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Review: Noise/Power Electronics Archive

2007年02月22日

V.A. - Consumer Electronics #5

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(L.White/DVD)
ベルリンで2003年に開催された「Consumer Electronics#5」においての英国パワエレの代表格、CON-DOMとGERY WOLVESのライブを収めたDVD。他の出演者はフライヤーによるとSTAHLWERK9、MK9。サポートだったのか、単独だったのかは不明ながらSLOGUNも出演していた模様(観客の中にその姿も確認できる)。

CON-DOMは「live manifestation of the color of a man's skin」と銘打った、同名アルバム(白盤黒盤のLP&7EP×2セットという体裁にて、その題材を人種差別問題とした作品)収録曲からのセット。ステージには政治的な内容を含んだ引用映像が投影される。そしてMike R. Dandoは裸の上半身に白と黒の塗料をペイントし、観客にもペイントしてまわる。CON-DOMのライブは演奏というよりも、その社会的問題に対する意志表明であるかのようだ。ギリギリと唸るノイズに力強いアジテーション。ラストではノイズが途切れ、場内に歓声が響くのだが、その声を打ち消して声一本でアジを繰り返す。たった一人でこの緊張感を負う、Mikeのその立ち振る舞いに痺れる。

GREY WOLVESはTrevor Wardに機材担当のCON-DOMのMikeという二人編成。Trevorはスキンヘッド&ミリタリールックという出で立ちで、煙草をくわえながら、高揚するかのようにステージ上を歩き回る。その背後には某日本インディ映画をプロジェクションしているのだが、その日本サブカルチャー特有のポップなキッチュさが、GREY WOLVESのいかがわしさと妙に合っている。起伏ある展開の疾走感に満ちたノイズトラックと、挑発的アジテーション。インプロハーシュとは違う、異形的パンクとしてのパワエレである。サウンドによる文化的テロとしての終曲「Victory Through Violence」が嵐のように吹き荒れ、エンディングではゆるやかなポップスがBGMとして流される(ポップスのかかる中、Mikeが直立不動で立っていたのが何故か印象的)。

ノイズのライブはインプロとして提示するより、個人的にはこのように何らかのプレゼンテーションとして提示する方が興味が持てる。両者とも、音の完成度もさることながら、その熟練したパフォーマーとしての技量が光る素晴らしいライブである。

2007年02月27日

GENOCIDE ORGAN - Remember

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(Tesco Organization/LP×2)
ブックレット付きの分厚いハードカバー仕様。背に箔押しされた文字が鈍く光る。内容は過去に各所で行なわれたライブ音源からのセレクト。この中央突破を試みるかのような高密度高圧力の勢いは尋常ではない。ささくれ立ちガリガリした感触のノイズと、EG的にインダストリアルな駆動音、そしてひび割れた叫びは強烈に聴く者を引きつける。しかもそこにはPolitical Correctness(政治的に正しい表現)とはほど遠い、デリケートな問題へダイレクトに踏み込んだテーマが多数搭載されている。

例えばI-2のサルバドール・アジェンデ(Salvador Allende)の演説を引用したと思われる「Patria y Libertad」は刃物のように強靭なパワエレである。しかし、ここにある憎悪をどのように解釈すればよいのか。アジェンデは、自由選挙によって選ばれたチリの社会主義政権(1970-1973)の大統領であった。アジェンデ政権はアメリカに支援されたピノチェト将軍による軍事クーデターにより、1973年に崩壊。アジェンデ自らも銃を手に最後まで抵抗したものの、殺害される(あるいは自殺)という非業の最期を遂げている(その際の軍事独裁政権の虐殺の犠牲者にはVictor Jaraも含まれる)。ここでGENOCIDE ORGANのスタンスが、どのようなものかを考えてみて欲しい。ただしII-1の「Hail Amerika」、II-4の「John Birch Society」というタイトルからもうかがえるように、コトはそれほど単純ではない。極め付けはIIII-3のゲシュタポ指揮官、クラウス・バルビー(Klaus Barbie)の名を冠したトラックに続いての、IIII-4のラストトラック「White Power Forces」であろう。これを文面そのままの極右的主張表明と解釈していいのか、ノイズの伝統に従った反社会的テーマの使用(あくまでシンボル/モチーフとして)による文化的撹拌行為(=モラルに対する文化的テロ)と解釈すべきなのか。

サウンドだけを取り出してみても、熱を帯びたスピーチやシュプレヒコール音源コラージュ、重厚なドローンや太鼓の上に乗るアジテーション、冷酷な駆動音に生々しい破砕音や金属音、インダストリアルなビートと絶叫による狂躁、捻り潰された歌声の残骸を更に蹂躙する持続ノイズなど、かつてのノイズ・インダストリアルの無軌道な鋭い凶暴性を引き継ぎつつも、冷静に構築された印象を受ける。即興的な展開は無く、全体として非常に計算されている。時には凄まじく凶暴でありながらも自己崩壊を巧妙に回避する理性も常に持ち合わせていると言えばよいのか。その理性が、彼らのテーマへの自覚的な姿勢を裏打ちしている。

2007年03月06日

STREICHER - Legion St. George

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(Freak Animal Records/LP)
MERZBOXで有名なオーストラリアのノイズレーベル"Extreme"、その元主宰者であるUlex XaneによるSkinhead White Power Electronics。Freak Animalよりレッドヴィニールにて再発。オリジナルテープは、欧州の政治的パワーエレクトロニクス勢による闘争が本格化するのに歩みを合わせたかのように、94年に自身の"Zero Cabal"よりリリースされている。

まずA面であるが、タイトルに見られる極端な思想と、その具現化としての腐敗ノイズの渦にやられる。そのサウンドはザラザラとしたヤスリのような感触の雑音、判別不能な人声、不穏な戦時音源コラージュ、プリミティヴな発信音ノイズによって絶妙に構成されている。いかにもなモチーフを使用しながらも、安易に衝動の発散に向かわず、ドロドロと鬱屈してゆくところが何とも渋い。そしてB面の大半を費やす「Streicher Nihil Action-Bootkickers S.N.A」は本作の白眉。全編にわたって暴動のようにガラスや鉄板等の各種物品をブーツで蹴り回し、吠える。狂躁によりタガの外れた理性が、行為とそれにより発される雑音もろとも転げ落ちながら崩壊する。凄まじいテンションのジャンクノイズであるが、その行為を駆動させる原動力、動機、思想の極端さと歪さを思えば、この雑音は「ただ単に暴れただけのノイズ」には回収し得ない根源的なノイズ性を持つものとなる(モチーフは違えどハナタラシもそうであったはずだ)。

STREICHERも本気で極右的主張を掲げているのか、あるいはノイズの伝統に従い反社会的シンボルを使用しているだけなのかが明確に断定できないユニットではある(スローガンは"Nihil reality, no philosophy. Noise of mass destruction")。しかし、このユニットの分かりやすい極右スキンズのイメージと、陰鬱で凶暴極まりない80年代ノイズを結びつけた手法は、他に類を見ない特異なアプローチであった。少々古くさい考え方を持ちつつ基本的にノンポリティカルな私であるが、ノイズミュージックがノイズ性の顕現として現実社会の事象をモチーフとするのには関心を持たざるを得ない(勿論あらゆる差別に私は同意しない)。これらは私の生きている現実社会にある事象なのだから。

2007年03月13日

SUTCLIFFE JUGEND album THIS IS THE TRUTH

SUTCLIFFE JUGEND album THIS IS THE TRUTH
Released 7th March 2007
sutcliffejugend.com

Sutcliffe Jugendの新作が2LP/CDでリリースされる模様。しかも内容はバージョン違い。さらに来日に合わせTRANSGRESSIONなるEPもリリースされるようだ。

2007年04月04日

SICKNESS, SLOGUN - American Violence

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(Ninth Circle Music, Circle of Shit/CDR×2)
来日ツアー記念、メタルボックス入り2枚組CDR。ステッカーやバッジも多数封入。このサービス精神の過剰さとこだわりは嬉しい。Disc1は各ユニットの音源であり、SICKNESSはバキバキのカットアップハーシュ、SLOGUNは吹き荒れるノイズの中で、エコーがかけられた力強いアジテーションが響くという各々のスタイルを手堅く提示する。

しかし、この作品の目玉はDisc2のライブ音源であろう。私が大きな衝撃を受けた2003年の京都でのライブである。あの日のライブは音楽以上に異質な空気を纏っていたと感じられ、個人的に忘れられぬものであったのだが、彼らにとってもベストなライブであったということだろうか。ライン録音のようであり、会場の音は入っていない。また、各ユニットともにイントロとしてSEを事後的に加えている。

SICKNESS/Chris Goudreauのトラックは犯罪報道のナレーションらしきものを導入に用い、攻撃的に責め立てるカットアップハーシュへと雪崩れ込む。一方SLOGUN/John Balistreriのトラックは催眠的なノイズを導入として用いてライブへとつなぐ(ライブ時の冒頭の挨拶はカット)。唐突にジェット機の発する爆音のようなトランスハーシュがスタートし、ジョンは過剰なエフェクトを使用せず地声で怒鳴りつけ、アジる。このSLOGUNのライブには途中からChris Goudreauもアジに加わる(前方で観ていたので、眼前で指をさされて怒鳴られた)のだが、こうして録音されたものを聴きなおすと、初期衝動のみでやっていたのかと思いきや、意外とコンビネーションを考えてアジっていたのだなと感心する。またバックの直線的ノイズもアジに合わせて頻繁に変化を見せており、全く飽きさせない。

このライブにおいてのシンボル化された暴力衝動の純度は極めて高く、集中して聴くほどに自分の中のモラルやリミットが剥ぎ取られような感触を覚える。その純度はライブの経過とともにさらに高まり、現実以上に絶対的な境地へと到達する。ノイズが音楽であることをある部分で越えるということ。ノイズによって現実以上に現実的な本質に到達するということ。結局現実などというものは、外界の表象を自己の頭の中で構成したものであり、最終的に個人の思惟に属する。個人の論理的思考も妄想も、現実と等価なのである。ならばノイズによってモラル/良識/観念といったものを揺るがし、打ち倒し、現実よりさらにリアルな現実へ思惟を至らせることは出来ないだろうか(そこでは個人の意志のみが唯一の価値を持つ)。これはまさしくそのような音楽であろう。間違いなくパワーエレクトロニクスの大傑作である。

ライン録音ゆえに会場の音がないので、あの日の状況を付け加えると、ライブそのものはJohn+Chrisと観客が睨み合うような構図となっており、殺伐とした乱闘の直前のような空気を感じた。それでもラストまでは何事もなくきたが、終盤においてアジが一段落したところで二人と観客との間で衝突が起きそうになった。それはハードコアのライブで見る「お互い分かったうえでの暴れ合い」といったものとは少し違っていたように感じた。ライブは終了というより、中断といった感じの終わり方であったが、それはまるで演出されたかのように、彼らの音楽に相応しいものであった。

2007年04月06日

CONSUMER ELECTRONICS - Box

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(RRR/LP×3)
ティーンエイジャーのノイズといえば、まずはこれであろうCONSUMER ELECTRONICS。RRRよりの過去作品集大成、三枚組LPボックス。一枚目にはPhilip Best本人のカセットレーベルであったIPHARからの「Consumer Electronics」(IPHAR 01番)を、二枚目にも同じくIPHARの「LEATHERSEX」(IPHAR 04番)を収録。無機質なパルスと切り裂くようなチューニングノイズが淡々と堆積される、まさにチープな壊れた電化製品さながらのゴミのような雑音が満載。82年という時期ながら、後の日本産ノイズを先取りする様なピュアノイズである。そして三枚目、A面にはロンドンでのライブ(1982/6/12)を、B面にはBestが通っていたであろう中学校(Nailsea School)での学園祭ライブ(1982/10/21)を収録(レーベル不明のテープ作品「PUBLIC ATTACK 3」から抜粋)。6/12の音源は説得力ある催眠的持続音ハーシュ、10/21の音源は集大成ボックスのラストに相応しいパワーエレクトロニクスである。特に10/21の音源ではようやくアジテーションがノイズに導入されるに至り、狂奔するエレクトロニクスに地声で対峙するBestの若き日の姿を確認することが出来る。

彼がWHITEHOUSEに加わったばかりの頃の写真を見ると、スキンヘッドに細い体躯、鋭い眼光から、10代特有の真摯な鋭さをひしひしと感じ取ることが出来る。この鋭さとは少年にしか持ち得ない特権であり、曇りのないナイフのように穢れのない鋭い光を放ち、その刺々しい衝動を外界へと向ける。中にはその衝動を犯罪行為に結びつける者もいよう。しかしこれは10代の少年少女なら誰しもが心の奥に秘める衝動であり、一部の人間のみの心のセラピーの話ではないと感じる。世間一般でロックやパンクが少年少女に聴かれるのは、このような内的衝動の音楽による昇華である。そしてその衝動がノイズという形式のアウトプットを得た時、それは余りに美しい雑音として立ち現れる。ティーンエイジャーのノイズは美しい。終演後の生徒らの歓声は、Bestの晒した内的衝動への、等身大の共感の現れであることに疑いはない。

2007年04月11日

SUTCLIFFE JUGEND discography

Molehillの黒田さんよりSJ&SATORIライブのチラシが届く。知り合いには配って回るつもりだ。私の持っているSutcliffe Jugendの盤は確認してみたらコンピ以外では以下の通りだった。別名義のものは持っていないか、中古で売ってしまっている。
XI / 7" (Death Factory/'02)
The Victim As Beauty / CD (Death Factory/'99)
When Pornography Is No Longer Enough / CD (Death Factory/'98)
Sutcliffe Jugend / CD (Susan Lawly/'94)
We Spit On Their Graves / 10LP Box (Bootleg/?)
Pleasure Corpse / LP (Bootleg/'89)

そして、新作がリリースされる。これらもいずれ入手するつもりでいる。
This Is The Truth /CD, LP (Ground Fault Recordings, Hospital Productions/'07)
Transgression / LP (Dogma Chase/'07)

このDogma Chaseなるレーベルの情報については下記を参照のこと。Molehillのレーベルということでいいのだろうか?
Dogma Chase

2007年05月05日

Macronympha & Prurient Live

Macronympha & Prurient Live

これは何とも極端で禍々しい。PrurientことDominick FernowはHospital Productionsの主宰者でもあるが、制作とレーベル運営のどちらをとってもアメリカンハーシュの重要人物となったと言っていいだろう。Macronymphaとのこのコラボでも、御大相手に一歩も引かず、二乗三乗の雑音を生み出している。またHospitalからはAkitsaとのスプリットをリリースするなど、ノイズとともにブラックメタルも愛好している模様であり、その点でも好感が持てる。

The Rita Live

Pedestrian Deposit Live

そして来日間近のThe RitaとPedestrian Depositのライブ。期待している。

2007年05月15日

Atrax Morgue - Death Orgasm Connector

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(Slaughter Productions/CD)
正直に言うと私はAtrax Morgueについて、積極的なリスナーではなかった。今となっては彼の真摯さに気が付けなかった己の不明を恥じ入るばかりである。「We die and are re-born every moment. Death comes in a moment, in a moment that only faith knows. Death is the moment, the moment is death.」と彼は雑誌のインタビューで語った。一貫して死に取り憑かれ、ノイズによって死を探求した彼のその言葉と行動は深く私の心に食い込む。能動的な死であれ、降り掛かった死であれ、その死に対峙し、その死を選択した瞬間の当事者の意志は肯定されるべきものだ。その終わりの瞬間は当事者だけのものである。自殺という終わりの選択には残念さを感じるが、どのような形の終わりであれ、その終わりに対峙した当事者の選択を、何よりも尊重したいとも思う。

R.I.P

2007年05月18日

告知: Molehill presents Vol.6/ THE RITA + OSCILLATING INNARDS + IMPREGNABLE + TRALPHAZ Japan Tour

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Molehill presents Vol.6/ THE RITA + OSCILLATING INNARDS + IMPREGNABLE + TRALPHAZ Japan Tour

■東京公演
出演者:THE RITA, OSCILLATING INNARDS, IMPREGNABLE, TRALPHAZ, INCAPACITANTS
日時:2007/6/3 高円寺 ShowBoat

■名古屋公演
出演者:THE RITA, OSCILLATING INNARDS, IMPREGNABLE, TRALPHAZ, BLACK AIR (THE RITA + OSCILLATING INNARDS)
日時:2007/6/6 今池 Tokuzo

■大阪公演
出演者:THE RITA, OSCILLATING INNARDS, IMPREGNABLE, GC AKA THE GUILTY CONNECTOR
日時:2007/6/8 難波 Bears

出演者に若干変更のあったものの、The Ritaが観られるとなれば必見であることに変わりはない。特に録音物が完璧なるハーシュノイズの壁状態であったBlack Air名義でのライブには期待している。

2007年05月25日

Sutcliffe Jugend - Transgression

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(Dogma Chase/LP)
不定形なパルスノイズの狭間から切り込み、即離脱する刺々しいヴォイスを呼び水として、各種エレクトロニクスにKevinの激情剥き出しのアジテーションが現れ、それらがズルズルに爛れた奇怪極まりない変態を晒し、聴くものを煽動するA面「Transgression」。異様な勢いはそのままに、プリミティヴな断続のなかで、駄目押しの致命傷的ダメージを与えるかのように、徹底した暴走を見せるB面「SJ-POP」。さらにトドメとして、人間性の欠落した冷酷な電子音の反復によって、各種雑音+ヴォイスを串刺しにする「Playground」にて締める。同時期に各種発表されたSutcliffe Jugend新録音源の中でも、圧倒的なネガの彼岸に位置する強力さ。言葉で形容しても、全く形容し足りない規格外の違反的音楽/ノイズ。ここでSutcliffe Jugendは暴虐の果ての果てを突き詰め、具体的モチーフを消失せしめ、理性の介在しない純粋で真っ白な本能的暴力感情の領域へと到達している。内容面での暴虐の極みとは一見対極的な、厳粛かつ極めて美しいアートワーク(和紙&エンボス、小口の折り返し、ホワイトヴィニール)も素晴らしい。このアートワークの厳粛さは、盤面の暴虐が決して野卑なものではなく、気高く崇高なものであることを主張しているかのようだ。

2007年06月07日

Hanatarashi Live

Hanatarashi Live

Hanatarashi - Cock Aktion

Hanatarashi - 1988, Antiknock

このように徹底して拒絶的な表現行為に至らねばならなかった山塚アイの制作の動機は、若者特有の青い破壊衝動であったというよりも、むしろ内面的な痛みを根拠とするものであったはずだ。これは社会とのコミュニケーション不全により虐げられ去勢された精神に、再び男根を取り戻すための戦いである。

2007年07月23日

GRIM - The Past Is Still In Current Use

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(Drag & Drop Industrial/CD)
White Hospitalから分岐したユニットであるGrimのリリースした7EP、LP、12EPからの音源集(もうひとつの分岐ユニットがVasilisk)。80年代の日本においてここまでノイズ・インダストリアルを完成させたユニットが存在していたことは、その名前しか知らぬ不勉強な自分にとっては個人的に大きな驚きだった。デス・インダストリアル的な駆動音と、ノイズと同質化し崩壊したアジテーションヴォイスが荒れ狂う、現行欧州へヴィーエレクトロニクスを圧倒する高内容。パワーエレクトロニクスの攻撃的な部分が延々と拡大されているような暴力性。しかもただ暴力的なだけではなく、曲によっては憂鬱な旋律が密かに混入されているところも、全くもって素晴らしい。マーシャル・インダストリアル〜ブラックメタル系アンビエントに通じるシンセ曲も有り。さらには儚いアシッドフォーク曲まで手掛けており、その間口の広さにも驚かされる。これがまたShadoksから発掘されてもおかしくない美しい旋律。底が見えないどころではない…一体このユニットは何なのだろうか。手放しで絶賛したい驚異的な一枚。

MUSLIMGAUZE - Sarin Israel Nes Ziona

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(Staalplaat/CD)
Muslimgauzeの晩年の作品。冒頭から攻撃的なBPMの四つ打ちで始まる。一聴すればフロア寄りテクノの文脈でも充分使えるような音楽形式ではあるが、やはりそこはMuslimgauze、このようなスタイルではあっても、あくまでインダストリアルの系譜にあることを強く感じさせるノイズ度の高いダブな音響処理も健在。四つ打ちにアラビア旋律と曖昧模糊とした人声サンプル等がまぶされ、コラージュノイズ・ダブ・中近東テクノとでもいうべき独自世界が屹立する。これらの音要素を問答無用で貫通する強固なリズムが堪らない高揚感をもたらす。ゆったりとしたパーカッションのリズムによるトラックも、ハードなトラックが多いなか、よい小休止となっている。

Muslimgauzeといえば、アラブ支持の立場を取って活動を行ってきたことで知られるが、本作のタイトルは、Muslimgauzeサイトでのコメントによれば、イスラエルのNess Ziona市(ここにはIsrael Institute for Biological Research/IIBRが存在する)、およびエル・アル航空1862便墜落事故に由来する。また、ジャケットはサダム・フセイン大統領の肖像のあしらわれた腕時計であり、このようなアートワークからくる、MuslimgauzeことBryn Jones個人のメッセージの明確さも本作の重要な要素であろう。この姿勢は政治的パワーエレクトロニクス勢とも相通じる(ちなみに私はノンポリであるが)。Bryn Jonesの死後、2002年のリリース。

2007年07月27日

MERZBOW - 抜刀隊 with Memorial Gadgets

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(RRR/LP×2)
吾は官軍我が敵は天地容れざる朝敵ぞ、敵の大将たる者は古今無双の英雄で、これに従うつわものは、共に慄悍決死の士、鬼神に恥じぬ勇あるも、天の許さぬ反逆を、起こせし者は昔より、栄えしためし有らざるぞ、敵の亡ぶるそれ迄は進めや進め諸共に、玉散る剣抜きつれて、死する覚悟で進むべし。

西南戦争にて警視庁巡査によって結成された、日本刀にて武装した白兵決死隊「抜刀隊」の名を冠するコンクレート・ノイズの傑作。CDバージョンとは別テイクのオリジナル盤。モンドなポルノ音源からゴツゴツした無骨な具体音ノイズ・コンクレート(INA-GRM関係の音源?)までが、投げつけられるように力強く無軌道に吐き出され、アナログ時代のコラージュなMerzbowが堪能できる。しかし何と言ってもB面の抜刀隊〜ジャンク・ダキニに至る流れが興奮もの。抜刀隊の歌がまず引用され、しばらく延々とじらすように具体音ノイズが羅列され、終盤でノイズが抜刀隊の歌と一緒に立ち上がる様まで、とにかく完璧である。またアートワークも見事。日本において政治的モチーフを掲げたノイズ/パワエレは殆ど皆無であるが、真意はともかく欧州の政治的パワエレに通ずる、そのモチーフ選択のセンスも興味深い。ちなみに抜刀隊の歌は後に「陸軍分列行進曲」として編曲され親しまれている。

2007年08月12日

VA - Fur Ilse Koch

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(Come Org/LP)
「Come Sunday」を変調ノイズ加工し、ダブのように別曲に仕立て上げたComeによる「Come Sunday 2」。NWWによる、泣き声と呟きがコラージュされた幽玄な「Fashioned To A Device Behind A Tree」。ドロドロに煮立った腐敗ノイズが吹き荒れる彼方から、かすかに演説が聴こえ、凄まじく不明瞭な混沌を撒き散らすイタリアはMBの別名義SS MBの「Plutoniumetrio」。WHのライブ音源2トラック等、ここに収められたノイズ音源はどれも貴重かつ高内容なのだが、何故か明瞭な印象を聴く者に残さない。その原因はこのコンピを編纂した人物の戦略の極端さにある。

ここでは日本軍歌、アレイスター・クロウリー、チャールズ・マンソン、ナチ関連演説等の音源がノイズ音源と対価の扱いで交互に配置されている。編纂者の意図としては、恐らく反社会性の記号としてこれらの音源を引用したのであろう。これは露悪趣味の現れというよりも、文化的ショック/価値の撹拌を狙った反社会的イメージの戦略的な使用/引用と言い換えられよう。この編纂行為によってこのLPが結果的に纏い込んだ存在感はまさしく悪意ある「ノイズ」そのもの。バンドのショーケース的コンピとは正反対の見地から編まれた、歴史の負の側面の煮凝りのような独立したノイズ作品である。

VA - The Second Coming........

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(Come Org/LP)
NWW+Jim Thirlwell(FOETUS)の「Untitled」は雑談と野卑な笑い声がしつこくコラージュされ、そこに地味で耳障りなノイズが蠅のように絡み付く内容。一旦耳にすれば何処へ行くのか気になって聴くのを止められなくなり、そのうち奇妙で猥雑な毒気にやられて没入してしまう奇怪な曲。Comeの「In Country」は何と言うか、RamptonともI'm Jackとも違う…。コラージュでもノイズでもパンクでもモンドでもない謎過ぎる世界。音楽の向かうべき方向が全く見えない形容不能状態(褒め言葉)。 WHの「Shitfun 2」はスカスカの高周波フィードバックノイズに変態的アジテーションが乗るいつものスタイル。耳に痛くも気持ちイイ。このスカスカな間が堪らなく良い。そしてラスト、イタリアはSODALITYによる「Coprophilia」はドロドロの欲望を押さえ込んだような低音と高周波による持続音ノイズ。不穏な空気を漂わせながら暴発を迎えることなく収束するが、そこが逆に無気味。どれもこれも本当に絶妙で素晴しい。暴力的なノイズではなく、精神をジリジリ侵食する遅効性の神経毒のようなノイズ満載の名作コンピ。やはりノイズは音は勿論のこと、レコ盤から漂う気配、扱われているテーマも重要だな…と再確認。

VA - Statement

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(Broken Flag/LP)
まずA面。毒々しくうねる図太い電子音にヴォイスが搭載され、ジリジリと迫り来る#1。そして前半の悲鳴のような積層されたノイズに被さる不気味な語りから、一転して暴虐ノイズへと向かう#2が印象的なRamleh。続くUn-Kommuniti(若き日のステレオラブのメンバーによるノイズユニット)は焼け付いた電子ノイズが容赦なく降り注ぐハードな展開。B面は、まずフィードバックノイズと崩壊したバンド編成でのインプロが繰り広げられるMatthew BowerらによるPure。そして記載はされていないが、恐らくはConsumer Electronicsによるものと思われるオルガンのドローン作品と、幾つものパワーエレクトロニクス作品が収録されている。これが多重録音やディレイを用いた出色の出来。Consumer Electronics名義としては最高傑作ではないだろうか。このConsumer Electronicsも、冒頭のRamlehも、アジテーションはディストーション系エフェクトに頼っていないのだが、その精悍な声質もあって、非常に美しいと感じられてしまう。Matthew BowerやGary Mundyという、後にノイズから離れて変貌してゆくRamleh〜Skullflower〜Total人脈が顔を揃えている一枚でもある。

2007年08月21日

GENOCIDE ORGAN - Mind Control

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(Tesco Organization/LP)
Genocideo Organによる「社会的カテゴリー:音楽」におけるサウンドを通した状況への闘争。芸術を芸術(形式)へ向かわせるのも一つの方法として支持できる(私のスタンスは基本的にこちらである)が、芸術をこのような政治/状況へと向けて機能させるのにも重要な意義を認めたい。聴くものを圧殺するかのように重苦しい電子音とそこに忍び込まされる音源引用。「The Elders Of Zion」におけるガラスの破砕音とインダストリアルな駆動音を貫通するアジテーションとしての怒号など、マーシャル・パワーエレクトロニクスの音楽様式としても完成度は高い。断っておくがノイズにおける政治的闘争集団としてのGenocide Organはプロパガンダとして極右思想やエスノセントリズムを掲げているわけではない(もちろん見られることを意識した威嚇的行為でも露悪趣味でもない)。ここには上部構造によってコントロールされた状況を内部から喰い破る方法論としてノイズを使用し、主体の覚醒を取り戻させる意図が存在する。私はパワーエレクトロニクスであっても、性的かつ悪趣味なテーマを掲げたノイズには大して関心がない(形式主義/実験主義でもないフラストレーションの発露としてのノイズは論外である)が、このような個人の政治的信念に基づいた運動としてのノイズには深く共感する。政治的目的は全く違えど、そこから松田政男、若松孝二、足立正生までの距離は近い。490枚がリリースされ、うち25枚はナンバーが刻印された全面メタルプレート・ジャケット仕様。黒のビニールに密封されたレコードにインサートシート付属。

2007年08月22日

ノイズにおける三つの評価基準

私なりのノイズに対する価値の基準を整理したい。佐々木敦は過去の「電子雑音」にてノイズを音そのものとして聴取し評価する旨の発言したと記憶している。これは大筋で理解出来る評価なのだが、ノイズの持つ意味性についての考えがやや短絡的との印象を当時抱いた。ノイズの意味性をどう評価するかについてはもう少しよく考える必要がある。

芸術を芸術に向かわせるのか(=形式主義)、表象の快楽的聴取(=動物的快楽主義あるいは文脈を無視した消費文化)を重視するのか、芸術を状況/政治へ向かわせるのか(実践/運動として)、大まかに言ってノイズへの評価基準はこの三点に分類される。

各評価基準について整理する。

一つめの「芸術を芸術に向かわせる(=形式主義)」についてはポピュラー音楽領域における音響実験としてのノイズが価値あるものとして該当する。P16D4やSBOTHI、Organum、ダダ/アンチ/否定としてのHatersやTNB、アクショニズムの末裔としてのSchimpfluch Gruppe一派、より広義では初期megoやジム・オルークあるいはインプロ系ノイズやサウンドアートなど。これらのノイズは自己言及的に、あるいは反動的にダダ/アンチ/否定として、音楽の形式的側面、その制度を実験的に解体〜再編成する。個人的にこの評価基準は最もよく用いるものである。

二つめの「表象の快楽的聴取(=動物的快楽主義あるいは文脈を無視した消費文化)」については90年代後半以降のDJ文化に代表される聴取のスタンスと言い換えてもよい。むしろこれはリスナー側の問題であり、あらゆるノイズと音楽がここに含まれる可能性がある。該当する作家名は挙げにくいが、所謂ハーシュノイズのある一側面(あくまで一側面である)が、より広義ではエレクトロニカ/音響系への評価の多くがここに立脚していると考えられる。当然これは音楽の雰囲気に寄りかかったものであり、結局は単純極まりない趣味の問題である。ノイズや音楽を聴いて、気持ちいいとか泣いたとか耽美とか暗黒とかモンドとか言ってる連中はこの評価基準を用いている。

三つめの「状況/政治へ向かわせる(実践として)」については、最もややこしい。80年代であればTGのような情報戦略、脱構築としての方法論を取るものがここに該当したであろう(余談だがレトリスム映画や、政治的動機から映画的モンタージュを脱構築させたゴダール、より直接的に映画=運動を実践した足立正生は映画の領域における該当例である)。80年代のノイズは情報戦略の手段、価値観の撹拌を意図して悪趣味~反社会的なモチーフをこぞって使用したが、それらはあくまで手段であったと言える(その反面ノイズは悪趣味なモチーフの使用から、マイナス文化愛好家を引きつけることになる。リスナーだけでなく、ノイズ作家本人も手段として反社会的モチーフを使用しているのか、ただ単に悪趣味なものが好きなだけのか、はっきりしない場合も多い。ただ単にそういったものが趣味である場合には、上記の表象の快楽的聴取に分類していいだろう)。

この80年代的な情報戦略、脱構築アプローチは秋田昌美の指摘通り、今日ではその有効性は薄まった。しかし一方において、政治的パワーエレクトロニクスとネガティブなハーシュノイズがやや転換されたかたちでの反社会的意味を持つに至っている。実践であれシンボル化された代行としての表象であれ、彼らは極めてモチーフやテーマに対してシリアスであり、直接的であり、それ故に価値を持ち得ている。ここではGenocide Organ、Grey Wolves、そしてAtrax Morgueなどが価値あるものとして該当するであろう。多くの場合、彼らにとって反社会的モチーフは手段ではなく、目的に直結されたもの(あるいはその代行)である。これは「社会的カテゴリー:音楽」における目的を持った実践/運動である(パーソナルなものであれ社会全体に関わるものであれ)。

個人的には、そのなかでも社会全体に関わろうとする政治的パワーエレクトロニクスに特に強い関心を抱いている。パーソナルな問題は結局はその作家個人のものである(またしても余談であるが、同じ理由において私は映画におけるパーソナルドキュメンタリーや日記映画に対して全く興味を持てない)。それよりも今日の状況/政治へ目を向けること、そして実践/運動を音楽のカテゴリーにて行うノイズ作家のほうが共感を抱ける。それは我々の所属する社会の状況/政治に対して能動的に向き合うことでもある。

以上、極めて大雑把な分類であるが、この問題については今後も考えて行きたいと思う。

2008年01月07日

Club Moral Stocklist

ベルギーのノイズユニットClub Moral(Bum Collar)のサイトにて、Club Moralのリリースや関連作がまとめてアーカイブ化されており、しかもその多くがダウンロード可能という状態にある。すでに昨年一年を通して49作品が紹介されている(「Fur Ilse Koch」のデータはSusan Lawlyのクレームにより削除された)。まだ全ては聴いていないが、古典的なノイズ・インダストリアルから、奇怪なテクノポップ〜ノーウェーブまで、時代の空気が満載。

Club Moral Stocklist

そのなかでも目を引いたのが、Club Moralも参加したVA「White Power」である。本作はタイトルからして正面より極右的イメージを題材とし、それに取り組んでいる。ただし政治的なバンドのように作家自身がそれを本気で掲げるのではなく、いかにも80年代ノイズらしい手さばきによって反社会的/反モラル的記号をその本来の文脈からズラして、そのネガティヴなインパクトを固定された社会空間を変質させる道具として使用しているように思える(当時16歳であったフィリップ・ベストの真意は分からないが)。社会空間を客観視し、そこに悪趣味な罠を仕掛けてゆくようなやり方は既に古典もいいところだが、現在の文化的テロリストたるパワーエレクトロニクスやマーシャルインダストリアル〜ネオフォークの復古主義的なやり方と比較すると、その極端なデフォルメによるトリックスター性が際立つ。

2008年03月05日

Ramleh


Ramleh | Brooklyn @ Death By Audio | Oct 13th 2007

http://www.myspace.com/ramleh

Broken Flag末期以降はロックバンドとなってしまい、関心の対象から外れてしまったRamlehだが、近年はどうやらノイズに回帰しつつある模様。イギリス人にとってはなじみ深いであろうホルスト「木星」をイントロに、往年のパワーエレクトロニクスへと突入するライブ。myspaceに置いてある2007年のトラック。どちらも今後に期待をしてしまう内容。さらには下記のようなライブまでも行われる。

RAMLEH: Live in London 05/04/2008
RAMLEH will be performing a live Power Electronics set at Electrowerkz on Saturday 5th April.

Full line-up + details:
Whitehouse + Ramleh + Dissention (Chris Corsano/Stefan Jaworzyn duo)

Saturday 5th April @ Electrowerkz, 7 Torrens Street, London, EC1V 1NQ. £10.

2008年03月16日

Whitehouse 1984&2000

84年のアメリカでのライブ映像。メンバーはwilliam bennett, kevin tomkins, peter sotosである。bestは未成年ゆえ海外ツアーには加われなかったのであろうか、この時期に行われた数度のアメリカツアーには参加していない(そして彼はこの年、WHから一時的に離れる)。またsotosはこの時期、アメリカ国内にWHがやってきた時にのみ参加していた。
この後も、bennett, tomkinsは流動的なメンバーを加えて85年まで活動。そしてWHは暫しの間沈黙する。

そして90年にWHは再始動する(tomkinsは加わらず)。93年にはsotosとbestが復帰する。以下は2000年のライブ映像。william bennett, philip best, peter sotosというメンバー編成。観客のリアクションとsotosの立ち振る舞いが面白い。
この編成は長く続いたが、02年にsotosが離脱。それにより、WHは現在に至るまでwilliam bennett, philip bestのデュオという編成となる。

2008年04月06日

Sutcliffe Jugend新作

以下、Sutcliffe Jugendのサイトから転載。

Sutcliffe Jugend have two albums scheduled for release April 2008:

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The Fall Of Nature CD (Ground Fault Recordings/Hospital Productions)

A single track clocking in at just under an hour The Fall Of Nature, available soon on Ground Fault Recordings/Hospital Productions. The Fall Of Nature depicts a nihilistic nightmare both on a personal and social level. This epic track evolves gradually starting with the voice of creation and ending with man's desperate screams of realisation and madness. The relentless music in between is "nothing short of monumental".

Track Listing:
1. The Fall Of Nature

www.groundfault.net

www.hospitalproductions.com

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Pigdaddy CD (Cold Spring)

The Sutcliffe Jugend filthy dirt-mess of an album that is Pigdaddy will be available on Cold Spring Records from 21st April. It will also be available at the Merzbow/Sutcliffe Jugend/Satori ULU show in London on 19th April. Six stories of mind-fucking depravity, Pigdaddy contains some of the most fucked up, histrionic and downright bizarre vocals ever recorded.
Pigdaddy is beyond perverse!

Track Listing:
1. Insult
2. Defacer
3. Pigdaddy
4. Filth
5. Dirty
6. Nonce

www.coldspring.co.uk

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Five other releases due for release very soon!

Sutcliffe Jugend - Campaign 1979-2000 a comprehensive retrospective box set.
Kevin Tomkins - Perfectly Flawed an experimental instrumental album.
The Misogynist - Songs For Women re-release plus brand new bonus material.
Prurient/Sutcliffe Jugend - End Of Autumn double vinyl collaboration.
Kevin Tomkins - Square Pegs For Round Holes a very limited 2xCDR selection of misfits.

More news to follow here shortly!

2008年04月08日

ノイズの変貌

秋田昌美が言うところのノマド的差異産出体であったノイズ(P16D4系列の実験音響ノイズ除く)が、制度の攪拌手段であり記号あった各種象徴(死体、ナチ、ポルノ、工業社会、神秘主義)に飲み込まれ、その象徴と同化してしまった時(メタ的距離感覚を喪失した時)、作品においてはその象徴が主コンテンツとなり、作品はノイズ作家の意志のステートメントとなる(陳腐な言葉を使うなら、ここでは“意思の強度=本気っぽさ”が求められる)。

C93やDIJのような神秘主義的象徴を秘めたアポカリプティックフォーク。あるいは神秘主義が神話へと至り、そこから=民族主義・復古主義へ移行したCHANGESのようなネオフォーク。ミリタリー趣味が戦時下国家主義文化への偏愛に至るマーシャルインダストリアル。TAINTのような反社会的変態鬼畜ノイズ。TESCOやCON-DOMのような政治的傾倒(LAIBACHはその先駆である)を見せるパワーエレクトロニクスなど。

ノマド的差異産出体としてのノイズのクリティカルな価値は、ノイズが意志のステートメント、アジテーションの手段と化した時、その特異性を失う。徹底した差異そのものであり、制度に亀裂を入れる異物であり続けたCOME Org、SPK、MBなどの時代に比べて、今日的ノイズの有効性は大きく変貌している。それを表現への退行ととるのか、状況への積極的関与として解釈するのかによって、ノイズの意味は違ってくる。秋田昌美がユリイカでのBORISメンバーとの対談で述べた、ノイズの有効性の失効とは、ノイズがノマド的差異産出体としての役割を失ったことを指すが、ある種のノイズはそれとは異なるフェイズ、象徴との同化へと向かっているのではないだろうか。

2008年05月18日

アートワーク

SUTCLIFFE JUGENDの真価は、比類のない暴虐(Kevin曰く“Ultra Violence”)的なノイズを、具体的な象徴/指示対象を有しないままにリスナーに向かって投げ出すこと。そして、その指示対象が明確でない極端に暴虐的なノイズとそこに付着する憎悪を、普遍的な憎悪としてリスナーに取り込ませることにあったのではないかと思う。
この点において、SUTCLIFFE JUGENDの作品におけるアートワークの素っ気なさは大きな意味を持つ。近年のアートワークであれば、CMIからの各作品や「The Fall Of Nature」「Transgression」などは、そのストイックな情報量の少なさにおいて、象徴/指示対象の破棄を達成しており、実にSUTCLIFFE JUGENDらしい純白の殺意を感じさせるものとなっていた。大変素晴らしい。そこにまだ象徴/指示対象があるとすれば、それはただひとつの象徴としてのピーター・サトクリフの名のみである。
しかし「Pigdaddy」のアートワークは、SUTCLIFFE JUGENDの暴虐でありながら象徴/指示対象を破棄しているという持ち味を相殺しかねない、アウトサイダーアート的な軽さと危うさを持っている。こういった方向性を持つノイズユニットは得てして中途半端である。SJの今後の活動において、おそらく杞憂であるとは思うが。
ノイズ/パワーエレクトロニクスにとって、音と同じ位にアートワークは重要である。これは表層的な格好を気にする軽薄なアーティスト気取りのスタンスとは全く異なる。
狭義のノイズは音楽にまつわるメディアの各部位に対して、極めて批判的、政治的に向かい合うものであったと理解している。(音響的なノイズは、勿論それはそれで意義があるが、ここでは除外される。)
制作過程、結果としての音、アートワーク/言葉(象徴、コンセプト)、流通形態(例えば、なぜノイズにおいてはカセットテープというフォーマットが、単なるフォーマット以上の意味を持ったのか)。「カテゴリー:音楽」を成り立たせるこれらの部位に対して自覚的であること。それは極めて政治的であり、そこに狭義のノイズの魅力があったと考える。狭義のノイズにおいては、ただ音内容が良ければいいというような価値基準を私は採用しない。

2008年06月16日

SUTCLIFFE JUGEND & PRURIENT - End Of Autumn

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(Troubleman Unlimited/2xLP)

Sutcliffe JugendとPrurient(Dominick Fernow)によるコラボレーション作品。ここに収められた四曲は「春の終わり」「夏の終わり」「秋の終わり」「冬の終わり」と題されており、各曲ともにLPの片面すべてを使っている。また、本作では歌詞として、死についての日本の僧の言葉が引用されている(日本に生まれながら、引用元を理解することが出来ない自分が嘆かわしい)。

I long for people
Then again I loathe them
End of autumn

厭世的な言葉である。秋の終わり、日常にぽっかりと開いた立ち入ることのできない空白としての死。それはアートワークにおける純白の牛骨の山にも表象されるものだ。空虚で、ありふれたもので、そこには何もない。この空白こそが日常に打ち込まれた楔であり、その楔は我々の仮初めの生を自覚させる。三島が死を生の中に持ち込むことを勧めたように。

80年代のノイズ音楽は死を反社会的な記号として利用し、その「ノイズ」性を文化的社会空間におけるノマド的な差異の源泉として使用していた。それは往々にして血まみれで陰惨な、露悪的な表象として立ち現れるものであった。しかし、本作でのSutcliffe Jugendのスタンスは、それとは異なる。振り返ってみればSutcliffe Jugendのサウンドにおける純白の殺意とは、生の連続の中で屹立する空白そのもの、全ての実存に対する彼岸そのものではなかったか(この空白を獲得するがために、Sutcliffe Jugendにおける死の表象は多くの場合、明確な指示対象を持たぬものであったのだと言えよう)。

本作においてSutcliffe Jugendは、それまで仄めかせていた空白(としての死)に、嘗てない程に接近している。サウンド面においてもSutcliffe Jugend特有の鋭利なノイズに加えて、鈍痛のようなノイズや駆動音が付加されている(Prurientの参加によってであろう)。それにより、いつもの暴力性が抑制され、全体的に重苦しい印象となっている。特に表題作である「秋の終わり」における、夕立前の曇り空のような虚無感とトムキンスの声が印象深い。今回のコラボレーションは、そのテーマを表出するという点において成功している。本作がSutcliffe Jugendの傑作のひとつに数えられることに疑いはない。

2008年09月09日

侵犯と至高性

「Audial Decimation Compilation Vol. 1」を聴く。Brethrenの駆動音を分断する溜めに溜めた叫び声に合わせて拳を振り上げ、Prurientの巧みなヴァイオレント・ハーシュに笑みがこぼれる。近頃たまたま著作を読んでいたので連想したのだが、バタイユの「侵犯と至高性」と、パワーエレクトロニクスを聴くことは何か似通っていると思えた(最終的な指向は異なるのだが)。

前者は禁止を侵犯することで、至高の瞬間に辿り着く。後者も音楽においてモラルを侵犯することで、ある種の高揚に辿り着く。この点において両者は似通う。しかし前者にみられる、至高の瞬間の先にある「全体性への指向」は、後者においては受け取ることができない。後者の多くは高揚の段階において停まっているように思える。自分自身すらも蕩尽してしまう、死への欲動が希薄であると言ってもいいだろうか。この段階を乗り越えることが出来たのは、唯一過去のMBだけであったように思う。

2009年02月06日

GENOCIDE ORGAN新作

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GENOCIDE ORGAN - WITH HEART AND HAND, 7" 9,-
GENOCIDE ORGAN - WITH HEART AND HAND, 7" BOXSET 36,- tba
- L.ed. 350 copies only! "With heart and hand " is the name of a book of praise and sermons made for soldiers. Inspired by the religious motivation that men and women could achive out of these texts. Genocide Organ transferred these hymns into their unique style of industrial power electronics. Two tracks "I kept my faith : Prayer of St. Augustine" and " One final moment" are the overtures for the next Genocide Organ releases, the official release date will be the 16.2.2009.First come first served! (Tesco 070)

2009年04月30日

メタと本気

Diutescの新作をレビューしようと思い、作品に付属していたドキュメンタリーについて、一通り検索して情報を集めてみたが、911に関わる陰謀論に出くわした。それはあまりに突飛で、私には理解しがたいものであった。そして、この主張にDiutescがどのようなスタンスでいるのかが分からなくなってきた。ノイズ界隈の音楽には、このように作者とモチーフの関係が曖昧で、それがメタ的な意図なのか、本気なのかが読めないようなケースがたまにある。

メタ的な意図を持つものであれば、どのような極端なモチーフを扱っていても、私はそれに興味を持つだろう。だがDiutescの真意は勿論分からない。真意を曖昧にしておくのもノイズの伝統だろう。それこそがノイズの醍醐味だと思う。しかし、もしも作者がモチーフに対して本気であるとなると、私のなかでは明確に興味の持てる作品と持てない作品が区別される*1。ノイズには様々な反社会的モチーフを扱った作品が溢れているが、それに対してメタ的な意図なのか本気なのかという点で、少し聴き方を整理しなきゃならないのかもしれない。

*1:世には極端な文化をバックグラウンドにし、本気でそれらを自己の価値観の中心において、作品を世に送り出す人々が数多いる。私には、モンドやサブカルとして極端な文化を笑って面白がり消費する趣味はない。しかし、その一方で私は極端な文化であっても、歴史的、社会的に興味深い側面があるのなら、その活動を対象として注視することがある(例えばポピュラー音楽における民族主義の表れや、終戦直後の日本共産党から新左翼に至る流れなど)。ただ、それは何らかの思想を共有してのものではない。

2009年05月17日

「 We Stood Our Ground: Slaughterhouse, Berlin 05.05.2007」を観る

スウェーデンのこの辺りのユニットが、どのような形態でライブを行うのかを知りたいと思って購入してみたのだが、余りの熱い内容に興奮する。2007年、ドイツでのライブである。Ochu、Regim、Moljebka Pvlse、Treriksroset+Sewer Election、IRMという順で、ライブは進行する。
メタルジャンクを片手に上半身裸で吠える、Regimの精悍なパワーエレクトロニクス。Treriksroset+Sewer Electionによる轟々たるハーシュ。そして二人のメンバーが、ベースとアジテーションをそれぞれ担当するIRMが特に素晴らしい(もう一人のメンバー見当たらないのだが…)。IRMは、私が所持しているCMIの盤よりもライブの方が断然面白い。重低音ドローンにパワーエレクトロニクスが掛け合わされ、ドローンに麻痺した耳に、高音域ノイズとアジが突き刺さってくる。

追記:IRMには現在、元Katatoniaのメンバーが加わっているらしい。これはなかなか面白い人脈だ。

2009年09月14日

古い写真

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Genocide Organ - Live In Japan 2003/2007に同封されていた古い写真。裏面には何かに貼付けてあったのを剥がしたような跡があり、そこには署名がされている。他にもう一枚、古い絵葉書も同封されていた。どちらも戦前の日本のものと思われる。私には、彼らのこのような文化と社会に対する姿勢が好ましく映る。

2009年09月15日

Muslimgauze - No Human Rights For Arabs In Israel

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(Sttalpllat/10EP)

写真はジャケットのアップ。二枚の手漉き紙の間にグリーンのクリアーヴィニールが挟まれているのだが、そのうちの一枚にはアラビア語の新聞が、もう一枚にはオランダ語(版元はオランダのレーベルである)の新聞が散りばめられている。恐らく紙を漉く際に散りばめたのだろう。この紙にエンボス加工を施して、文字のプリントされたビニールカバーで覆って、ジャケットにしている。なんとも手の込んだアートワークであるが、これが表面的なデザインなどではなく、余りにダイレクトなタイトルと相まって、社会的な批判性を獲得しているところが、実にMuslimgauzeらしい。内容は扇動的なアラビック・ブレイクス。

2009年09月23日

COUM Transmissions - The Sound Of Porridge Bubbling

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(Dais Records/LP)

遂に明らかとなったCOUM Transmissionsによる1971年のアーカイヴ音源は、フリークアウトし過ぎた、即興的要素の強いサイケであった。不定形な演奏が垂れ流され、黒人ヴォーカリスト、レイ・ハーヴェイが艶かしくも強靭なヴォーカルを披露する(これがどこかCANでのマルコム・ムーニーを思わせる)。ジェネシス本人のライナーノートには、当時のフリークアウトなコミューン生活の様子や、この音源がジョン・ピールのもとへ送られたものの、結局お蔵入りになった経緯がエッセイ風に綴られている。60年代の空気のなかでジェネシスが音楽活動を開始したことがはっきりと確認できたのは収穫だが、ここからパフォーマンスアートグループとしての1976年の「売春」展、そしてTGにどうして繋がったのか、まだまだ興味は尽きない。メンバーとして、すでにコージーは加わっているのだが、明らかにここから「売春」展とTGまでの間には飛躍がある。

それにしても、ジェネシスは意外とキャリアが長く、プログレやサイケの時代に既に活動を開始していたのだが、もしもこの音源がリリースされていたら、TGは生まれなかったかもしれないと考えてみると、歴史の偶然と、その後の必然を感じずにはいられない。

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