Christina Kubischカット中
心を込めてChristina Kubischのレコードをカット中の映像
サウンドアートの有名作家、Christina Kubischのアナログピクチャー盤が出るそうだ。しかもリリース元は素晴らしく下劣な写真ばかりを使用したLathe Cut(一枚一枚手作業でカットする)スクエアピクチャー7インチという規格外フォーマットで知られるWOLF EYESがらみのAA Records。これは購入欲をそそられる。
心を込めてChristina Kubischのレコードをカット中の映像
サウンドアートの有名作家、Christina Kubischのアナログピクチャー盤が出るそうだ。しかもリリース元は素晴らしく下劣な写真ばかりを使用したLathe Cut(一枚一枚手作業でカットする)スクエアピクチャー7インチという規格外フォーマットで知られるWOLF EYESがらみのAA Records。これは購入欲をそそられる。

(Dexter's Cigar/LP)
BASTROのBundy K. Brown, David Grubbsが組んだ実験的フォークデュオ。しかしBundy K. Brownは1stのみで脱退。後任としてO'Rourkeが加入し、次々と名作を生み出すことになる。私にとっては個人史的思い入れを含め重要なグループ。世間一般の評価としては90年代後半の音響ブームにおける代表的バンドとなるのかもしれない。しかし、そのあたりのバンドと一緒にしてしまうのは大いに違和感がある。アヴァンギャルド好きのリスナーが先入観から GASTR DEL SOLまでも敬遠してしまうことは勿体無さ過ぎる。
本作はO'Rourke加入前。Bundy K. Brown, David Grubbsの二人にJohn McEntireが参加した記念すべき第1作目。オリジナルはTeen Beatより。冒頭「A Watery Kentucky」は気だるく陰気な歌ものフォークであるが、中盤では金属ノイズ/即興演奏的アプローチも飛び出し、解れる演奏は終盤のゆっくりとした力強いリズムに収斂される。O'Rourke加入以前からGrubbsの頭の中には既にGASTRの基本的なアイデアがあったようだ。2曲目は弾き語りの小曲。3曲目はピアノ+ノイズ。4曲目「Ursus Arctos Wonderfilis」はスピード感のあるアコギによるインストゥルメンタル・ロック。スリリングに絡む2本のギターが非常に格好良い。5曲目はピアノ弾き語り。6曲目「For Soren Mueller」はZENI-GEVAのようなハードコア化したプログレ。神経質な演奏のギターとガシガシと切り替わるソリッドなドラムが格好良い。小曲を挟んで、ギター2本が絡む8曲目「Even the Odd Orbit」へ。ミニマル性はまだ強くなく、むしろ表情豊かな展開を見せる。GASTRの基本的なアイデア「ミニマルロックと溶け合う不定形な音響」はある程度、既に存在しているが、「不定形な音響」の部分はまだまだ控え目な一枚。むしろ彼らの出自を感じさせるスリリングなアコギとドラムの格闘に魅力を感じる、アコースティック・ハードコア・プログレな名作。93年発表。
この後、Bundyが脱退。O'Rourkeが加入し、シングル「20 songs less」を出す。
(Minority Records/7'EP)
所有していなかったGASTRの7EP、クリアヴィニール再発。メンバーは1st参加のBundy K. Brown, David Grubbs, John McEntireに、新加入のO'Rourkeである(本作では編集、エレクトロニクス、エンジニアリングを担当)。シカゴ人脈勢揃い的編成ながら、内容は間欠的なインプロが静寂や公園のフィールド録音と対比されるというミュージック・コンクレート的作品(O'Rourkeらしいテープ操作が聴ける)。聴く前は1stと2ndを繋ぐミニマル・アコースティックな内容かと思っていたが、O'Rourkeの加入で一気にアヴァン化した様相である。GASTRはアルバム以外ではこういう突飛な試みをすることがあるが、本作もその事例に漏れない。やはりGASTRをポストロックや音響という言葉に回収するのは無理があるなと思える。

(Drag City/CD)
印象は前作に近いものがあるが、O'Rourkeの加入によって抽象的な音響の使用頻度は前作から増えている。また機械的な淡々としたミニマル色も強まったように感じる。まずは弾き語りと虫の音の混ざる小曲。続いて2曲目「Work from Smoke」は、かき鳴らされるミニマルなアコースティックギターが、後半の残響を重視したインプロに推移してゆく曲。3曲目はピアノ弾き語り。4曲目「Every Fire Miles」はひたすらアコギ演奏に集中するインスト。前作と比較すると面白い。5曲目「Thos Dudley Ah! Old Must Dye」は弾き語り+TNB的金属摩擦ノイズ。6曲目「Is that a Rifle when it Rains?」はJohn McEntireがドラムで参加の、単純なリフのみのミニマルパンク。O'Rourkeも電子ノイズでハッスル。7曲目は叙情的なアコギのみのインスト。8曲目「The Wrong Soundings」は再びMcEntireがドラム。前半はほとんどが静かな即興演奏で、後半になってディシプリン・クリムゾン的なミニマルロックに突入する。2本のアコースティックギターの絡む緻密な演奏と機械的でソリッドなドラムが良い。抽象的音響の比重を増しつつ、それでいてロック的な熱さもある。このバランスが非常に格好良い。これこそが末期BASTROで試みられていた音楽の完璧な形なのかもしれない。94年発表。

(Drag City/MCD)
5曲入りミニアルバム。1,4曲目は弾き語り小曲。2曲目「Eight Corners」はサティ的なピアノにフリーキーな管楽器や電子音が羽虫のように纏わり付き、ピアノの響きを蝕む曲。ピアノの演奏はそれらを時には無視し、時には絡み合いながら、淡々と進行する。3曲目「Dictionary of Handwriting」はJohn McEntireがドラムで参加。ロック的ダイナミズムを持ったアコースティックギターによるミニマルなインスト。ソリッドなドラムと急激な転換がやけに格好良い。5曲目「Mirror Repair」はアコギ弾き語りとドローン。ノイズと音響の取扱いの進歩と、これも前作と同じく熱い側面が確認できる一枚だと思う。94年発表。
(Table of the Elements/7EP×2)
折り畳まれた巨大ポスターに挟まれている、GASTRとTony Coradのスプリット7EPとConrad単独7EPの2枚組(1枚のみのバージョンも売っていた記憶あり)。さて、Conradサイドはアーリーミニマリズム4枚組の「1965, MAY」の未収録トラック(O'Rourkeもヴァイオリンで参加してる筈)である。GASTRサイドはピアノの弾き語りに、いきなりノイズが突き刺さるよく分からない曲。(もう一枚の7EPに収録されているConrad, O'Rourke, Grubbsの3人によるコンラッド作品の演奏の方は面白い。)95年発表。

(Table of the Elements/MCD)
元素記号表レーベルからのGASTRの全1曲(3つのパートに分かれている)17分のミニアルバム。アートワークは金色一色。このレーベルらしい美しいデザイン。前半がO'Rourkeの初期ソロみたいな引き延ばされたチェンバー・ドローン(管楽器4人、弦楽器2人、打楽器1人、加えてJohn McEntireがシンセ)。中盤あたりで唐突にピアノ弾き語りパートになる(Grubbsの歌が絶品で琴線に触れる)。そのまま後半は隙間の多いピアノ独奏が続く。そこに控えめに寄り添う低いパルス音。アコースティックギターをほとんど用いず、他の作品とは違った試みに徹している。95年発表。

(Drag City/LP×2)
完璧。2人の蜜月はついに実を結んだ。1曲目「Our Exquisite Replica of Eternity」は荘厳なドローンに、鋭かった頃のKevin Drummによるプリペアドギター・ハーシュノイズが切り込みひとしきり暴れ回る。その後、引き延ばされた管楽器が加わりドローンが多層的に循環する。そして突然、大仰な映画音楽調のサウンドへ転じることで切断が生じるという、O'Rourkeが得意とする手法。これを冒頭に持ってくるあたりに2人の気合いを感じる。2曲目「Rebecca Sylvester」ではアコギ弾き語りに、過去にセッションを共にしているGunter Muellerの静かな即興が絡み付く。3曲目「The Sea Incertain」は隙間の多いピアノ演奏を、微細な電子ノイズとmats gustafsonらによる管楽器がじわじわと侵蝕する曲。4曲目「Hello Spiral」は冒頭でP16D4のRalf Wehowsky/RLWのテープによるコラージュノイズと、Muellerによるノイジーな電気増幅パーカッションがひとしきりハーシュに暴れる。これが短いがORGANUM&TNB並の高密度ノイズ。その後ミニマルなアコースティックギターが淡々と反復され、John McEntireのタイトなドラムが加わり、やがて飽和を迎える大作。ミニマルロック的方法論の集大成といった感じ。5曲目「The Relay」はピアノ弾き語りに微弱なサックスが薄い膜のように重なる繊細な曲。
そして小曲を挟んでの7曲目だが、何とJohn Faheyの「Dry bones in the valley (i saw the light come shining 'round and 'round) 」のカヴァー。Faheyの情感豊かなオリジナルの演奏と比較すると、幾分端正な演奏である。その行儀の良さに2人のFaheyへの深い敬意を感じる。穏やかなアコースティックギターのメロディが爪弾かれる前半。ミニマルな反復が繰り返される後半。すなわち「アメリカ的なるもの」と「ミニマリズム」。自己の長年の2つのテーマを解決するために、この曲に目をつけたO'Rourkeは上手い。後半のミニマルなパートはオリジナルより大幅に拡大されており、ここにO'Rourkeの真意が見て取れる(オリジナルが7分なのに、このカヴァーはその倍近くもある)。さらに驚くべきことに、ミニマルパートの大幅な拡大にともない、Tony Conradまでも参加させてしまう。ミニマルなアコースティックギターの反復にConradのヴァイオリンによる持続音がゆっくりと重ねられ、ミニマルな反復は静かに昇華してゆく。「Happy Days」における試みはここで再び、これ以上は考えられないくらい完璧な形で実現された(しかも片方は本人御降臨で)。
単なる折衷や装飾ではなく、楽曲に電子ノイズや不定形な音響をぶつけて、溶け合わせるというコンセプト。これこそが音響が装飾として楽曲に収斂されてしまう他のポストロックバンドとの決定的な違いである。GASTRのメイン楽器がアコースティックギターとピアノであったことの意味とは、単純なアコースティック趣味などではなく、生音の響きが音響やノイズをぶつけるうえで効果的であったからではないだろうか。
アメリカーナとミニマリズムの問題や、ドローンによる「循環と切断」などはO'Rourkeがたびたび初期のソロにおいて取り組んでいたテーマである。ゲストのノイズ〜フリー系の音楽家達もO'Rourkeの人脈であろうことは容易に想像がつく。本作は、ややO'Rourkeの問題意識の側に振れた作品だ。過去の数々の試みを総決算し、そして素晴しいカヴァーを収めた名作。この盤に出会えて本当に良かった。96年発表。

(Drag City/LP)
98年の最終作でGASTRは最後に大胆なポップへの転向をみせた。今までのようにインスト中心ではなく、普通に歌ものも多い。OVALことMarkus Poppが1,2,4,6曲目で電子音響を加えている。やや強引とも思えるコラボレーションの為か、作品全体を通して以前なら非常に緻密に注意深く重ねられていた音響が大味な重ねられ方をしている気がする。管弦楽器も抽象的なまま楽曲に溶け合わされるのではなく、装飾として楽曲を演出しており、その変貌には驚かされる。総じて演出過剰な程のポップ指向であり、前作の実験的な音響工作やストイックなミニマリズムも、BASTRO的な荒々しいジャンクっぽさもここでは指向されていない。
音楽家が変節することは、往々にして過去のファンの反発を招く。しかしながら音楽家が作風を変化させてゆくことは致し方ない。それにしても寂しい。客観的に見れば、宝石のような珠玉のポップス(ありきたりなポップスとは違うが)であり、素晴しく良く出来ている。そしてこの方向性は解散後の2人の活動に今も繋がっている。

(P-VINE,BLUE CHOPSTICKS/CD)
ハードコア的な熱とプログレ的な複雑さを合わせ持った鋭い音楽をやっていたBASTRO。周知の通りここからTORTOISEもGASTRも始まった。前身バンドであるSQUIRREL BAITの青く瑞々しいジャンク〜ハードコア路線を引き継ぎつつ、リリースを重ねるにつれ、よりハードにプログレ濃度やら変態度を向上させていた。とはいえ基本的にヴォーカル主体のロックバンドであるという形式は(かろうじて)保っていた。私自身、直接TORTOISEやGASTRに繋がる要素があまり見られないため、BASTROはメンバーの前キャリアという程度の認識しかなかった。しかし本国ではDavid GrubbsのBLUE CHOPSTICKSから発掘される、このBASTROのライブ音源はそんな甘い認識を打ち砕く内容だった。
録音時期はラスト作である2ndリリース後。Johnsonが抜け、Bundy K. Brownが加入したバンドとしての末期である(この後John McEntireがサポート的ポジションにまわり、BundyとGrubbsのアコースティック・デュオとなることでGASTRはスタートする)。BASTROがこの編成であった時期は短く、結局アルバムが録音されることはなかった。しかしここで聴ける楽曲群からは、この時期のBASTROが全く別バンドへと大きな変貌を遂げつつあったことが分かる。
本作はさまざまな場所でのライブ録音集であり、全ての演奏からヴォーカルが姿を消している。余分なモノが削ぎ落とされ骨格のみとなった、入り組んでいながらもミニマルな楽曲。過去のBASTROとは全然違う印象。何よりここで演奏されている曲は後にGASTRとして録音される曲なのだ。これにはかなり驚いた。BASTROはメンバーの前キャリアなどではなく、サウンド的にみてもGASTRと地続きのバンドだったのか。GASTRのコンセプト「ミニマルロックと溶け合う不定形な音響」の「ミニマルロック」の部分の青写真は、既にこの末期BASTROの時点で見えている。それもかなり熱く。(そして「不定形な音響」の部分は、その比重が増すのはやはりO'Rourke加入後である。またO'Rourkeはハードコアやロックをバックグラウンドに持たなかったが故に「ミニマルロック」の部分もロック的な熱を冷ました形でより強めてゆく。)
それぞれの曲についての詳細は下記。
1曲目「Antlers」はGsatrの1st「The Serpentine Similar」における「A Watery Kentucky」の原形であり、GASTR版はもっと速度を落とされ、ヴォーカルが加えられ、ドラムパートが大幅に少なくなる。
2曲目「Hirschenachk」はGsatrの2nd「Crookt, Crackt, or Fly」における「Work from Smoke」の一部であり、GASTR版では冒頭の2分間で使用される。そちらはドラムがなくなり、この後に歌と即興が加えられ長い曲となっている。
3曲目「Educated Fool」は明るいメロディの曲で一部がGrubbsのソロ「The Thicket」でも使用される。
4曲目「Metal Legs」はここのみで聴ける曲。
5曲目「Sleepy Taste」はGASTRの1st「The Serpentine Similar」における「Ursus Arctos Wonderfilis」の原形であり、かき鳴らされるギターにより、止まっては走り出すリフが繰り返される。GASTR版はドラムがなくなり、これがさらに多様に展開する。
6曲目「Beatlenacht」はGASTRの1st「The Serpentine Similar」における「For Soren Mueller」の原形であり、ここでは即興要素を含んだオリジナルな展開をみせる。
7曲目「Glistery」はGASTRのMCD「Mirror Repair」における「Dictionary of Handwriting」の原形であり、GASTR版では楽曲の後半において、やや違う形で使用される。
さらにドイツでのライブ映像が2つ収録されている。1つめは、まず「Glistery」。そして「Jefferson-in-Drag」(これはBASTROの2ndの曲でヴォーカル有り)。そして2つめは、まず「Floating Home」と「Noise/Star」(これらもBASTROの2ndの曲でヴォーカル有り)。そして「Hirscheneck」という構成。

(Sound of Pig Music/MC)
どうやらオルークの最初の作品であるらしいカセット。再発がかかったのか容易に入手。まだ新鋭ギターインプロヴァイザーであった時期の作品らしく、ギター主体の構成で、リバーブ以外のエレクトロニクスは用いてないらしい。
A面、やけに荒々しく打ち鳴らされるパーカッション(もしかしてコレもギターによるものなのだろうか?)のリズムに、細かいギターが加わる曲でスタート。何というかそのシンプルさが微笑ましい。続いては爪弾かれるギターの小曲。そして残響フィードバックによる静寂のドローン。引き延ばされたサウンドスケープ。そしてB面、まずは響き渡る軋み金属音に、特殊奏法ギターによるものであろう、発振音的痙攣ノイズがまとわりつく、オルガナム的世界が繰り広げられる。即興にしては非常によく出来た、軋み系金属ノイズの傑作。やがてフィードバックを用いて、多少はギターらしい即興演奏の曲へシフトしてゆく。そしてミラー的な幽玄ドローンへ突入。深いリバーブの霧の中、ギターによるドローンがレイヤー化し層を成す。
彼のディスコグラフィーの中では、ギターインプロに分類されるであろう作品ながら、その音色と構成のセンスの良さは特筆もの。即興演奏であることよりも、明らかにコンクレート的視点に立って制作されている。特にB面の見事な手腕に、後に音響作家として開花する才能が予感される。この最初の作品を聴いたことでオルークについては、もう自分の中でケリがついた気がする。

(P-VINE/CD)
チェンバー・ドローン作品。89-90年作。これはリマスター&リストアの施された再発盤。楽器編成も含めて、現代音楽に属する内容である。「Spirits never forgive」はチェロとエレクトロニクスによるドローンの中からパーカッションとヴァイオリンが浮かび上がり、不安感を増幅するように絡まり合う曲。オルークはチェロ、パーカッション、エレクトロニクスを演奏。「He felt the patient memory of a reluctant sea」は管楽器による長いスパンの繊細なドローン。ここでもオルークはオーボエとパーカッションを演奏。「Ascend Through unspoken shadow」は弦管楽器奏者5名による重厚なチェンバー・ドローン作品。この作品ではオルークは作曲に徹し演奏には参加していない模様。ドローンは循環するうちにピッチを上げ、混乱しながら縺れ合う。ノイズやフリーインプロに親しみながら、大学で作曲を学んでいたという、若き日のオルークらしいノイズ風味の現代音楽。

(Staalplaat/CD×2)
91-92年にかけて制作された、溺水をテーマとしたドローン、エレクトロ・アコースティック作品。2枚組。1枚目「Mere」は3章からなる組曲で弦楽器、管楽器、声、ベースによる徹底したドローン。即興集団Morphogenesisのマイケル・プライムも短波ラジオで参加。淡々とした持続音は変化や派手さとは無縁で、ひたすら暗く重苦しい。2枚目「A young persons guide to drowing」も2章からなる組曲。ウォーレン・フィッシャーとの共作(彼はヴァイオリンも演奏)。ゆっくりと寄せては返す、陰鬱な波を想起させるエレクトロニクスの織り成すドローンを中心に、水の音や電子音も交えながら曲は展開してゆく。特に電子パルスが無機質に冷たく鳴り響くパートは凄まじい緊張感と暴力性。後半は消えてしまいそうなほどに弱々しく震えるドローンに、軋むヴァイオリンが重なる展開。美しさではなく恐怖の対象としての水。鉛のように重く冷たい塩気のない淡水。静寂の中に潜む、人間的な感情を無視した暴力的な悪意としての自然。初期のオルーク作品には、どこか冷たく陰気な水のイメージが漂う。初期の傑作であり必携。

(Three Poplars/LP)
92年作、本盤はLP再発。盤面はクリアビニールであり、アートワークも美しい。フィールドレコーディング音を素材とした作品。大気の流れる音、車の走行音など、フィールド音はそのままの姿で提示されている。静寂が音楽の多くを占めており、集中して聴いていると何気ない日常音も甘美な音響に聴こえて来る。そして中盤から、いつものドローンがゆっくりと姿を現す。荒々しくも繊細極まりないドローンは、フィールド音と絡まりながら緊張の度合いを高める。この具体音と不安定な抽象音のせめぎ合いこそが本作の聴きどころ。次作と同じくフィールド音の使用頻度が高いので、フィールドレコーディング作品が好きな方にもお薦め。

(Metamkine/3'CD)
フランスの、実験映画とも深い関係のあるメタムキンからリリースされた3'CD。メタムキンの「耳のための映画シリーズ」の一枚。93年の作品。街の雑踏、車のクラクション、公園で遊ぶ子供達の声、様々なフィールドレコーディング音源が場面転換のように切り替わりながらコラージュされてゆく。その手さばきはあくまで映画的で、ラッシュ編作業のようでもある。実際のフィールド音に加えて、BGMとしての映画音楽的な演奏が付け加えられており、多くの場面で何らかの音楽の断片が流れている。音と映像の関係について考察し、劇映画の範疇でそれを展開させたゴダールのように(例えば「右側に気をつけろ」)、ミュージック・コンクレート作品でもありながら、架空の映画のサントラでもあるという鋭いコンセプトを、音楽の側から突き付けた批評的な作品。

(Tzadik/CD)
エレクトロ・アコースティック作品集。ジョン・ゾーンのTzadikコンポーザーシリーズに作曲家としてオルークが登場。40分にもわたる大作「Cede」は93〜94年制作。オルークのテープに演奏家(管楽器奏者2人とジョン・マッケンタイア)が加わるという編成。ここでは他の作品のような分かりやすいマテリアルの使用はしていない。曲の大部分を静寂が占めているが、耳を澄ませば微細な抽象音が注意深く静寂の中に配置されていることが分かる。そこへ管楽器が部分的にうっすらと重ねられる。難解と言う訳ではないが、何もせずとも聴こえてくるような分かりやすさは皆無。微細な持続音やテープ音源は緊張の度合いを高めながら循環し、やがて突然別の段階へと転じる。オルークのエレクトロ・アコースティック手法の集大成に相応しい。微細な音に40分近く集中することで、敏感になった意識にとっては終了直前の大きな転換(ここのみがマッケンタイアのパート)は衝撃。もう一方のタイトル曲「Terminal Pharmacy」は中断しながらも95年に完成した作品。アコーディオン、管楽器、弦楽器、アコギ(オルークが演奏)による室内楽曲で無調な現代音楽的印象。

(Revenant/CD)
チェンバー・ドローンあるいはエレクトロニクス・ドローンを構成物とすることにより、大きなスケールでの循環を得意としていた初期の仕事を経て、この作品ではアコースティックギターとハーディーガーディーのみが用いられている。孤立したアコースティックギターと密集したハーディーガーディーの対比、それは帯解説文(REVENANT盤)にあるようにジョン・フェイヒーとトニー・コンラッドの関係性を探る仕事である。冒頭の10分はゆったりとしたアコースティックギターの演奏。ミニマルな弛緩したメロディを淡々と爪弾く。その後、ハーディーガーディーの持続音へ徐々に移項してゆくという展開。両者ともに音の構造(反復と持続、どちらもミニマリズムで括れる。)は同じだが、前半と後半で使用される楽器、語法が違う。その方法論もさることながら、後半のハーディーガーディーの産み出すノイズの凄いこと。これぞハードコア・ドローン。密集したぶ厚い軋みはオルガナムを軽く凌駕する。ノイズ的視点からみても、この音の豊穣さは絶品。ガリガリと引っかかる軋み音と多層的な持続音が一際大きくなる39分以降はまさに極楽。手回しハンドルの力の入り具合がリズムのようにも聞こえる。そのまま更にドローンは上昇し、やがて消えてゆくのだが、その中から再びアコースティックギターが浮かび上がり、大きな循環は最後に大円団を迎える。まるでCDレーベル面にデザインされた真円のように。間違いなく彼の最良の仕事。96年の大傑作。オルークにとって重要な2つの要素、ミニマリズムとアメリカ的なるものの結合。さらにそれを「幸福な日々」と題するセンス。これだけは聴いて欲しい。

(Table of the Elements/CD)
ジム・オルーク、彼の名前をはっきり覚える切っ掛けになった最初の一枚が本作である。ジャーマンプログレ大好きな若輩だった私が、当然のように買ったFaustの新譜(95年当時)。その内容に「流石はFaust。なんて緻密なコラージュワーク。」と思ってたら、実質的にはオルークの作品だったというトホホな巡り合わせであった。ここでオルークはプロデュースという肩書きではあるものの、Faustが相手ではスタジオでの計画的な録音になんてなるはずもなく、ライブのテープだけ送りつけられて、文句言われて、気の毒な事にそれをコツコツと手作業にて一人で仕上げる羽目になったという。なんともFaustらしい逸話ではないだろうか。しかし、そんな不運がこの素晴らしいコラージュ作品を産む事になるのだから世の中分からない。テープの使える部分の切り貼りで緻密に再構成したFaustに似た別の音楽。Faustを素材にしたオルークのリミックスとでも言おうか。初期のオルークの音楽が持つ、あの循環する感覚が堪らなく好きという方には必須の作品。他者に実制作を丸投げするという、Faustらしい脱臼的行為であると深読みするも良し。元素記号表レーベルらしいミニマルな銀一色のアートワークも美しい。その元素記号表レーベルの活動記録パンフによると1994年のアメリカでの「manganese festival」の時のFaustのライブが素材の模様。トニー・コンラッド、AMM、サーストン・ムーア、灰野敬二も出演。実際、灰野とはセッションに近い形だったのではなかろうか。一聴して灰野とわかるヴォーカルとギターがかなり入っている。
ノイズリスナーにとってはオルークとはどういう存在なのであろうか?。軟弱な音響?、程よくポップで程よくマニアックなスノッブ向けミュージシャン?、器用すぎるのと、音楽マニアでノイズからポップスにまで詳しいのが災いしてか、どうも硬派なノイズマニアからは受けが悪い気がする。別にノイズ聴く人に「Eureka」を勧める気は全く無い(私もあの作品には何の興味も持てない)が、Gastr Del Solと初期の個人作品はどれも聴いておいて損はない。
過去において「音響派」と称された音楽やその周辺の実験的ポピュラー音楽が、ファッションや雰囲気に寄りかかったものに過ぎず、結果消費されて行ったのは明らかであるが(一体、後世に残る作品がどれ程あっただろうか)、そんななか、ある時期までのオルークの仕事は他とは違う本当に意味のあるものとして私には感じられた(他では大友良英にも同じものを感じる)。勿論そこで試みられた実験とは、過去の実験の焼き直しに過ぎない。しかし多領域の文脈を横断しつつ、先人の表現形式の実験を、実践的に辿り直そうとする気概が彼の中には存在していたと思える。その気概とは変化、経験を求めて広がる意志から来るものであったと言ってもよいだろう。

Table of the Elements Discography
Table of the Elementsのディスコグラフィーが一覧になっている。こうして見るとTable of the Elementsのデザインに一貫するコンセプトが見えてくる。アートワークもレーベルとしての審美眼も明確であり、大変素晴らしい。
数えてみたら、もう手放した盤も含めて32作を持っていました。一時期はコンプリートを目指していた。
BASIC CHANNELが活動再開、しかもMoritz von Oswald Trioが来日。
http://www.unit-tokyo.com/schedule/2008/07/11/080711_u4amvot.php
このジャンルの音源はほとんど処分してしまっているが、BASIC CHANNELとRhythm & Sound関連の盤だけはちゃんと残してある。凄く観に行きたいが…多分無理か。
最近アップされていたトニコンのライブ映像。

(Streamline/CDx2)
クリストフ・ヒーマンのStreamlineからの二枚組、まだオルークが大学で音楽を学んでいた時期の作品の発掘であり、リリースにあたってリマスターが施されている。ヒーマン、チョークによるMIRRORのような、電子音によって丹念に制作さたドローン作品である。現代音楽のドローン作品は往々にしてコンセプト先行ある場合が多いのだが、そこはノイズやフリー、すなわち実験的ポピュラー音楽に当時既に関わっていたオルークらしく、細部まで音響そのものに対するフェティシズムが詰め込まれており、分かり易くて良い(表現とは必ずしも分かり易いのが良いわけではないが)。
初期のオルークに顕著な、溺水の感触がよく表れている。揺らめくドローンは、薄い皮膜のように折り重ねられ淡々と持続する。人は水に浸かるとき、身体を包み込む液体の重さを感じる。たとえ身体を動かしても、水は包み込んだ身体を離そうとはしない。そして、ゆっくりと麻痺させるように、羊水のなかに浸かる胎児のように、水のなかで身体の境界は揺らめく。そこでは怖れではなく、ある種の安堵にも似た感覚が呼び起こされる。それは衰弱の感触であり死の感触でもある。この溺水の感触は、日付が変わり、朝を迎えるまでの、夜の暗さにもよく似る。ここでも身体は大きな、平坦な静寂と暗さに包まれる。
現在のオルークは音楽に対して、この頃には間違いなく持っていたであろう未知なるものへの好奇心があまり感じられない。すなわちルーチンワークというか、音楽への諦観を感じながら既成の安定した音楽形式に乗っかっているように思えてならない。昔のスタンスを取り戻して欲しいものだと思う。
本作はデヴィッド・バーマンに捧げられている。

(Touch/7EP)
ジム・オルークの新作がリリースされた。それは2008年5月の録音であり、初期の仕事に立ち戻ったかのようなオルガンや弦楽器によるドローン作品であった。ここで聴かれる軋み合いながら縺れ合う音の感触はとても素晴らしい。このところオルークの作品といえば、フリーインプロや発掘音源ばかりであったので(武満徹の「コロナ」は別とする)、新作として再びミニマリズムとしてのドローンに取り組んだことには嬉しい驚きを感じた。私の聴きたかったオルークの音楽とは、まさにこのような音楽だ。
本作には映像作家である牧野貴への謝辞が記されている。思えば牧野のフィルムにつけられたオルークのサウンドトラックは、どれもオルークの初期の仕事を思わせる実験的な内容であった(もしかしたら本作もその過程で生まれたものであるのかもしれない)。私は二人の共同作業のなかで、牧野のフィルムがオルークのスタンスに何らかの影響を与えたのではないかと思っている。
私は全てがやり尽くされ前衛が消え去ったあとの音楽の世界で何が出来るのかを、オルークの音楽を通して確認してみたいと思い続けている。冷笑的な態度で過去の音楽のパロディに走るのでもなく。既成の音楽形式に乗っかって「日常のかけがえなさ」に逃避するのでもなく。多様性の陳列に安定を求めるのでもなく。進歩史観としてのモダニズムに逆行するのでもなく。過去の音楽における実験をたどり直しながら、そこに今日的な変化の可能性を見出すことは可能なのかを。
なお、このTouchの7インチシリーズは、デジタル環境が一般化した今の時代において、敢えて7インチの固有性を問い直すことをコンセプトとしている。音楽の内容も非デジタル環境における制作ということで足並みが揃えられている。音のテクスチャー、溝、レコードをかけるという行為、カバー…7インチとは7インチに固有の経験をリスナーに与えることができるメディアだ。RPMもレーベル側からは自由に調整することが推奨されている。

何と、タージ・マハル旅行団の「「旅」について 」がDVDにて発売される。あわせて、タージ・マハル旅行団の「LIVE IN STOCKHOLM1971」、小杉武久の「キャッチ・ウェイヴ '97」も発売。「「旅」について」は、先日ハマトリで観たばかりなのだが、想像以上にヒッピーそのものだったメンバーらの旅行生活の映像には衝撃を受けた。必見であると思う。だだっ広い荒野のなか、彼らのライトバンが走ってゆく映像には涙腺が緩む。
Raster-Notonが名古屋にもやって来る。京都まで行こうかと思っていたのでこれは嬉しい。多分行くと思う。
raster-noton japan tour 12/2008 featuring
alva noto
anne-james chaton
byetone
nhk
nibo
pixel
snd
17.12.2008 raster-noton @ unit, tokyo
19.12.2008 raster-noton @ sunsui, osaka
20.12.2008 raster-noton @ lounge vio, nagoya
21.12.2008 raster-noton @ metro, kyoto
名古屋は以下のとおり。
LIVE: alva noto (with anne-james chaton) ・byetone ・snd ・pixel ・nibo
DJ: TOMOHO -HAUNTED DANCEHALL-
lounge vio
12/20
11PM〜
ADV: 2500YEN. DAY: 3500YEN.
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昔、Carsten Nicolaiに自分の通っていた大学へ来てもらったことがあったのを思い出した。当時の学科の先生とワタリウムが企画して、何故か私が実務をやった。とても良い思い出です。
追記:会場の表記なおしました。
アメリカのノイズ作家PBKのサイトに、以前、彼と親交のあったジム・オルーク(当時19歳)が作ったというミックステープが落ちていた。メシアンからゴッドフレッシュまで、意外な選曲が興味深い。まだ音楽大学の一年生で、IOSに参加していた頃だろう。
http://soundgenetic.blogspot.com/2008/12/jim-orourke-mixtapes-198889.html
ハリー・ベルトイアのレコードを何枚かまとめて聴いたが、想像以上に凄まじかった。ベルトイアといえば、デザイナーズチェアの作者として有名だが、音響彫刻家としての活動も素晴らしい。その内容は静謐な金属音ドローンを、巧みな構成によって展開している傑作ばかり。作曲されたかのように、その構成は起伏に富んでおり、音色の豊かさと相まって、聴く者を全く飽きさせない。
このところ随分放置していましたが。またそろそろ、いろいろと書きます。
いきなりですが、当ブログは下記イベントを応援します。何の力もありませんが。
フォームから要予約とのことです。
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3-part in(ter)ventions
http://www.setenv.net/event/3-part_interventions/
刀根康尚『MP3 コラプション・ピース』 〈ソロ〉
本作品は、ヨーク大学(イギリス)のミュージック・リサーチ・センタ―のアーティスト・イン・レジデンス・プログラム「The New Aesthetics in Computer Music」の支援により、同センタ―で作られた。MP3は、ファイルの音声圧縮のプログラムであるが、この圧縮と溶解の間に介入してファイルをコラプトさせ、音響のソースを全く新しい音響に変えるというのが、アイデアの根幹である。コラプションの発生を1から1000までの間のパラメーターとして入力し、その結果エラーが発生する。だが、実際にはコラプトした音響自体を使うのではなく、コラプションが起きた時にプログラムが21のタイプのエラーを報告するという機能をトリガーとして21のビヘヴィアーを自動的に選ばせることによって、音源が全く別のものに変わるのである。[YT]
日時:2009年11月22日(日) | 開場: 19:00 / 開演: 19:30
会場:新港ピア (神奈川県横浜市中区新港2-5)
料金:予約: ¥3,000
当日: ¥3,500 (税込/all standing)
予約:ご予約フォームにご記入ください
出演:刀根康尚、大友良英、ジム・オルーク
主催・企画・制作:SETENV
共催:ヨコハマ国際映像祭2009
協力:Nam June Paik Art Center / 札幌市立大学 須之内研究室
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追記:
以下、setenvのサイトより転載。残念。
刀根康尚氏の来日中止について
このたび、出演者の刀根康尚氏よりご連絡があり、ご本人の体調が思わしくないため、今回の来日を中止せざるをえなくなりました。
この決定を受け、共演者の大友良英、ジム・オルーク両氏とも話し合いをさせていただいた結果、おふたりに、約2時間(予定)のパフォーマンスをお願いすることになりました。
なお、当日、開演前に、2005年の「Variations on a Silence : Concert」における刀根氏の演奏の模様を再編集した未公開映像を、会場にて上映いたします(19:10より、約15分間を予定)。
また、今回演奏を予定されていた「MP3 Corruption Piece」をNYのご自宅で新規に演奏・録音した音源による、録音参加も計画しております。
刀根氏の出演を楽しみにされていた皆様には、内容の変更を心よりお詫び申し上げます。
何卒ご理解を賜りますよう、お願い申し上げます。
*なお、これまでにご予約をいただきましたお客様につきましては、キャンセルされる場合のご連絡等は特に必要ございません。
フィル・ニブロックが数年振りに来日するらしい。共演はジム・オルークで、キャサリン・リベロヴスカヤによる映像とのコラボレーションとなる。以下、情報のみ転載。
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フィル・ニブロック
http://www.super-deluxe.com/2009/11/18/phill-niblock/
2009年11月18日 / スーパーデラックス
開場:19:00
開演:19:30
料金:予約3000円 / 当日3500円 (ドリンク別)
Phill Niblock (mixed sound collage pieces) & Katherine Liberovskaya (live video) & Jim O'Rourke
opening act: o.blaat
ああ、格好良い。
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