メイン

Review: Modern Music Archive

2007年04月08日

Karlheinz Stockhausen - Kontakte

kontacte.jpg
(Wergo/CD)
国内においての、シュトックハウゼンに対する言いがかり的誤解も解けた気のする昨今。この「Kontakte」は余りに有名なシュトックハウゼンの代表作であり、電子音とピアノと打楽器のための作品である。しかもWERGO盤はチュードアがピアノを演奏しているとあって、現代音楽のドリームチーム的な組み合わせとなっている。断続的に噴出し、唸る電子音だけでも異様な聴取体験をもたらすというのに、そこへチュードアの氷のように鋭利なピアノが接触する。総音列主義によって無機的な抽象音と化した器楽音は、元来抽象そのものである電子音と衝突し、緊張状態の中で複雑に絡み合う。電子音の音色の点からみても、当時のサイケにおける電子音使用、あるいは後世のテクノに与えた影響は計り知れない。

初期の電子音楽におけるシュトックハウゼンの試みは、その当時の技術のシンプルさと極端さ故に、結果としてノイズミュージックに近似していた。なぜならノイズミュージックは「方法」の誤用という重要な相を持ち、それは常に定型的な「方法」へのノイズ性として立ち表れる。そして音楽の歴史を顧みる時、「Kontakte」における技術のシンプルさと極端さは、その後の電子音楽の技術発展に対する異物として屹立し、結果的にノイズミュージックに近似する。奔放に爆発し拡散する電子音を、垂れ流し系ハーシュノイズと重ねて受け止めてみることも充分可能である。

一柳慧, 横尾忠則 - 一柳慧作曲 オペラ横尾忠則を歌う

ichiyanagibox.jpg
(BRIDGE/CD×4)
60年代という時代が産み落とした怪盤がとうとう再発。現代音楽家一柳慧とイラストレーター横尾忠則の若き日の共闘。異様に豪華なボックスに収まるCD4枚と大量の特典である(オリジナルはLP2枚)。

DISC1はまず子守唄と揺らめく電子音のなか浮かび上がる軍歌コラージュと、女風呂における湿気がこちらまで伝わってきそうな横尾と一柳による歌唱レッスンのドキュメント。当時風に言うならレコード盤上におけるハプニングか。DISC2は全編内田裕也&フラワーズのへヴィーサイケデリックロック。これが極めて格好良い。同時期のクラウトロックなど軽く凌駕する凄まじい内容であり、フリーキーなセッションから延々とリズムが刻まれ、その上をギターがうねる極上のサイケである。DISC3の1曲目も同じく内田裕也&フラワーズ。その後は講談とCMソングの奇天烈コラージュと、鐘の音などによる重厚なコンクレートが続く。DISC4はまず不明瞭な戦時下放送、歌謡、店舗への呼び込みの声などのコラージュから始まる。続いて片田舎の自然音フィールドレコーディングとラジオのチューニングノイズがまとわりつく「白鳥の湖」。そして全ての混沌は高倉健の歌う「横尾忠則讃歌」に収斂される…。

「テープコラージュ&サイケなロック&歌謡」とくれば本作(69年)の2年後に姿を現すFAUSTの「Faust」(71年)が連想される。しかし本作の一見奇天烈な音世界の奥底にはアカデミズムの厳格さが潜んでいる。フリークアウトな廃校生活から生み出されたFAUSTの拳骨とは全く別種。FAUSTのサウンドがフリークアウトな彼らの日常と直結していたのに対し、こちらはサイケデリックでありながらも醒めた視線を常に併せ持っている。一柳によるミュージックコンクレートの手捌きは音源の強烈な印象とは裏腹に緻密で計画的かつ執拗。毒気の強い60年代アングラ文化の濃縮された空気にやられ、クラクラしながら愉快な気分になっていても、常に誰かに醒めた視線で見つめられているような奇妙な感覚である。

60年代アングラ文化の担い手たちの多くは、そういえば結構なインテリでもあった。一柳にはアカデミックな世界では出来ないような奇天烈な作品を、異なるフィールドの作家とともに作りたいという欲求があったのかもしれない。そして横尾忠則という相棒を得ることでこの国宝級作品は生まれた。ブックレットにも収録された一柳&横尾対談の支離滅裂ぶりも爽快である(同じく収録された近年の対談とのギャップがまた凄い)。本作といい「クロストーク・インターメディア」といい大阪万博といい、このような前衛精神が社会的有効性を伴っていた熱気ある60年代が羨ましい。

2007年05月25日

Robert Ashley - Wolfman

wolfeman.jpg
(Alga-Marghen/One-Side LP)
Sonic Arts Unionの一員でもあった米国の実験音楽家、Robert Ashleyの初期(1964)の傑作。Whitehouseにも間違いなく多大な影響を与えたであろう、恐るべき暴虐フィードバックノイズ作品である。本作のコンポジションにおいてAshleyは、マイクを口腔の中に突っ込みかねない勢いで、今日のパワーエレクトロニクス顔負けのフィードバックノイズと吠え声の混成体を放出し、テープの変調とミックスさせている。特に終盤のテンションの高さとクールさは異様ですらあり、現代音楽系電子ノイズに特有の、乾いたプリミティヴな緊張感に満ち満ちている。(この緊張感と極端な歪みは、サウンドマテリアルと形式のみ取り出せば、ノイズ/パワーエレクトロニクスと同質のものである。)また余りに格好良いAlga-MarghenからのLP版アートワークと潔いワンサイドのみの収録形態は、この作品のプリミティヴな緊張感をより引き立たせていると言えよう。

2007年06月13日

Henryk Gorecki - Symphony No.3

gorecki.jpg
(Elektra Nonesuch/CD)
グレツキ作曲による単純性に回帰した系統の、1976年の作品。現代音楽においてのスペクトル学派や新しい複雑性と称される音楽に比すれば、その姿勢は退行的であるとも取れようが、東欧らしくも暗く美しい、ミニマリズム的ですらあるシンプルな旋律が、女声ソプラノに導かれるようにして飽和を迎える第一楽章の、心の琴線に触れる展開は何度聴いても落涙ものである(一時期のFaustは、頻繁にこの楽曲を引用していた)。元々彼はセリー音楽を経由し、やがて前衛性への懐疑から調性に立ち戻ったとされるが、このベストセラーとなったDawn Upshaw参加の録音(1992年)は、その変化が彼の真摯な音楽技法遍歴においての必然であったと証明するかのようである。モダニズム的な歴史の視点から見ればこれは退行であるが、個人の歴史とそこにおける変化の必然性の視点から見れば、何ら否定されるものではあるまい(嫌らしいポストモダン的風潮に毒されず、個人の宗教心を動機としている点においても)。

2007年07月09日

告知: Trevor Wishart来日コンサート

■トレヴァー・ウィシャート コンサート

出演:Trevor Wishart, 足立智美
日時:8月27日 門仲天井ホール

ナヤ・コレクティブ

何と8月にTrevor Wishartが来日する。現代音楽の異端(アカデミックらしからぬ立ち位置という意味で)とはよく言ったもので、どこかユーモラスなゲーム的作品から、強烈な音響作品まで幅広い活動で知られている。ちなみに彼はヴァスルカ夫妻のビデオアート作品にも出演している。加えて教育活動もちゃんと行っているらしく、先日ユニオンにてレコードを漁っていた際に、彼が監修した音響技術の教本らしきものがあった。それほど熱心なファンという訳でもないが、勿論作品は聴いてきているので時間が取れれば是非観に行きたいと思う。

2007年10月05日

秋山邦晴 - 秘蔵テープ作品集1

akiyama.jpg
(Edition Omega Point/CD, MCD-R)
実験工房のメンバーであり、クロストークインターメディア(69)の企画にも関わった、現代音楽批評家として著名な秋山邦晴は、実験映画マニアからすれば何といっても松本俊夫の「石の詩」の音響担当として知られる(他に秋山は「アニメーション三人の会」の音楽も担当している)。わずか10日で松本の映像構成と平行して進められた石の音によるミュージックコンクレートは、寡黙な映像との相乗効果をもたらすものであった。音楽評論家自身が密かに前衛的音楽を制作していたという飛躍は、瀧口修造を思い起こさせるスタンスである。良い意味でのアマチュアリズムと研磨された方法論先行の音楽は、本職の音楽家の作品と同じくスリリング。このCDでも秋山の「Environmental Mechanical Orchestra」「日生劇場のデモンストレーションの記録」「Music for H.Bomb」といった作品が収録されている。「Environmental Mechanical Orchestra」は「空間から環境へ」(66)で展示された音響装置の録音物である。ブヨブヨとうねる不気味な変調された金属音が淡々と継続する。他の2作品はテープによる音響作品。音色の探求が優先された、初期の電子音楽~テープ音楽らしい、ぶつ切りの断片の羅列による構成。特に「Music for H.Bomb」のノイズに近い無機質かつ即物的なささくれた音の感触がフェチ心をくすぐる。ボーナスで「テープ音楽素材音源集」までも付いた、封印された60年代の遺産である。

2007年12月11日

シュトックハウゼン死去

12月5日にシュトックハウゼンが亡くなったことを知る。
http://www.stockhausen.org/

音楽における前衛は失われた。もう音楽には何も残されていない。

R.I.P

Stockhausen.jpg

2008年02月14日

David Tudor - Rainforest

rainforest.jpg
(mode/CD)
「Rainforest Version1」と「Version4」を収録。ちなみに「Version 1」はマースカニングハム舞踏団の為の小杉武久参加の音源。所狭しと吊り下げられたオブジェ、日用品に取り付けられた小型スピーカーとマイク。オブジェを介在させることによって、音を物自体の構造で変調させるというコンセプトである。

こうして発された、細やかな熱帯雨林の環境音のような電子音が縺れ合い、絡み合う。束になりながら蠢き、捻りあげられ悲鳴をあげる電子音の群れは、時として奇妙なメロディのように聴こえてくる。本来であればインスタレーション的な演奏にて体験すべき作品であるが、こうして一枚の盤として、音のみを聴いても非常に良い。特に「Version 1」は時間の経過と共に電子音の密度は上がってゆき、ハーシュノイズの領域へと至る。

2008年02月15日

David Tudor, John Cage - Rainforest Version II, Mureau

mureau.jpg
(New World Records/CD×2)
1972年に行われたチュードアによる「Rainforest Version2」とケージによる「Mureau」の、作曲家本人による同時演奏。要するにチュードアのライブ・エレクトロニクスに、ケージのヴォイス・パフォーマンス(というか鼻歌)が同時進行するという鬼のような内容である。

ここでケージはあらかじめ吹込んでおいたテープも使用している。チュードアの放つ電子音は相変わらず冷たく硬質であり、ケージのことなど全く無視して断続的に演奏する。対するケージも淡々と演奏を行う。この噛み合わなさが堪らない格好良さを生み出す。しかも CD2枚に渡ってコレである。このような同時演奏は、楽曲が非楽音や偶然性を取り込むことによって可能となった演奏形式であると言える。この演奏のなかで貫徹されている非同一性、複数性とは、当時の芸術全般にみられたインターメディアの核心であった。

2009年05月10日

Jean-Claude Eloy - Gaku-No-Michi (Les Voies De La Musique)

gakunomichi.jpg
(Creel Pone/CDRx2)
シュトックハウゼン、ブーレーズ、プスールらに学んだというJean-Claude Eloyのミュージック・コンクレート作品。本作は1977年、1978年に日本に滞在し、NHK電子音楽スタジオにおいて制作されている。オリジナルは4時間にわたる長尺の作品であるためにLP二枚に抜粋収録されて、1979年に発表された。

一枚目は、冒頭の楽曲「東京」から、高密度に束ねられた無数のドローンノイズが、大きなダイナミズムをもって軋み蠢く。このノイズはフィールド録音の加工によるものだが、その迫力は凄まじい。大音量で聴くと、Organumをも凌ぐその豊穣なドローンノイズの束に唖然とするはずだ。二枚目は比較的静謐な楽曲が並ぶが、最後の楽曲「回想」の終盤が特筆もの。消え入りそうな弱々しさで、どこか国歌を思わせるようなシンプルなメロディの、音楽未満の音楽のかけらが靄の向こう側でこだまする(初期のジム・オルークのドローン作品に、Pita「Get Out」の例の曲を掛け合わせたような感じか)。長大な物語のような、ミュージック・コンクレートの傑作である。

About Review: Modern Music

ブログ「Blog」のカテゴリ「Review: Modern Music」に投稿されたすべてのエントリーのアーカイブのページです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のカテゴリはReview: Free Jazz/Improvisationです。

次のカテゴリはReview: Neo Folk/Martial Industrialです。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.34