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Review: Trad, Folk/Progressive Rock/Others Archive

2007年02月16日

CAN - Tago Mago

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(Spoon/CD)
ドイツのプログレにおける1971年の代表作。やはり「Oh Yeah」での乾いた音の感触で生き生きと刻まれるシンプルなハンマービートが爽快である。休日に、晴れた空のもとクルマを飛ばすかのような。この曲におけるドラムの軽やかさはヴォーカルと同じく重要な要素である。そしてやはりダモ鈴木のヴォーカルの使用言語の使い分けによる加速度が素晴らしい。初めは英語で歌っているのだが、それがいきなり中盤において日本語に変わる。この時に生じる飛躍は、恐らくは日本人にしか感じ取れないものだ。まるで急に世界が開けかのたようでもある(しかもその世界は奇妙な光彩に包まれている)。

ひとりでそこに座ってる
頭のイカレた奴
虹の上から小便
我らがヒモと呼ぶ
LSDの街から
離れ餓鬼を怖れ
朝がまだこないのを
幸いなことに

こんな奇妙な歌詞が、直線的なハンマービートに乗せられる。サイケデリックかつ軽快でありながら、同時に深い寂寥感と冷めた意識を感じさせる、クラウトロックに特有の「廃墟と青空」の感覚。後半の「Aumgn」のドロドロの秘境的アヴァンギャルドと「Peking O」のポンコツアヴァンギャルド(この曲は初期ボアダムズの「Super Roots」シリーズのようだ)も良い。この雑多さにこそ、本作の、初期CANの魅力を感じる。雑多な音楽を内包した、シュトックハウゼン門下のミュージシャンによる理知的な(そして擬態的な)ポピュラー音楽。それがフロントに立つ1stでのマルコム・ムーニー(アフリカ系アメリカ人)やダモ鈴木(日本人)といった、ドイツ社会における稀人によって牽引される構図。この、幾つもの異物が一つのバンド内で拮抗した状態にあるかのような空気は、続く傑作「Future Days」を境に失われてしまうものである。ダモ鈴木が「Future Days」期に突如スタジオから失踪し、そのまま脱退するのも、スキャンダラスな言説はさておき、音楽的にまとまり過ぎた感のあるバンドとの価値観の違いが原因であったというのが正直なところだろう。それでも「Soon Over Babaluma」という傑作が「Future Days」の後に控える。

2007年02月27日

告知: Trad, Gras och Stenar来日

Trad, Gras och Stenar来日

出演: Trad, Gras och Stenar, Acid Mothers Termple & The Melting Paraiso U.F.O.
日時: 3/1 名古屋 Tokuzo

検討の結果、18切符で始発の鈍行に乗って東京に行き、用事を一瞬で済ませ、また鈍行で名古屋に帰り、20時頃に得三にたどり着くという強行軍になりそうだ。辛いな、コレは。道中どうやって時間をつぶそうか…。

2007年03月04日

ZENI-GEVA Live映像

YoutubeにてZENI-GEVAのライブ映像を見つけた。AREAのカヴァーが素晴らしく、ハードコア・プログレと形容したい。イタリアでAREAのこの曲を演奏するというのもよい。プログレマニア、あるいはクリムゾン的質感のあるメタル/ハードコアが好きな方なら堪らないはず(ちなみに私はいわゆるプログレメタルは全くプログレと思わない)。国内でもライブを再開して欲しい。とにかく実際に観たい。

ZENI-GEVA Live

Luglio Agosto Settembre(Nero)

2007年03月20日

AMON DUUL - Paradieswarts Duul

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(Ohr, Captain Trip Records/CD)
ドイツのプログレで今もよく聴き返すのは、FAUST、Sunrain以降のASH RA、そしてAMON DUULである。Sunrain以降のASH RAはちょっと聴く理由が異なるが、FAUSTの最初の二枚と本作は、割と同じものとして聴いている。両グループとも音楽の形式が似ている(セッションの再構築)とも言えるのだが、何よりよく似ていると思うのは、やはりクラウトロックの「廃墟と青空」の感覚を強く感じさせるところである。

AMON DUULは67年に共同生活を始める。当初のメンバーはChris Karrer, Peter Leopold, Ulrich Leopold, Rainer Bauerら。68年には政治的指向と音楽的指向を持ったメンバーのあいだで分裂が起こり、まずChris Karrerが、それに続いてPeter Leopoldが脱退しAMON DUUL IIの結成に向かう(これと前後する時期のものと思われるライブ映像は、Kurt Krenのフィルムにおいて観ることが出来る)。この共同生活というバックグラウンドは、やはりFAUSTの廃校生活と通じるものがある。

政治的指向とアヴァンギャルド性の混合。残されたメンバーによって行われたセッション音源から特に良い部分を抜き出し、再構築をかけることで69年の1st「Psychedelic Underground」と70年の2nd「Collapsing」が生み出された。混沌とした演奏/祭儀と巧妙な再構築(1stでは恍惚とした、2ndでは悪夢のような)による音楽(音楽と呼べるのかどうかはさておき)は今聴いても新鮮である。ちなみに未発表音源「Disaster」と、元のセッション音源「Experimente」も後年リリースされている。(はっきりしないのが、Peter Leopoldがこのセッションにどの程度参加したのかである。1st, 2ndにクレジットはないが、「Disaster」にはPeter Leopoldのクレジットがある。)


ちなみに彼らの持っていた政治的指向とは"Kommune 1"という左翼グループとの関係、すなわち1stクレジットに名の挙るUschi Obermaierと"Kommune 1"の一員であるRainer Langhansの関係において語られる("Kommune 1"については調べてみると、アメリカ副大統領に対する"Custard Assassination"などの興味深いエピソードが読める)。Uschiは68年にAMON DUULを去ったとされるので、1stと2ndの元となった68年末のセッションには参加している。ちなみにその後のUschiはPLAYBOYの表紙を飾ったりと、なかなか面白い人生を歩んだようである。Uschi Obermaierについてはこちらも参照。

さて、この3rd「Paradieswarts Duul」はそうした混沌とした時期を乗り越え、政治的指向やドラッグ色を払拭し、70年にUlrich Leopold, Rainer Bauer, Rainerの妻であるEllaを中心として制作される。ここで彼らは奇跡的な変化を遂げる。その音楽は凶暴なギミックを多用した混沌サイケの極北である1st, 2ndとは大きく異なり、極めて平穏な、反復が主体のアシッドフォークとなっている。混沌とした政治の季節を抜け出し、幾人もの仲間と袂を分かち、最終的にたどり着いた境地であるとか、トリップの後の現実へ引き戻された際の喪失感等々、今までよく語られてきた本作についてのセンチメンタルな言説は…個人的には案外嫌いではない。「楽園に向かうデュール」とはUlrich Leopold, Rainer Bauerの自分たちの青春時代への別れの歌である。かつての自分と仲間たち=デュールは楽園へと向かう、現実の自分たちをここに残して。

その後、彼らは表舞台から姿を消し、一方AMON DUUL IIは息の長い活動を続けることになる。(なお、2006年11月に両方のAMON DUULに参加したPeter Leopoldは死去した。)

Uschi Obermaier

Uschi Obermaierの若き日の映像。Rainer Langhans(Rainer Bauerではない)も一緒に映っている。AMON DUULのライブ風景も一瞬見られる(ただし楽曲はAMON DUUL IIの「Wolf City」に収録の「Jail-House-Frog」)。AMON DUULの土壌となった文化的背景が感じ取れると思う。

2007年06月21日

友川カズキ Live

友川カズキ Live

友川カズキ - 一切合財世も末だ

友川カズキ - 生きてるって言ってみろ

石塚俊明のドラムがとても良い。CINORAMAの1stと2nd(坂田さちよ、坂本弘道、石塚俊明)が、かなり好きでした。

2007年07月16日

Sibylle Baier - Colour Green

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(Orange Twin Records/CD)
呟くような歌声にシンプルなアコースティックギターの伴奏。穏やかで優しい人間性が強く感じられるドイツのSSW、Sibylle Baierのプライベートフォーク作品。70年から73年にかけて録音され、当時は発表すらされなかった音源。ちなみに彼女はヴィム・ヴェンダーズ「都会のアリス」(1973)にも出演している。現実の穢れのなかでは生きられない、自分の小さな世界にて掌にすくいあげた幸福のみで満ち足り、短い一生をそれとともに歩むような…儚くも純粋な強さを持つ音楽である。近しい音楽家としてはやはりNick Drakeが挙げられる。両者とも夭折したという点においても。しかし若くして亡くなった彼女を哀愁やセンチメンタルというような言葉にて回収したくはない。この歌声のなかにある強さにこそ耳を傾けたいと思う。

HERON - Heron (+Single)

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(Arcangelo/CD, 3'CD)
70年リリースの英国フォークの奇跡、必殺の現実逃避盤。トラッドの香りのない、シンプルで美しいメロディが、アコースティック楽器によってどこまでもゆったりと、穏やかに奏でられる。またよく知られるように野外で録音されているので、微細な野外音もそこには聞き取れる。平穏な日向の空気をそのまま封じ込めたかのよう。美しいシンプルなメロディと、生音の響きと、鳥のさえずりなどの野外音。この3つの要素が絶妙のバランスで重なり合い、現実離れした平和なユートピアを奇跡的に実現している。ヒッピーだサイケだコミューンだと言うと、サンドーサの庭にてドロドロに溶解したサイケなアンダーグラウンドを連想してしまうが、個人的にはこういう有り得ないほど蒸留された、平穏な休日の午後のような世界の方が危険だと思う。繊細で薄い膜のような陽光の向こうに幻視されるユートピア。俗世の汚濁から逃避するように繰り返し繰り返し聴き入り、やがて現実に戻れなくなる。(2ndではややロック的な側面が強くなり、このユートピアを幻視させるかのような感覚は薄れる。)

本盤はアルカンジェロ/ユニオンによる至れり尽くせり、最早妄執めいたものまで感じさせる紙ジャケ再発。しかも1stの次にリリースされたシングルを3'CDとして同梱する徹底振した仕事である。

2007年07月26日

Youtubeでニュールーツを聴く


Jah Shaka

Aba Shanti I

ノイズを聴く人間には、意外とダブ(ルーツ、ニュールーツを問わず)も聴ける人間が多いのではなかろうかと思う。勿論、反社会的モチーフによる「ノイズ」としての意味性は、ダブにおいては存在しない(ルーツにおいてコアとなるものはラスタ思想である)。ここでいうノイズとの近似とはあくまでサウンド面に限定しての話である。ダブの楽曲や演奏から乖離して展開される音響処理手法は、音楽を音の現象そのものとして全体的に認識することへの(極端な)傾倒であるとも言え、この点についてはノイズとも通じ合うものがある。またレゲエにおけるサウンドシステムという独自のカルチャーは、出音それ自体までを表現形式として視野に含めたものであると解釈出来る。これは一般的な意味での音楽とはかなり違った、ユニークなコンセプトである。私がダブに関心を持っているのは、この辺りに理由が求められる。

ノイズにおいても、ライブにてサウンドシステムを持ち込むようなユニットがあれば面白いかもしれない。90年代のメルツバウが束になってかかってくるような、音響兵器としてのノイズ…そんなものがあれば一度聴いてみたい。

2007年08月25日

Martin Carthy - Sweet Wivelsfield

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(Topic/CD)
正統派英国トラッドの第一人者、マーティン・カーシーの74年作品。スティーライの2ndと3rdに参加した後の時期に当たる。スティーライでトラッドのフォークロック的応用という挑戦的な試みを果たし、再びトラッドの領域に戻った本作は、勿論全曲トラディショナルソングのアコースティックギター弾き語り(アレンジは本人)。スティーライの3rdでも演奏していた「Skewball」も収録。痛いほどの緊張感に満たされていたスティーライのバージョンと違い、おおらかで包容力に満ちている。聴けば聴くほど味わい深い、流行とは無縁の普遍的な名作(というより、彼の単独作品は今まで聴いた限り、一つも外れがない)。

2007年11月10日

HELDON - Interface

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(Cuneiform, CAPTAIN TRIP/CD)
暴力的なもの、サウンドゲリラとしての表現を行うとリシャール・ピナスは語った。そしてインダストリアル・ノイズとしてのエルドンという解釈を秋田昌美は述べた。確かにエルドンにおけるエレクトロニクスの使用は、機械的な駆動を繰り返すのみである。秋田昌美の指摘通り、ここに当時のジャーマン・エレクトロニクスのような溢れんばかりの電子音の快感はない。単純でプリミティブな電子音の作動。インダストリアル・ミュージックとしてのエレクトロニクスの使用。この音楽は技術的進歩により表現力を獲得し、洗練され音楽化してゆくエレクトロニクス・ミュージックの進歩史観に対するアンチの立場をとっている。電子メディアの無価値な誤用=インダストリアル・ノイズ。ここからEGやSPKへ至る道程は思いのほか近い。

エルドンの面白さは、ゴーチエとピナスによる駆動するアナログシンセサイザーの反復に、人力演奏によるインタープレイが真っ向から対峙するところにある。ピナスによるフリップ的メタリックギターの蠢動とオジェの緻密なドラムが、暴力的エレクトロニクスと衝突する。メタリックなSFテイストのジャケットやタイトルも、サウンドの疾走する無機質な感覚とよく合っている。

ノイズとは何か。それは意味のレベルでは反社会的モチーフの使用による、TGに代表される情報戦略や、GWのような文化的テロリズムである。(そこから反社会的モチーフが本気化してしまうと、所謂犯罪者による音楽となり、最早好事家以外には用を成さない対象物となる)。またノイズをマテリアルである音楽の形式のレベルでの問題としてとらえると、ダダ/アンチ/無意味/誤使用の実践のための方法論として解釈することが出来る。インダストリアル・ノイズは電子音楽におけるダダであり、機械の誤使用の提示である(それと同時に、意図的であろうとなかろうと、表面的には先述の意味のレベルにおいて、工業社会へのアイロニーも身に纏ってしまうこともあるだろう)。同じく狂躁的に転げ回り、雑音をまき散らすスカムな非エレクトロニクス系ノイズも(即興も含めた)演奏という形式へのダダとして見なせる。

しかしダダはどこまで行ってもダダでしかなく、無意味の提示でしかない(それはそれ故にダダである)。その枠外の地点、残骸としてのノイズから、再度音楽の形式を模索すると、エクスペリメンタル・ノイズや実験音楽になる。この観点から行くと、エフェクターをスパゲッティ状に繋ぎ即興的にノイズを垂れ流すハーシュも、その音響構築が高度化するにつれて、意義としてはダダとしてのノイズではなく、音楽としてのノイズに近づく。

話をエルドンに戻すと、エルドンにおけるシンセサイザーの使用は恐ろしく単調で無機質であり、それはノイズ・インダストリアルにおけるダダ/アンチ/無意味/誤使用の実践を思わせる。ピナスの暴力的、サウンドゲリラという形容の発言を(ノイズであることを念頭においての発言ではなかったにせよ)その早過ぎた試みとして解釈するのも一興であろう。そうなってくると実はエルドンの音楽で一番不要なものが、ピナスのロックへの憧憬とクリムゾンへの敬愛がありありと伝わるフリップ的メタリックギターとなってしまうのは、何というか皮肉である。いや、むしろそういった生身の要素が、即物的な電子音に抗いつつ轢き潰されてゆく様を楽しむのが正解なのかもしれない。

エルドンの5-7thは、全てプレ・インダストリアル・ミュージックの傑作である。

2007年11月29日

GrindCoreとMick Harris

AxCx

結成間もない頃のAxCxのライブ映像。もうメチャクチャだがバンドも客も実に楽しそうだ。

Discordance Axis

このバンドも好きで音源を集めていた。Merzbowによるリミックスもあったりと、ノイズと近い位置にいたバンドだった。

Fear of God

スイスのアクショニズム・ノイズグループSchimpfluch-Gruppeに参加することになるDave Phillipsが、ベーシストで在籍したバンド、Fear of Godの88年のライブ映像。尋常ならぬ勢いのグラインドコアを聴かせるが、その音楽形式とヴォーカルのルックスのギャップが素晴らしい。下記のNapalm Deathとの対バンの際の映像であろう。演奏するバンドの傍らで笑うミック・ハリスも良い。

Napalm Death

ミック・ハリス在籍時、 88年のNapalm Deathのライブ映像。

NAPALM DEATH /SOB - 1989

こちらもミック・ハリス在籍時。SOBとのヨーロッパツアーの際、スコットランドはエジンバラでのライブ映像。両バンドとも完璧である。

Scorn


そのミック・ハリスがNapalm Death脱退後に結成したScornのライブ映像。このユニットは枚数を重ねるにつれてダブ・アンビエントな音楽形式へとシフトし、クラブミュージック周辺へと接近していった。また、変名でWordSoundからリリースしているのを知った時には、さすがに驚いた。さらにはAnt-ZenサブレーベルのHymenからもリリースしている。

Painkiller (Zorn, Harris, Laswell)

ミック・ハリスはNapalm Death脱退後、ジョン・ゾーン、ビル・ラズウェルとPainkillerとしても活動していた。フリーインプロ+グラインドコア+ダブを指向した特異なバンドで、ドカドカしたブラストビートにゾーンのインプロが重なるのはユニークだった。

2008年02月11日

SLEEP - Dopesmoker

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(Tee Pee/CD)
ストーナー/ドゥームという音楽形式に私が興味を覚えるのは、楽曲よりも音の質感に重きをおき、聴き手に陶酔を与えることを目的化しているが故である。これらの音楽形式をとるバンドらは最初期Black Sabbathのいかがわしさと、粗雑さと、重さを継承し、それを極端化させる。この極端化の果てが2003年の名作「Dopesmoker」である(本作は1996年に録音されるが、発表されないままにバンドは解散。1999年には短縮版が「Jerusalem」としてリリースされた)。

この作品の何がそんなに極端なのかと言えば、タイトル曲が約一時間にも及び、しかもそれがただひとつのリフによって成り立っているところである。この長時間反復されるリフは、単調さを感じさせることなく、揺らぎを持って万華鏡的な変容を続ける。またドラムの手数が多くフリーキーであることも、単調さを感じさせない理由であろう。微細な演奏のバリエーションはあっても、それは堂々巡りの果てに、もとの地点に戻ってくる。組曲的な展開ではなく、ただひとつの要素が一時間の長さに拡大されているのだ。

この形式はミニマルテクノ、(ある種の)ダブ、ハーシュノイズ、ドローンによく似ている。コンポジションではなく、サウンドの質感が優先されているのだ。そして、ここで重視される質感とはストーナー/ドゥーム、スラッジにとって重要な要素である「重たさ」に他ならない。この重音圧による麻痺にも似た恍惚の感覚と、先述の拡大された堂々巡りによる催眠的効果の相乗効果がこの音楽のコアである。油断して聴く者は、この恍惚的催眠に簡単にはめ込まれてしまうだろう。本作は私にとって最高のアンビエントであり、鎮静剤である。

ちなみに歌詞は、タイトル通り「ストーナー・キャラヴァンが聖地エルサレムを目指す」という奇妙かつ妄想的なもの。夢見る身体は現実世界に留まるが、意識は拡大されてゆき、ストーナー・キャラヴァンは精神世界の奥底へと旅を続ける。終わりのない、精神世界の奥底への旅を。これが何の隠喩なのかは明白だ。

まるでBlack Sabbathの様なボーナストラックも一曲収録。

2008年02月13日

EARTH - Earth2

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(Sub Pop/CD)
グランジの変異体であり、全く一般性を持たない様な音楽ながら、所属レーベルと、1stでの有名ミュージシャンの参加のため、案外よく知られているEarth。ドラムレス(メンバーはギターとベースのみ。一部でパーカッションは入る)という特異な編成で、殆どドローン化したような、引きずる様なストーナー/ドゥームを演奏する。バンド名からも分かるように初期Black Sabbathの影響色濃く、あの重い音楽性をさらにスロー化したサウンドである。「special low frequency version」との言葉通り、重さと遅さを極端化させるなかで、ドラムとヴォーカルを排し、ギターとベースのみによるインストを選択した彼らは、やはりユニークだ。またストーナー系列のバンドの持つ60~70年代ロック嗜好(特に歌い方)が肌に合わない自分としては、このEarthのインストは丁度いい。

ところで、いわゆるノイズのドローンものと、ストーナー/ドゥーム、スラッジのドローンものの最大の違いは、ロック的あるいはハードコア的な意味でのバンド演奏に留まっているか否かだと思う(ドローンそのものを演奏すること、即ちノイズ/実験音楽の領域に踏み込んでしまえば、やはりMirrorや永久音楽劇場の方が音響として高内容である)。
本作でのEarthは、なんとかロック的あるいはハードコア的な意味でのバンド演奏の領域に踏みとどまる。ギリギリのところでリフを繰り返し、ノイズ/実験音楽の領域に接近しながらも、安易にドローン化することを回避している(安易にドローン化してしまっては平凡な垂れ流しノイズと同じレベルになってしまう)。このように、ロックあるいはハードコアとして異物であり、ノイズ/実験音楽としても異物であること。ここがEarthの素晴らしいところだ(ちなみにEarthはAshのコンピ「Scatter」にも参加していたが、他のノイズ作家の音源と比較すれば、根底にあるものの違いは容易に分かろうかと思う)。

Earthは次作以降、音楽的な色気を出してしまうのだが、彼らが真価を発揮したのは、間違いなく本作においてであろう。

2008年03月05日

FAUST - So Far

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(Polydor/LP)

Faustの音楽には、例えるならキラキラした甘そうな菓子を口に含んでみると、それは実は無機的なプラスチックの模造品であった、というような感覚がある。どこか既視感を感じるポップな音楽であるが、この離人症的な現実感のなさ、空虚感こそがFaustの魅力である。

これら楽曲は寄せ集めのつぎはぎで構成され、音楽を盛り上げようという表現への欲求が完璧に欠落しているかのように感じられる。本作はヴュンメにおける、廃校での共同生活時代に制作されたものであるので、同じくこの時期に制作された1stの対となる。
1stは緻密なコラージュによる分裂症的構成であり、編集と音響工作を前提とする、後のThis Heatや音響派の試みを先取りするものであった。それに対し本作は音楽が、一応ポップな楽曲として成り立っている(ただし、極めて歪なかたちで)。これを一言で言い表すなら、「悪意ある間違い」であろうか。それは冒頭曲「It's a Rainy Day, Sunshine Girl」にもよく現れている。高揚感もなく、曲の始まりから終わりまで単調に刻まれるリズム。やけに軽くかき鳴らされるギター。やる気のないタイトルの連呼。まったく間違いだらけの異様なポップスである。

1stはその編集と音響工作により、音楽形式としてはアヴァンギャルドな形式をとっていた。それに対して本作の音楽形式はアヴァンギャルドとは(一見したところ)程遠い。だが、その表面的な取っ付きやすさには、音楽に期待されるものをことごとく脱臼させてゆく、巧妙かつ場違いな要素が組み込まれ、配置されている。この手さばきは、1stの分裂症的コラージュと同じものである。
あるべきように構成されているはずのものが、ニヒリズムあるいは悪意ある罠によって脱臼される。そしてリスナーはそれに触れるとき、自明のものとしてとらえていた世界が、薄い皮膜一枚で成り立っているに過ぎないと気が付く。そして皮膜を隔てた向こう側には、昨日まで知っていたはずの「世界」によく似た歪な「世界’」がある。そこで生じる現実感のなさと空虚感(これぞ「廃墟と青空」の感覚である)。Faustの悪意とはこのようなものだ。

2008年03月09日

Mark Fry - Dreaming with Alice

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(Arkama/CD)
休日の昼下がりに聴きたい現実逃避盤。72年リリースの平和過ぎる儚いアシッドフォーク。このマーク・フライなる人物の詳細は不明であるが、スタイルとしてはニック・ドレイクにも似た穏やかなアコギによるアシッドフォークをやっている。コーラスやフルートによるアレンジも派手過ぎず良い案配で、インド趣味に傾倒したかのようなシタールっぽいギターが絶妙な「Witch」、壊れそうなコーラスが愛おしい「Lute and Flute」が特に良い。

アルバムとしてのコンセプトも練られており、曲間をテーマ曲「Dreaming with Alice」で繋ぎながら、トータルな展開のなかで白昼夢的アシッド感覚を見事に表現している。何度も何度もフラッシュバックする「Dreaming with Alice」の断片に堂々巡りの酩酊感が増幅され、どんどん有り得ない蒸留された非現実的理想世界へと聴き手を迷い込ませる。

そしてラストは収録曲(「Song For Wild」か?)の逆回転という、向こう側へ行ってしまった確信犯的大技で締める。聴き手を酩酊させるその手腕があまりに見事過ぎる。陽光降り注ぐ平穏な世界から(Heronと同じく)日常に帰って来れなくなる危険性を孕んでいる。来週からの勤労意欲が間違いなく減退します。

2008年04月05日

クラウス・ディンガー死去

NEU!のディンガーが亡くなった。10数年前の来日ライブで味わった、グダグダながら恍惚とした感覚が思い出される。ここ数年でどんどんある時代の音楽が終わっていっている。しかしディンガーのハンマービートは、今も聴衆の心の中で打ち鳴らされている。追悼として1stを聴き返す。

R.I.P
http://www.groenland.com

2008年07月22日

FAUST (from GERMANY) LIVE IN TOKYO September 2008

Faust再来日の詳細が明らかになった。東京のみだが当然行く。しかし三日共は無理だ。

http://www.captaintrip.co.jp/faust/index.html

とりあえず初日は間違いなく観に行くが、マーブル・シープとのコラボは、出てくる音が容易に想像できそう(ドロドロなインプロセッション?)で迷う。

前回の来日は大阪公演を観に行った。記憶をたどってレヴューすると…

二時間押しで開場という事態であったが、会場に入って納得した。ステージにとどまらず、客席前方まで鉄パイプ、鉄板、チェーン、テレビ、ハンマー等々が散乱し、まるでノイバウテンかという工事現場さながらの状態。ステージ上には二つのドラムキット(メタルパーカッションが塔のように組み上げられたものと、ふつうのドラムキット)、シンセ類、そしてコンクリートミキサーが並ぶ。これでは準備に時間がかかるのも仕方ない。
まずは前座のマゾンナとソルマニア(ゲストヴォーカルも参加)が短時間で演奏を終える。明らかに客の多くがノイズに対してギャップと不満を感じているのが、雑談の中から感じ取れる。東京では非常階段とメルツバウ&カルコフスキーも出演していたらしいが、クラウトロックとノイズが共通するのは、あくまでノイズ側の聴き手の意識においてであり、一般的なプログレファンにとってはこのブッキングは苦行であったのかもしれない。
そしてFaustの登場となるが、ザッピのパーカッションによる機械的な反復のリズムのうえで、ギターやシンセによるノイズ等がダラダラと垂れ流されるという、ノイバウテンの悪影響下にあるインダストリアル寄りの演奏だった。それでも巨漢のザッピがせわしなく動き回りながら鉄を打撃し、グラインダーをかける様は迫力があった。また爆竹や花火も大量に使用し、ガラスも派手に割ったりしていて、それだけで見ていて面白い。クライマックスではTotEからのライブ盤そのままに、グレツキの楽曲をBGMにザッピがハンマーでテレビを破壊するという演出。こう書くと子供っぽい破壊パフォーマンスかと思われるかもしれないが、違う。そこにはもっとシンプルな、まるで壊すのが単純に楽しい的なバカバカしさ、あるいはダダ的精神がある。
しかしFaustの良さは、反音楽の部分とポップな部分が分裂したまま併置された捩じれた音楽構成にこそあったのであり、反音楽的なインダストリアルの部分のみ強調されたステージは若干もの足りなかったのも正直なところだ。
付け加えるなら終演後、ライブハウスのスタッフが「これどうするよ」って呆れていたのが気の毒だった。

今回の再来日は2ndからの楽曲もやるということなので、反音楽の部分とポップな部分が分裂したまま放り出されるFaustらしさを観ることができるのではないかと、大いに期待している。

2008年09月04日

Richard Crandell - In The Flower of Our Youth

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(TOMPKINS SQUARE/LP)
もともとRichard Crandellはアコースティックギターを演奏していたが、後にムビラ(親指ピアノ)を演奏するようになった。ムビラの作品としてはTzadikから「Mbira Magic」などがリリースされており、今も活動を継続している。本作は彼がアコースティックギターを演奏していた頃の作品で、1980年の録音。フェイヒーやコッケとはまた違ったカントリーブルースを聴かせる。あまりアメリカンルーツ色は強くなく、その澄んだ音色とともに、とても素直で爽やかな印象となっている。どこかGastr Del Solに近しいものも感じさせる。

2009年01月20日

ダモ鈴木とスケート


Too Faded Extras 08 from Fade Nation on Vimeo.

http://yutosuzuki.horetaze.com/2008/12/30/fade-nation-too-faded.html

アクセス解析からリンクをたどって知りました。スケートは私にとって未知の世界だが、これはとても気持ちの良い映像だと思った。クラウトロックには快晴がよく似合う。Canつながり。

2009年05月08日

Synanthesia - Synanthesia

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(Elegy/CD)
1969年に発表された、柔らかく夢見心地な英国アシッドフォーク。多くの英国フォークバンドが所属していたセプテンバー・プロダクション絡みだそうだ。アシッドフォークといっても、3人のメンバーが、ギターの他にもオーボエやサックス、ヴァイブラフォン、ボンゴ、ヴァイオリンといった多くの楽器を器用に奏でていて、室内楽的な上品さがある。それに加えて、プログレっぽい技巧や大胆な展開も時々織り交ぜてくる。だからといってあまりやり過ぎてもおらず、ちょうど良い案配である。基本的に少しトラッドっぽい、甘いメロディが根幹にあるので、のんびりと聴くことができる。

現実が過酷であればあるほど、こういった嘘くさいほどに平穏な音世界は際立ってくる。アシッドフォークを現実からの逃避のために聴く廃人にとって、本作は、昼下がりのうたた寝のよい伴となるはずだ。

2009年05月14日

Silmaril - The Voyage of Icarus

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(Locust music/CD)
キリスト教徒の若者らの集まりの中で結成されたフォークグループ、と聞くと単なるホーリーな雰囲気のフォークを思い浮かべるかもしれないが、このSilmarilの(というよりリーダーであったMatthew Peregrineの)精神の遍歴はもっと複雑なものであったかもしれない。Peregrineはキリスト教徒であり、同性愛者であった。Silmarilの音楽において、彼はどこか神秘主義的な暗い世界観へと足を踏み入れたように思える。彼は73年にグループを解散させた後、ゲイコミュニティへと移って生活し、HIV感染によって90年代に死亡している。この生き方自体、どこかバタイユ的なるものを感じさせる。宗教を介し、神秘主義的(ペンテコステ派であったらしい)なるものを経由して、その反転として蕩尽へと至るというルートが。またトールキンからとられたバンド名からも分かるように、ミドルアースの物語にも影響を受けているようだ。

その音楽はアコースティックギターを中心とした禁欲的なものであり、男女のヴォーカルが寂寥感を漂わせながら歌い上げられる。メンバーらはIncredible String Bandのカヴァーも演奏していたらしく、確かに英国トラッド&フォークに近い印象があり、とても美しく、そして暗い楽曲が並ぶ。ロック的なドロドロしたサイケ感覚は皆無である。特にシタール(?)入りの楽曲である「Vespers」が印象的だ。また、「October Road / Sleeping Magnifical」のようにミニマル風味のインストを演奏する楽曲もある。さらに終盤の展開が白眉であり「Revelation 13:11:18」はヨハネの黙示録を朗読する背後にて奇怪な電子音が響くというトラック、それに続いて「Songs of the Apocalypse」という暗示的なタイトルの楽曲で締めくくる。この一連のイメージは、やはり私のなかではバタイユに重なる。

2009年05月15日

Faustの新譜を聴く

「Schiphorst 2008」を聴いてみたが、もうFaustのライブ盤は追わなくてもいいかもしれないな、と思った。スタジオで作り込んだ作品の方がいい。なので、新作の「C'est Com...Com...Compliqu」は結構楽しめた。イルムラー主導のFaustよりも、ペロン主導のFaustの方が好みである(再来日は結局観に行かなかったのだが)。
いまのところFaustという名義は、イルムラーのFaustと、ペロンのFaustの二つに分裂したような状態だが、もうこの二人は一緒にやることはないのだろう。

2010年06月24日

Tes La Rok 19/12/09 "Cool & Deadly" Paris @ Glazart with Taiwan Mc

Tes La Rok 19/12/09 "Cool & Deadly" Paris @ Glazart with Taiwan Mc
もともとダブは好きだったけど、近頃はこの辺りの音楽が気になってます。

Tes La Rok 19/12/09 "Cool & Deadly" Paris @ Glazart with Taiwan Mc

Tes La Rok 19/12/09 "Cool & Deadly" Paris @ Glazart with Taiwan Mc
もともとダブは好きだったけど、近頃はこの辺りの音楽が気になってます。

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