wikipedia.org/wiki/マルーン)の村にて撮影されたという作品であり、ジャン・ルーシュが参照されている。まず奇怪な覆面を着用した男(?)たちが村を彷徨うように歩きながら、祭事の会場を目指す。カメラはワンカットの長回しで、その後を追跡する。歩いて行くうちに、祭りの太鼓のリズムが接近してくるのだが、このサウンドが空間性を異様に際立たせており、長回しの持続のなかで緊張を増幅させてゆく。そして空間が開け、異様な狂騒に包まれた祭事の場に一行は到達し、そのまま踊りに加わる。しばらくして途中で疲れたのか、覆面の一人がいったん祭りの場を離れるが、ひと休みの後、彼は再び踊りの狂騒のなかに身を投じる。やがて踊りは性的なモチーフを表すものへと変貌してゆく。魔術的な狂騒の場を舞台として、移動をともなう捩じれた長回しの持続によって空間の密度を変形させている。この密度の変化は、魔術的な神秘主義を巧妙に相対化させているようにも思う。

Johann Lurf 《12 Explosionen》
無人の夜の市街地にて、いきなり大音響とともに路上に設置された花火が爆発する。その様子をフィックスショットの切り替えで構成した作品。この爆発が空間の持っている社会的潜在性を引き起こすのかといえば、そんなことはなく(大騒ぎになったりはしない)、爆発の後、再び空間は静寂に戻る。音と光によって瞬間的に空間を異化させる試みであり、ハプニングというよりも、都市空間におけるアースワークといったような性質を持っている作品。シンプルなコンセプトゆえに強力。

Ben Rivers 《Origin of the species》
空ショットを多用しながら、山奥で隠遁生活を送るS氏の生活の風景を撮り、そこにS氏へのインタビュー音声が重ね合わされるという作品。このS氏は人類や生命の存在する意味を、数億年のスパンで思索する人物であり、典型的な世捨て人の傾向を持っている。フィクションなのかノンフィクションなのかは知らないが、このような設定と、ベン・リバースの触覚的なカメラが捉える苔や木々や葉の表面といった自然のテクスチャーはとてもよく似合う。恐らくこれは、ベン・リバースがS氏を人間として撮影していないということだ。相変わらずベン・リバースのフィルムは、被写体の持つ豊穣なテクスチャーを実に艶かしく引き出している。
個人的には、北の果てで暮らす自分の境遇を重ね合わせながら観た。

Pierre Molinier《MES JAMBES》
今回の上映では唯一の故人、歴史上のアーティストである。性倒錯的な作風で知られ、絵画、写真、人形などを制作するシュルレアリスト。今回上映された作品は、彼のプライベートな8mmフィルムであり、そのなかで60歳を越えたピエール・モリニエは退廃的でセクシュアルな女性下着を身に着け披露している。観客に観せることを意図していたのか、それとも全くの自己愛の結晶であるのか、どちらにせよその容姿はどう見ても美しい女性でしかない。あまりに濃厚な逸脱世界に目眩がした。素晴らしく貴重な体験であった。

島田量平 《dorothy (ragged film#4)》
田巻真寛 《climax》
牧野貴 《While we are here》
島田と田巻の作品は、積極的にフィルムというマテリアル性/物質性を前景化させることで、非イメージをスクリーンに出現させている。特に田巻のハードコアなアプローチは、ほとんどイメージを廃棄する段階にまで達している。フィルムのマテリアル性にこだわる手法は既に使い古されており、残された引き出しの数の少なさから言っても、若干苦しいところもあるのだが、この日観た作品からは、それを何とかして乗り越えようとする工夫がみられた。牧野の作品は、今回はちょっとした視点の変化や見せ方によって非イメージを出現させる方向が出ていた。要するに水面の光の乱反射が、イメージから非イメージに溶け出すあの方向性である。各作品を細かく見れば、もちろんそれぞれコンセプトは異なるのだが、キュレーター(牧野)の意図からして、大枠の方向としてこれらの作品は近似していたと言えるだろう。その意図とは、イメージと非イメージの狭間での意識の往復であろうと思う。

2009年09月29日

「Still in Cosmos」が25FPSにてグランプリ受賞

25fps.jpg

おめでとう、本当に。

2009年10月10日

「The World」爆音レイトショー

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http://www.bakuon-bb.net/theworld/index.html

爆音映画祭から生まれた映画ついに初公開!
牧野貴×ジム・オルーク
共鳴し、振動し合い、争い、愛し合う映像と音
イメージと音楽が、宇宙の壁を打ち砕き、新たな「世界」へ突入する!

《The World》2009 映像:音楽:ジム・オルーク
同時上映
《EVE》2002 映像:音楽 牧野貴
《still in cosmos》2009 映像:牧野貴 音楽:ジム・オルーク
《Not Yet》2004 映像:音楽:ジム・オルーク

日時10月10日(土)~16日(金)
連日21:00スタート ※予告無し
【料金】
当日:1600円
学生割引:1400円
シニア&バウス会員:1000円
【会場】
吉祥寺バウスシアター
【お問い合わせ】
03-3356-4003(boid/企画・作品全般)
0422-22-3555(吉祥寺バウスシアター/当日)
e-mail:bakuon@boid-s.com

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イメージフォーラム&No Fun Fest全面協力
The World公開記念オールナイトイベント
~Image and Sound Eternity~
http://www.bakuon-bb.net/theworld/allnight.html

牧野貴、ジム・オルーク、西川智也(実験映画作家/ニューヨーク州立大学)が「映像と音楽の融合」をテーマにセレクションした作品や、イメージフォーラム所属の二作品、”No Fun Fest in Japan”と題してニューヨークで毎年開催されている世界最大のノイズ音楽祭 No Fun Fest の映画部門第一回上映作品の一挙日本初上映など、この日にしか観られない珠玉のラインナップ。「実験的な映像と音楽による、物語主導でない映画の体感芸術」が、この夜のために世界中から集結する。音と映像がその極北で対峙・共振して時を超える、”永遠”の一夜!

日時:10月10日(土)23時スタート
会場:吉祥寺バウスシアター
料金:当日2700円均一
The World レイトショウとのセット券:3800円
※オールナイトと別日の使用も可能です。

・牧野貴、ジム・オルーク、西川智也が選ぶ特別作品
Ben Russell "Black and White Trypps Number Three"
Paul Clipson
大城真 ほか

・イメージフォーラム提供作品
Werner Nekes "Diwan"
Michael Snow "Wavelength"

・No Fun Fest 2009 in JAPAN Infinite Sound&Image より
Makino Takashi + Jim O'Rourke "The Seasons"
C.Spencer "Yeh Eclipse"
Prurient/Dominick Fernow "Spins the worlds wheel again"
Sarah Lipstate(NOVELLER) "Interior Variations"
Megan Ellis + Carlos Giffoni "LIFT"

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作家から聞かされていた情報が公開されたので転載したい。牧野貴の《The World》がレイトショーとして、連日映画館で上映される。しかも爆音で。この試みが実験映像という言葉・歴史を否定的/肯定的媒介として読み直し、状況を変化へ向かわせる起点になることを願う。
オールナイトの方は、クラシックな作品への言及あり、異なる文化圏の作品への言及ありと、実に充実した内容である。このような態度は本当に貴重だと思う。芸術と文化に取り組むのであれば、芸術と文化全体への誠実さを欠いてはならない、身内意識や師弟関係やギルド的人脈に絡めとられてしまってはならないのだと、私も確信する。
また、映像と音の関係を突き詰めた作品がセレクトされているようなので、そのような意味でも興味深い。何といってもノイズの祭典「No Fun Fest」の映像部門がやってくるのだ。期待せずにはおれない(Prurientの映像作品まで入っている)。スノウの「波長」を爆音で聴けるというのも面白い。
もう一つだけ加えるなら、ジム・オルークの映像作品が上映されることも、個人的に極めて気になる。

2009年11月07日

伊藤高志映画作品集 DVDリリース

http://www.imageforum.co.jp/ito/index.html
http://www.imageforum.co.jp/ito/dvd.html

伊藤高志の作品集がDVD化されるらしい。しかも、単なるビデオ版のDVD化ではなく、ビデオには収められなかった『スクリュー』『写真記』『写真記 87 』、過渡期の作品である『悪魔の回路図』『ミイラの夢』『ビーナス』が、そして近年の作品である『めまい』『静かな一日・完全版』までもが収録される。さらに、ダンスとのコラボである「 DOUBLE/ 分身」の記録映像や、インスタレーションの記録映像なども収録される。これならば、遥か昔、学部生時代に教わったことがあるという理由からだけではなく、内容的にも充分に買い直す必要性があるだろう。

伊藤高志は、昔、雑談のなかで『悪魔の回路図』『ミイラの夢』『ビーナス』が過渡期の作品であったと、やや否定的に評していた。しかし、私にはそれらが、前期作品における緻密な再撮による形式主義が、ほぼ洗練の極点に至った、充分に広く観られる価値のある作品群に思えていたので、今回の収録はとても嬉く思う。特に『ミイラの夢』は、その移動性と速度において新鮮な映画的経験を与えてくれる作品であり、『ビーナス』は差延的なブレを大量に孕みながらメタ空間を幾重にも構築し、延々と周回し続けるというユニークな作品である。そこには親しい他者を異物として捉え直すシュルレアリスム的視点が存在しており、それは『ビーナス』というタイトルとのズレによって決定的な違和感を観る者に残す。これらは前期作品の形式の洗練と、後期作品の日常という薄い皮膜の向こう側を凝視するシュルレアリスム的視点の狭間にある作品であると思う。

ちなみに私が伊藤高志の作品で最も気に入ってるのは『DRILL』である。

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