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Review: Free Jazz/Improvisation Archive

2007年11月29日

PAINKILLER - Collected Works

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(Tzadik/CD×4)
節度ある大人なフリージャズ/フリーインプロ愛好家ならまずジャケットに、次いで内容に二度顔をしかめるであろう首吊り死体ジャケットに包まれた集大成4枚組(Box内には1stアルバムの検死ジャケットをはじめとした悪趣味なアートワークも収められている。)。

1st「Guts Of A Virgin」、2nd「Buried Secrets」が収録されたDisc 0、およびDisc 1「Execution Ground」はビル・ラズウェルのダブなベースに支えられ、高音域でフリーキーに暴れるジョン・ゾーンのアルトサックスにミック・ハリスのハードコアなドラムが容赦なく襲い掛かるというハードな内容。このユニットにてゾーンはハードコア〜グラインドコア〜デスメタルから初期衝動のみを抽出し、フリージャズ〜インプロに挿げ替えてみせた。もともとゾーンは「HARMONY CORRUPTION」のライナーを読めば分かるようにハードコアパンクにも深い理解を有していた人物である。「Scum」によってグラインドコアを打ち立てた初期NAPALM DEATH。その斬新な音楽的コンセプトの要であったハリスをフリーインプロに引っ張って来てドラムを叩かせる。則ちグラインドの動燃機関でフリーインプロを駆動させる。それによって我々はフリージャズ〜インプロヴィゼーションとハードコアパンク、両者は意外にも近いベクトルを持っていたことを思い知らされる。

90年代には灰野敬二や山塚アイ関連といい、この辺りの音楽を全て同一の価値観で繋げることが可能な空気があった。Disc 3には、その山塚アイもゲスト参加した94年の大阪でのライブが収録されている。またBox化にあたってはDisc 0に、巻上公一「殺しのブルース」に収録されたトラック「Marianne」が追加収録されている。これはJacksのカヴァーを灰野敬二、巻上公一と一緒に演奏するという強烈なトラックである。

改めて聴き返すと、上記のような激しい側面だけではなく、恐らくラズウェルが持ち込んだものであろうダブ的アプローチが随所で炸裂しているのも面白い。Disc 2はダブ処理によってズタズタにされた即興演奏の残骸/残響としてのアンビエント全2曲。そういえばPAINKILLERの演奏からゾーンの金切りサックスに触発された激しいパートを除いて、ラズウェルとハリスのダビーなリズム演奏部分のみを聴いてみるとヒップホップ/ダブレーベル WORDSOUNDからリリースされた彼等のユニット、E.O.Eと驚く程に音楽形式が似ていることに気がつく。この頃からハリスは打ち込みによるダブ・ブレイクビーツ路線へと転身するのだが、PAINKILLERでの活動も変化の要因の一つだったのではないだろうか。

ドラマーの音楽的背景が即興演奏ではなく、あくまでハードコアパンク〜グラインドコアであることがこの作品の特色となっているのは当然だが、それに加えてダブの要素までもが注入されている怪作と言える。

2007年12月25日

Milford Graves - Babi

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(IPS/LP)
掛け声とともに開始される暴風雨のようなフリージャズ。手数の多い雪崩のようなミルフォードのドラムにアーサー・ドイルとヒュー・グローバーのリードが衝突する。どちらがどちらかは分からないが、片方は悲鳴のこだまのようなブレスを続け、片方ははっきりした輪郭にてうねり変形し続ける。またドラムの方は手数の多さと、音色の豊かさ(一体何をどう叩いているのやら)がミルフォードらしい。集団即興では味わえない各人の特徴が前面に押し出された、理想的な鋭い演奏。後半では何やらほのぼのした民族音楽的な世界にまで突入し、楽しげな歌声とともに演奏が進んでゆく(このゆったりした空気とは対照的に、サックスは相変わらず金切り声をあげる。このコントラストも面白い)。1976年録音。

2008年02月15日

VA - 幻野 幻の野は現出したか~’71日本幻野祭 三里塚で祭れ

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(FLYING PUBLISHERS/CD x2, DVD)

二枚組LPのCD化に、ドキュメンタリーDVD(監督:青池憲司)も付属したBOX仕様。CDは三里塚にて、1971年8月14、15、16日にかけて行われた「'71日本幻夜祭〜三里塚で祭れ」における初日日没から深夜にかけての録音である。

全共闘の闘争が終息し行く時期(すでに小川紳介は三里塚シリーズに取り組んでいる)。社会空間から乖離していた新左翼は、マルチチュードへと向かいはじめる。これは自らが他者となり、生成変化のなかに身を投じ、小さな物語のはじまりとともに姿を変えてゆくということである。激しい状況の変化。録音の中でもこの状況は、一元的には解決し得ない問題として浮かび上がっている。

演奏を中断させる、主催者である青年行動隊と他セクトとの激しい論争。皆がひとつの考えを共有することの困難さを感じさせるが、そもそも何のために個が連帯せなければならないのだろうか。その問いは祭り/革命の主体は誰なのかという問題に突き当たる。これは即ち、闘争の主体は誰なのか。民衆だとすればその主体であるはずの「疎外された状況にある民衆」は一体どこにいるのかという問題である。

張りつめた緊張感。参加者らの齟齬は論争の中で先鋭化するが、しかしそれはロックの演奏になると一旦中断する。この現象は終盤の頭脳警察の「銃をとれ」での一体感へと繋がる。しかし極々個人的な感想ながら、この一体感、共同幻想は分かり易すぎて危うい。このような一体感は、いつも嘘をつく。舞台に上がって民謡を歌いはじめる婦人行動隊や太鼓の演奏も、このような一体感の別の現われである。また「ゼロ次元」の全裸パフォーマンスなどの混沌とした状況も、それ自体が祭りの中にフレームされてしまうと、とたんに共同幻想のなかで、ひとつの個性として回収されてしまう。

そして齟齬や差異が、齟齬や差異のまま貫徹すること。みんながひとつとなることを拒否すること。闘争を個人の問題として個人の領域においてのみ行うこと。個が個として徹底することこそが、私には大切なものであるように思える。本盤の白眉は「世界革命戦争宣言」から「銃をとれ」のアンコールに至る流れと、それを切断するロストアラーフ(灰野敬二)の演奏であるが、ロストアラーフの他にも高柳昌行ニューディレクションや阿部薫(彼のここでの録音は残されていない)などは、異物として、即興演奏によって「個が個であること」を突きつけてくる。和解することのない、鋭い対立としての演奏である。主催者の思惑は分からないが、出演者に(当時の呼び方で言うところの)ニュージャズを組み込んだこと、それによって生まれた拒否の持つ意味は、極めて大きい。

2009年02月09日

Company - Company 6

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(Incus/LP)
フリーインプロヴィゼーションを抽象的な音の構成としてとらえるのではなく、開かれた関係性を持った(開示された状態にある)、揺らめく音の群体としてとらえるとどうだろう。そうとらえるならばこのレコードは、聴くたびに新しい関係性をともなって音が立ち現れてくるような、豊穣な可能性の場所として機能するだろう。ここにはLeo Smith, Maarten van Regteren Altena, Evan Parker, Steve Lacy, Tristan Honsinger, Lol Coxhill, Anthony Braxton, Steve Beresford, Han Bennink, Derek Baileyという、総勢10名の演奏家が参加している。彼らは全員で集団即興を行う訳ではなく、各曲ごと2〜5名の演奏家の組み合わせによって演奏を行う。ここで聴ける組み合わせのヴァリエーションはなかなか楽しい。自分自身に対しても、他者に対しても、ひたすら連続性と関係性をずらして脱臼させてゆく、そのような行為の累積である。よってプレイヤーの自己表出は極めて希薄となる。ここに快感を覚えてしまえば、例えばA面1曲目「LS/TH/AB/SL/MR」やB面2曲目「MR/SL」の、断片が構成されずに累積してゆく演奏からは、驚くほど多くの経験が引き出せる。

追記:話は逸れるが実験映画において、このような開示された音楽に似た作品があるとすれば、それは牧野貴の映画であろう。逆にプレイヤーの自己表出が過剰な、熱いフリージャズ的な作品とは例えばブラッケージであろう。両者は方向性が異なる。

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